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脳波×AI解析のすべてがわかる!測定方法・最新技術・将来性まで詳しく紹介

人の感情や集中状態を、リアルタイムに「見える化」できたら──。脳内で生じる微弱な電気信号をAIが解析することで、医療やヘルスケア、エンターテインメントまで幅広い分野で活用が進んでいます。すでに診断支援やストレス可視化、VRゲームでの応用も始まり、日常生活への実装も射程圏内です。 本記事では、脳波AI解析の基本から最新事例、導入の実務ポイント、そして未来の可能性までをわかりやすく解説します。 脳波とAIの関係とは?その仕組みと最新技術を解説 人間の脳内では、思考や感情、行動のたびに微弱な電気信号が発生しています。これらの信号は「脳波」として記録され、長年にわたり医療や神経科学の分野で活用されてきました。近年では、人工知能(AI)技術の進化により、こうした脳波の解析にも革新が起きています。 AIを用いることで、従来の手法では読み取れなかった微細なパターンや傾向を抽出できるようになり、医療診断やメンタルケア、さらにはエンターテインメントや教育の分野まで応用が広がっています。本章では、脳波の基本的な知識と、AIによる解析の特長について紹介します。 脳波の種類や各帯域(アルファ波、ベータ波など)の詳しい働きについては、以下の記事で詳しく解説されています: https://mag.viestyle.co.jp/eeg-business/ 脳波は何を表しているのか? 脳波とは、脳内で発生する電気信号を計測したもので、周波数帯によって「デルタ波」「シータ波」「アルファ波」「ベータ波」「ガンマ波」などに分類されます。これらは、睡眠、集中、リラックス、認知活動といった精神状態や行動と密接に関係しています。 たとえば、リラックス時にはアルファ波、集中しているときにはベータ波が優位になるなど、脳の状態を客観的に把握する指標として利用されています。こうした波形の変化を読み解くことで、精神的・認知的な状態を可視化することが可能になります。 AIによる脳波解析では、人間が事前にラベル付けした大量の脳波データ(教師データ)を学習することで、これらの波形の中から特定のパターンや傾向を自動的に抽出し、高精度に分類したり、状態を検出・予測したりする技術が重要です。これにより、従来の統計的手法では難しかった微細な変化も捉えることが可能になります。 なぜAIで脳波解析が進化するのか? これまでの脳波解析は、特定の時間帯の波形を人の目や統計的な手法で分析するのが一般的でした。しかしこの方法では、複雑な脳の活動パターンを正確に捉えるのが難しく、解析にも時間と専門知識が必要でした。 近年は、AI、特にディープラーニング(深層学習)の技術を使うことで、こうした課題が大きく改善されています。AIは大量の脳波データを学習しながら、わずかなパターンの違いや時間の変化、波形に含まれるノイズ(不要な信号)なども自動で判別することができます。 たとえば、AIは「この脳波パターンは集中している状態」「この動きは睡眠の兆候」といった分類や予測が得意です。これにより、医療現場での診断補助や、リアルタイムでメンタル状態を把握するようなシステムにも活用されるようになっています。 人が判断するよりも早く、しかもブレなく客観的な解析ができる――それが、AIが脳波解析において注目されている大きな理由です。 こちらの記事もチェック: https://mag.viestyle.co.jp/mi-eeg-analysis/ 脳波AI解析の仕組みと技術的アプローチ 脳波をAIで解析するには、データをただ集めるだけではなく、測定前の準備から取得後の処理まで、いくつかの工程を踏む必要があります。具体的には、データの取得、前処理、特徴量の抽出、そしてAIによる学習・推論といった一連のステップが重要な役割を果たします。 ここでは、脳波解析において実際に使われている代表的な技術や手法を、工程ごとにわかりやすく解説します。 脳波データの取得方法と環境整備 脳波の測定には、「EEG(Electroencephalogram/脳波計)」と呼ばれる機器が使われます。EEGは、頭皮に取り付けた複数の電極から脳の電気的な活動を検出し、それをリアルタイムで記録する非侵襲的な方法です。従来は医療や研究の場での利用が主でしたが、近年では一般向けの簡易EEGデバイス(例:Emotiv、VIE Zoneなど)も登場し、個人レベルでの利用も広がりつつあります。 精度の高い脳波データを得るには、測定環境の整備も重要なポイントです。たとえば、外部の電磁波ノイズを避けるために静かな部屋を選び、電極を正確に装着し、被験者の体の動きをできるだけ抑えるといった配慮が必要です。こうした工夫によって、解析に適したクリーンなデータを収集することが可能になります。 脳波データの前処理と特徴抽出の方法 EEGで取得した脳波データには、筋肉の動きや瞬き、周囲の電子機器からのノイズなど、さまざまな外的要因による干渉が含まれています。そのままの状態では、正確な解析やAIによる学習に適していません。 そのため、まず「前処理(Preprocessing)」という工程が必要になります。ここでは、特定の周波数帯だけを通すバンドパスフィルタや、まばたき・体動によるアーチファクト(人工的な信号)の除去、さらには不要なノイズの排除などが行われます。 前処理を終えた後は、「特徴量抽出(Feature Extraction)」の段階に進みます。この工程では、周波数帯ごとの電力(スペクトル解析)や、時間の経過による信号の変化(時間領域解析)といった数値的な特徴を取り出します。これらの特徴量は、AIが学習・解析を行うための基礎データとなり、脳波のパターン分類や状態の予測に活用されます。 脳波解析に使われるAIアルゴリズムの種類 脳波のように時間とともに変化する「時系列データ」を扱う場合には、適切なAIアルゴリズムの選定が重要になります。現在、脳波解析でよく使われているAIモデルには、以下のようなものがあります。 CNN(畳み込みニューラルネットワーク)  画像認識に優れるモデルで、脳波の周波数成分や空間的な電極分布をとらえるのに適しています。EEG信号をスペクトログラム(時間×周波数の画像)として変換し、CNNに入力する手法が広く活用されています。 RNN(再帰型ニューラルネットワーク)・LSTM(長短期記憶)  時系列の流れをモデル化できるのが特長で、脳波のように連続して変化するデータの解析に向いています。中でもLSTMは、過去の情報を長期間保持しやすいため、脳波状態の予測や分類タスクによく使われています。 強化学習  環境からのフィードバック(例えば、デバイスが意図通りに動いたかどうか)を基に学習を進める手法で、ユーザーの脳波から得られる信号を操作コマンドとして、最適な動作を導き出すといった応用が可能です。特に、ブレインマシンインターフェース(BMI)領域では、ユーザーが思考によってロボットアームを動かしたり、カーソルを操作したりするようなリアルタイム制御への応用が進んでいます。 これらのモデルは、それぞれ異なる特性を持つため、目的や対象とするタスクに応じて単独で使われたり、組み合わせて使われたりします。どのモデルを使うかの選定は、精度や処理速度、解釈性などとのバランスが求められます。 従来手法との違い:AIによる精度とスピードの向上 これまでの脳波解析では、統計的な手法やフーリエ変換など、決まった分析手順に基づいた定量的な処理が主流でした。これらの方法は、構造が明確で信頼性も高く、医療や研究の現場で広く使われてきました。 しかし、こうした従来手法では、脳波の波形に含まれる複雑な変化や個人差を十分に捉えるのが難しいという課題がありました。特に、曖昧で微細な変動に対する感度には限界があり、解釈にも熟練が必要とされます。 一方、AIを活用した解析では、過去に蓄積された膨大な脳波データを学習することで、従来手法では見逃されがちな特徴も自動的に抽出できるようになります。これにより、より高精度な分類や状態推定が可能となり、異常検知や個別最適化といった応用の幅も広がっています。 さらに、AIの導入によって解析作業の自動化が進み、処理にかかる時間が大幅に短縮されるのも大きな利点です。リアルタイムで脳の状態を評価したり、即座にフィードバックを返すようなシステムの実現にもつながっています。 最新事例紹介:脳波×AI解析の最前線 脳波解析とAI技術の進化により、医療診断やウェアラブル製品、ビジネス向け導入、エンタメ分野まで活動が広がっています。本章では、信頼性の高い事例を取り上げ、応用分野ごとに進展内容を整理します。 医療応用:疾患診断支援への活用 医療の現場では、AIを使った脳波解析が、てんかんの発作や認知症、うつ病といった脳の病気の診断を助ける手段として注目されています。 たとえば、アメリカの大手医療機関「メイヨー・クリニック」では、10年にわたり約1万人以上の患者から集めた膨大な脳波データ(EEG)を、AIに学習させて解析する取り組みを進めています。AIはそのデータをもとに、認知症の兆候とされる特定の脳波パターン(後頭部のアルファ波の乱れや、デルタ波・シータ波の異常など)を自動で見つけ出すことに成功しました。 この技術により、アルツハイマー病とレビー小体型認知症といった、似た症状を持つ病気を見分けることも可能になると期待されています。 従来、脳波の判読には専門的な知識と経験が必要で、医師によって判断に差が出ることもありました。AIを使うことで、より客観的で精度の高い解析ができ、さらにMRIやCTなどの高額な画像検査に頼らずに、早期に異常を発見できる可能性が広がっています。 参考:Li, W., Varatharajah, Y., Dicks, E., Barnard, L., Brinkmann, B. H., Crepeau, D., Worrell, G., Fan, W., Kremers, W., Boeve, B., Botha, H., Gogineni, V., & Jones, D. T. (2024). Data-driven retrieval of population-level EEG features and their role in neurodegenerative diseases. Brain Communications, 6(4),  fcae227. https://pmc.carenet.com/?pmid=39086629 日常で使える脳波計:集中力とリラックスを可視化 近年では、イヤホン型の脳波計を用いて、日常生活の中で手軽に脳波を測定し、自分の集中度やリラックス度をリアルタイムで確認できるツールが登場しています。 代表的な製品が、脳波イヤホン「VIE ZONE」と連携するアプリケーション 「VIE Tunes Pro」 です。VIE ZONEは、音楽を聴きながら脳波の計測が可能なイヤホン型デバイスで、頭部に装着するだけで脳波データを取得できます。 このデータは、VIE Tunes Proアプリを通じてAIが解析し、ユーザーの集中度やリラックス度としてフィードバックされます。仕事、勉強、瞑想、サウナなど、さまざまなシーンで自分の状態を「見える化」できるのが特長です。 また、「ニューロミュージック」と呼ばれる脳科学に基づいた音楽コンテンツも搭載されており、ユーザーは自身の目的に合わせて選択することで、集中力やリラックス状態をサポートすることが可能です。 さらに、より詳細な解析を行いたい専門家や開発者向けには、専用アプリケーション 「VIE Streamer」 が提供されており、フーリエ変換による周波数帯解析や、独自のAIアルゴリズムによる状態分類なども可能です。 参考:VIE Streamer公式サイト エンタメ&VR分野:脳波でゲームをコントロール AIと脳波を組み合わせたエンタメ分野の活用も、近年注目を集めています。なかでも、2025年開催の大阪・関西万博「大阪ヘルスケアパビリオン」では、森永乳業とVIE株式会社が技術協力した「VR腸内クエスト〜手×声×脳波で戦う未来型シューティングゲーム〜」が話題です。 このゲームは、プレイヤー自身の腸内を舞台に、手の動作・声・脳波を使って「悪玉菌」と戦う没入型のVRコンテンツです。来場者のパーソナルヘルスレコード(PHR)に基づいて約1億通りの腸内環境ステージが生成される仕組みで、「ビフィズス菌!」と発声することで「ビフィズス菌爆弾」が発動し、腸内バトルを展開していきます。 この体験には、VIEが開発した有線型イヤホン型脳波計が活用されており、リアルタイムで取得した脳波がゲームに反映される仕組みとなっています。また、脳波の状態に応じてニューロミュージックが演出に組み込まれ、没入感を高めています。 参考:PR TIMES「VIE、森永乳業が大阪・関西万博「大阪ヘルスケアパビリオン」で出展する未来型シューティングゲーム「VR腸内クエスト」 で技術協力」 脳波解析を実用化するための機器選定と開発準備 脳波とAIを組み合わせた解析を業務や研究に導入する際には、目的に応じた適切な機器選定と、AIモデル・開発環境の整備、さらにデータの取り扱いフローを明確に設計することが重要です。この章では、実際に脳波×AI解析を導入するために押さえておくべき基本ポイントを3つに分けて解説します。 脳波計の選び方:精度・用途・装着性のバランス 脳波解析に使用する機器には、医療グレードの多チャンネルEEG装置から、一般向けの簡易型EEGデバイスまで多種多様な製品があります。選定時には以下のような要素を考慮することが大切です。 電極数と位置:解析精度に直結。特定部位の信号が必要な場合は、対応チャンネルが多い装置が有効。 装着性と携帯性:長時間の着用が必要な場合や、移動環境での使用には、軽量・ワイヤレス型が適しています。 目的との整合性:医療用途か、リサーチか、一般消費者向けかで最適な機器は異なります。 たとえば、簡易な状態可視化やエンタメ応用にはVIE ZONEのようなウェアラブル型が便利で、詳細な波形分析には多チャンネルの研究用EEGが適しています。 脳波計について詳しく知りたい方は、こちらの記事も参考にしてください。 https://mag.viestyle.co.jp/brainwave_electrode/ AIモデルと開発環境の整備:柔軟性と処理性能の両立 脳波データは、時間の経過によって常に変化する「時系列データ」であり、微弱な信号が多く含まれるため、解析には専門的なAIモデルと適切な開発環境が必要です。 まず、脳波解析に使われる代表的なAI開発フレームワークには、以下のようなものがあります: TensorFlow / Keras  Googleが開発した機械学習フレームワークで、世界中の教育機関や企業、研究者に広く使われています。特にKerasはシンプルな記述でAIモデルが作れるため、初心者にも扱いやすく、応用範囲も広いのが特長です。 PyTorch  Meta(旧Facebook)が開発したフレームワークで、柔軟なコードが書きやすく、実験的な開発やカスタムモデルの設計に適しています。モデルの動作をリアルタイムで確認しながら試行錯誤できるため、研究者や上級開発者に人気があります。 Edge AI(ONNX Runtimeなど)  小型のデバイスやウェアラブル機器の中でAIモデルを動かす「エッジ処理」に対応した環境です。脳波をその場で解析し、即座にフィードバックを返すようなリアルタイム用途で活用されます。 これらのAIフレームワークは、いずれもPythonというプログラミング言語で動作します。Pythonは文法がわかりやすく、AI開発のスタンダードとされており、学習コストも比較的低めです。 さらに、脳波データの処理には専用のPythonライブラリも併用されます。たとえば: MNE:脳波データの読み込み、可視化、前処理などを行えるオープンソースライブラリ NeuroKit2:心拍や脳波などの生体信号を扱う総合ライブラリで、特徴量の抽出にも便利です こうしたツールを組み合わせることで、AIモデルの開発と脳波解析の精度を両立しつつ、効率よく実装を進めることができます。 データの収集からAI学習まで:実務的な流れ 脳波AI解析を正確に行うためには、AIモデルを動かす前段階として、データの取得・整理・加工といった一連の「データフロー」をしっかり設計することが重要です。以下は、一般的な脳波解析プロジェクトで採用される標準的な流れです。 1. データ取得 最初のステップは、対象者の脳波データを記録することです。脳波計(EEG)を使ってリアルタイムに信号を取得し、その情報に加えて「いつ、どんな状況で記録されたか」といったタイムスタンプや被験者の属性情報(メタデータ)も一緒に保存しておく必要があります。これにより、後の解析や比較がしやすくなります。 2. ラベリング(データの意味づけ) 次に、取得した脳波データに「この時は集中していた」「これはリラックス状態だった」などの状態ラベルをつけます。この作業は、AIに正しい学習をさせるための「教師データ(正解データ)」を作る工程です。人の観察結果や、同時に記録された行動・環境情報をもとに、正確なラベリングを行うことが求められます。 3. 前処理と特徴量抽出 生の脳波データにはノイズ(まばたき、筋肉の動き、電磁干渉など)が多く含まれており、そのままでは使いづらいため、「前処理」が必要になります。具体的には以下のような処理が行われます: バンドパスフィルタ処理(特定の周波数帯だけ通す) アーチファクト除去(不要な信号を取り除く) データの正規化や分割 その後、AIが学習できるように、周波数情報(スペクトル解析)や時間変化の情報(時間領域解析)などを数値として取り出す「特徴量抽出」が行われます。 4. AIモデルによる学習と推論 準備が整ったデータを使って、AIモデルに学習させます。学習済みのモデルは、新しい脳波データを入力すると「これは集中状態」「これはリラックス」といった推論(分類・予測)を自動的に行えるようになります。目的に応じて、分類(状態の切り分け)や回帰(数値予測)、可視化(グラフ表示など)など、さまざまな応用が可能です。 このように、脳波AI解析は、ただデータを集めるだけではなく、ラベリングの精度や特徴量の質、学習データの量とバランスなど、いくつものポイントに注意を払うことで、ようやく信頼性の高い結果を得ることができます。 今後の展望と将来予測:脳波×AIの広がる可能性 脳波とAIの組み合わせは、現在すでに医療やヘルスケア、エンタメ領域での応用が進んでいますが、今後はさらに社会全体を変えるインフラ技術へと発展する可能性を秘めています。特に注目されているのが、脳と機械をつなぐ「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)」との融合や、医療・教育・ビジネス分野での長期的な活用です。 以下では、今後期待される技術連携や、社会に与える影響について具体的に見ていきます。 脳波とBMIの連携で広がる操作の自由度 ブレイン・マシン・インターフェース(Brain-Machine Interface:BMI)は、脳波などの神経信号を利用して、外部デバイスやコンピューターを直接操作する技術です。近年では、AIの進化により脳波からの信号解読精度が向上し、BMIの実用化が加速しています。 たとえば、重度障害を持つ人が、言葉を使わずにコンピューターを操作したり、義手や車いすを脳で制御する研究が進んでいます。今後は、ウェアラブル型脳波計とAIを組み合わせることで、医療・介護現場やスマートホームにおける非接触操作の標準技術としての導入が期待されています。 ブレイン・マシン・インターフェースについてより詳しく知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。 https://mag.viestyle.co.jp/brain-machine-interface/ 社会への影響:医療コスト削減と人間能力の拡張 脳波×AI技術は、長期的には社会構造そのものに影響を及ぼす可能性があります。特に医療分野では、早期診断やメンタルヘルス支援の効率化により、医療費の削減や慢性疾患の重症化予防に貢献するとされています。 さらに、教育や働き方改革の文脈でも注目されています。たとえば、集中力やストレス状態をリアルタイムに可視化することで、学習環境や職場環境の最適化に役立てられる可能性があります。これは「人間の知的生産性を拡張する技術」として、ニューロテクノロジーの次のステージを示唆しています。 このように、脳波×AI解析は医療や技術の枠を超え、社会全体の在り方を変えていくインパクトを持つと考えられています。 脳波×AIが切り拓く未来と可能性 本記事では、脳波とAIを組み合わせた解析技術の基本から、最新事例、導入方法、将来展望までを解説しました。脳波は「見えない脳の状態」を可視化する手段として、医療・ヘルスケア・エンタメ・産業分野での応用が広がっています。 導入を検討している方は、まず小規模なツールや簡易機器での計測・可視化から始め、実際のデータ運用を体験してみることをおすすめします。

進路に悩んだ日々:研究者・堀口さんの興味を引き出した出会い

今回は、カナダのトロント大学で「頭皮で測定される脳波と皮質内の脳波の違い」について研究されている堀口さんにお話を伺いました。インタビューの前半では、堀口さんの研究に至るまでの背景やこれまでの研究成果などについて詳しくご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 前半記事 ▶脳疾患の原因を追究する:トロント大学・堀口桜子さんが語る「正確な脳波計測技術」 今回のインタビューの後半では、堀口さんのパーソナルストーリーに焦点を当て、大学での生活や現在の趣味、研究活動に関するエピソードなどについて伺いました。 研究者プロフィール 氏名:堀口 桜子(ほりぐち さくらこ)所属:トロント大学 物理学科 生物物理学専攻研究室:CAMH, Temerty Centre for Therapeutic Brain Intervention Neurophysiology Team研究分野:計算論的神経科学、EEG、信号源推定(source localization) 脳疾患の理解を目指して:一冊の本がもたらした脳への興味 まずは改めて簡単に自己紹介をお願いします。 現在、カナダのトロント大学の学部4年生で、物理学科に所属しています。専攻は生物物理学で、物理学の原理や法則を用いて体の中で起こる現象を理解する方法を学んでいます。また、今年からトロント大学のCAMH(Center for Addiction and Mental Health)にて研究学生をしています。取り組んでいる研究のテーマは「脳波データを用いた脳活動の解析」です。具体的には、頭皮で測定したEEG信号と脳皮質での活動との関係を探ることに焦点を当てています。 脳に関心をもつようになったきっかけについて教えてください。 中学生のときに読んだマーティン・ピストリウスさんの『Ghost Boy』という一冊が、脳に興味をもつきっかけとなりました。この本では、全身が動かず言葉も話せないのに意識ははっきりしている『閉じ込め症候群』を患った著者が、周囲に自分の思いを伝えられないもどかしさの中で過ごした壮絶な闘病の日々と、そこからの回復の過程が描かれています。 この本を読んだ当時、脳や神経の損傷によって引き起こされるさまざまな症状に対して恐怖を感じると同時に、脳が私たちの身体と心を司る中心であることを強く実感し、その複雑さと精緻さに大きな魅力を感じました。 また、祖父がアルツハイマー病を患い、症状が進行していく様子を身近で見ていたことも脳に関心を抱くきっかけとなりました。脳疾患を患った祖父が、かつて当たり前のようにできていたことが徐々にできなくなるだけでなく、性格が次第に荒れていき、周囲との関係性にも変化が生じる様子を目の当たりにし、脳の病気が本人だけでなく家族や周囲の人々にも深い影響を及ぼすものだということを実感しました。 それから、こうした問題に苦しむ人を少しでも減らすにはどうすればよいのかと考えるようになり、脳や神経に関連する疾患について調べていくうちに、現在の研究にたどり着きました。 大学の授業や研究活動以外に脳科学に関わる機会はありましたか? 高校3年生のときに、脳波を使って脳震盪を診断するというプロジェクトに関わりました。当時は新型コロナウイルスの流行により、対面で脳波を測定することができなかったため、プロジェクトは計画立案の段階で終了してしまいましたが、そこで初めて脳波の存在を目の当たりにしました。 大学入学後は、脳波関連技術を用いたロボットサークルに所属して、ニューロテック分野のコンペティションに参加したり、脳波や他の生体情報から集中度をはかるアプリを開発しようとしていました。 自分の興味を引き出してくれた高校の先生 大学入学以前に進路を決定する上で悩んだことはありますか? 高校以前は、明確にやりたいことが見つからず、そのことに悩んでいました。先ほどお伝えした通り、中学生のときに脳に対する漠然とした興味はもっていたのですが、その時点では進路決定に影響するほどではありませんでした。 そのため、高校1年生時点での文理選択では、自分の選択肢を狭めたくないという思いから理系を選択していました。 どのようにしてその悩みを乗り越え、現在の進路に至ったのですか? 高校時代、先生が私の興味を引き出してくれたことで、「もっと学びたい」と思える分野に出会うことができました。たとえば、私が関心をもっていた分野を専攻している卒業生を紹介してくださったり、先ほどの脳波から脳震盪を診断するプロジェクトの立ち上げをサポートしてくださったりしました。 先生が私の関心を深めるために積極的に協力してくださったおかげで、将来について日常的に、しかも自分ごととして考える時間を多く持つことができました。 さらに、興味のある授業を履修していくなかで、改めて理系の進路で脳科学に関わっていきたいという思いが強まり、現在の進路を選択しました。 高校の先生との関わりを通じて、ご自身の興味の種を芽吹かせることができたのですね。 将来の不安はキックボクシングで吹き飛ばす 現在ハマっている趣味はありますか? もともと読書とドラマ鑑賞が好きで、2年ほど前からはキックボクシングとムエタイにハマっています。 キックボクシングとムエタイはどのような経緯で始めたのですか? キックボクシングは、母が家の近くにキックボクシングジムを見つけて、一緒に行こうと誘ってくれたことがきっかけで始めました。しかし、カナダではキックボクシングジムが見つからなかったため、代わりに同じように足を使った運動ができるムエタイを始めました。 ムエタイやキックボクシングを始めて、ご自身にプラスの影響はありましたか? 体を動かして、目の前のことに集中しなければならない時間を取るようになったことで、将来への不安を感じづらくなりました。 もともと、将来のことを考えて一日中悩み過ぎてしまうことが多かったのですが、昼からムエタイのジムに通うことで、頭をまっさらにして気持ちを切り替えるルーティンを作れるようになりました。 運動を通じて未来への不安を取り払う習慣を身につけられたのですね。それでは最後に、これから同じ領域に挑戦してみたい学生や若い研究者に向けて、メッセージをお願いします。 私の脳への興味が、偶然読んだ一冊の本がきっかけで始まったように、自分の興味のタネにいつ、どこで巡り合うことができるのかはわかりません。現在進路に迷っている人には、ぜひ常にアンテナを立てて、様々な可能性を視野に入れる柔軟性を大切にして欲しいと思います。 私も自分に舞い込むいろいろな機会を逃さないよう、毎日コツコツ努力することをこれからも大切にしていきます。 Braintech Magazineでは、ブレインテック関連の記事を中心にウェルビーイングや若手研究者へのインタビュー記事を投稿しています。 また、インタビューに協力していただける研究者を随時募集しています。応募はこちらから→info@vie.style

脳疾患の原因を追究する:トロント大学・堀口桜子さんが語る「正確な脳波計測技術」

脳の仕組みを解明し、人類の可能性を広げる研究分野として注目を集める「脳科学」。私たちVIEでは、この魅力的なテーマに挑む若手研究者に焦点を当て、彼らの研究内容や情熱に迫るインタビュー企画をスタートしました。 本企画は、さまざまな視点から脳科学の最新研究を紹介することで、読者の皆さまに脳の神秘や研究の楽しさをお届けするとともに、新しい視点で脳について考えるきっかけとなることを目指しています。 今回のインタビューでは、カナダのトロント大学で「頭皮で測定される脳波と皮質内の脳波の違い」について研究されている堀口桜子さんにお話を伺いました。インタビューの後半では、堀口さんのパーソナルストーリーをたっぷりご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 研究者プロフィール 氏名:堀口 桜子(ほりぐち さくらこ)所属:トロント大学 物理学科 生物物理学専攻研究室:CAMH, Temerty Centre for Therapeutic Brain Intervention Neurophysiology Team研究分野:計算論的神経科学、EEG、信号源推定(source localization) 測定された脳波から真の脳活動を探る技術 現在取り組まれている研究について教えてください。 私の研究テーマは、脳波データを用いた脳活動の解析です。具体的には、頭皮で測定したEEG信号から脳皮質で発生した信号活動を推定することに焦点を当てています。 EEG信号と脳皮質での活動の差異を推定するために、どのような手法を用いているのですか? 私の研究では、皮質の電気活動をより正確に再現するために、ソースローカライゼーション(source localization)という技術を使用しています。この技術では、脳内の電気活動が頭皮上でどのようなEEG信号を生じさせるかを数理モデルで表現し、実際に計測されたEEGとの誤差を最小にするように逆算することで、統計的に脳のどの部位がそのEEGを発生させたかを推定しています。 この方法を用いることで、脳波の信号がどの部位から発生しているかを特定することや、脳内で起こる様々な異常な活動を捉えることができると考えています。 EEG信号と脳皮質での活動には、どのような違いがあるのでしょうか? 脳波(EEG)は、脳の表面(脳皮質)で生じた電気活動が頭皮まで伝わってくる信号です。しかし、この伝わる過程で、ボリュームコンダクション(volume conduction)という現象によって、信号が弱まってしまったり、周囲に広がり、他の信号と混ざり合ってしまいます。そのため、実際に信号が発生した部位とは異なる位置で信号が記録されてしまうことがあります。つまり、頭皮で測定されるEEG信号は、脳の皮質で起こっている活動場所やパターンを正確に反映していない可能性があるのです。 このテーマを選んだきっかけや理由を教えてください。 兼ねてから脳のはたらきに対して興味をもっていたことと、研究成果が多様な脳疾患の分析に応用可能であることに魅力を感じたことから、このテーマを選びました。 加えて、脳波解析の技術に対する知見を深めることで、私の研究室が所属する研究センターの他のプロジェクトと連携できるのではないかと考えたこともこのテーマを選んだ理由の一つです。 この研究を通じて、研究室で行われている統合失調症やうつ病、依存症などの脳にかかわる疾患の診断や治療法の開発に携わることができる技術の開発に貢献することを目標にしています。 研究者ならば一度は感じる不安、それを乗り越えるためには 実験では被験者がどのような状態のときの脳波を測定するのですか? 実験に携わった数はまだあまり多くありませんが、主に健常者を対象に、タスクを行ったときの脳波とタスクを行うことを想像したときの脳波の測定を行っています。 たとえば、指を曲げたときに発生する脳波と指を曲げることを考えたときに発生する脳波を計測して、同じ脳波が見られるかといった実験を行っていました。 研究プロセスを進める上で、困難に感じたことはありますか? 現在の研究プロセスで直面している課題の一つは、自分が抱く疑問に対して明確な答えがまだないことに対する不安です。 大学の課題の物理の問題を解いているときとは異なり、脳の研究では調べてもすぐに全ての疑問が解決しないことが多く、「自分が進んでいる方向性は正しいのだろうか?」「これは何かに繋がるのだろうか?」といった不安が常にありました。 その不安とはどのように向き合ったのですか? 研究室の修士の先輩に相談したところ、この不安は研究者ならば誰もが一度は感じる悩みであるということを教えていただいたことで、研究には新しいことを常に学べる楽しさと、それに伴う不確実性がつきものだと受け入れることができました。 また、この不安を払拭するためには研究分野に関連する参考文献をたくさん読んで、知識を深めなければならないということも教わりました。 取り組んでいるテーマが新しい分野であったり、他の人が目を向けていないトピックである場合、直接自分の研究に関連する参考文献が見つからないこともあります。しかし、そのような場合でも、少しでも関連がある文献を探し、幅広い知識を蓄えることで不安は少しずつ解消できるそうです。 これからは、たくさんの論文を読み、さまざまな方々の話を聞き、異なる分野に触れることで、多くの知識を吸収し、研究を深めていきたいと思っています。 様々な人に支えられた経験を活かして これからどのように研究活動に取り組みたいと考えていますか? 自分の研究が他のプロジェクトにどのような影響を与えるかを考えつつ、様々な人と意見交換をしながら研究を進めたいと考えています。 私一人の知識だけでは、脳や物理に関する視点からしか研究を進めることができませんが、他分野を専門とする人の意見を取り入れることで、これまでにない新しいアプローチを見つけられると考えています。だからこそ、他の人との関わりを大切にし、自分の枠を超えていきたいと思っています。 また自分のプロジェクト以外の活動として、現在、大学で女子学生の理系進学を支援するメンターの役割を担っています。 私が研究の道に進むことができたのは、周りの人のサポートがあったからこそだと感じているので、今度は自分がこれから研究の道に進もうとする学生の背中を押したいと考えています。 そして願わくば、脳に関心をもってくれる人が増えて欲しいと思っています。 今後の活動に対する意気込みを教えてください。 現在研究に関しては、まだ明確な成果が出せていません。しかし、研究室に配属されてから最先端の研究に間近で触れることができ、研究に真摯に向き合う教授や多くの修士・博士学生と知り合うことができたことは、自分にとって非常にありがたく、実りのある経験となりました。 また、次々と新しいアイディアが議論され、プロジェクトが立ち上げられる現場にメンバーとして参加できたことは、脳に対する魅力を再認識するきっかけとなりました。 この一年間研究活動を通して得た経験をもとに、今後も脳に関わる道を進んでいきたいと強く感じています。 インタビューの後半では、堀口さんの研究者を目指すまでの経緯や学生に向けたメッセージについて伺いました。特に、現在進路決定に悩んでいる学生さんは必見の内容となっています。ぜひ併せてご覧ください。 後半記事 ▶進路に悩んだ日々:研究者・堀口さんの興味を引き出した出会い

坐禅と瞑想の違いとは?禅の文化と瞑想のつながり・実践法を解説

慌ただしい毎日の中で、心がざわついたり、気持ちが落ち着かないと感じることは珍しくありません。そんな現代において、静けさと向き合う時間として注目されているのが「禅瞑想」です。 古くから仏教の修行法として親しまれてきた禅の思想と、近年科学的にも注目される瞑想が結びつくことで、心と体のバランスを整える新しい実践法として広がりを見せています。 本記事では、禅瞑想の基本から実践法、文化的背景までをやさしく解説。初めての方でも安心して取り組めるよう、丁寧に紹介していきます。 禅と瞑想の違いとは?似ているようで異なるポイントを解説 「禅」と「瞑想」は、どちらも心を落ち着ける方法として注目されていますが、実は起源や実践の目的、姿勢などに違いがあります。一方で、共通する部分も多くあるのも特徴です。ここではまず、それぞれの定義を明確にしたうえで、共通点と相違点を整理していきます。 禅とは何か 禅とは、中国で生まれた「禅宗」という仏教の教えに由来します。日本には鎌倉時代に伝わり、曹洞宗や臨済宗といった宗派として発展しました。 禅では、静かに座る「坐禅」が最も基本的な修行とされます。坐禅では、呼吸や姿勢に意識を向けながら、心を落ち着かせ、湧き上がってくる思考や感情に囚われず、それらに流されない「無念無想」の状態を目指します。 瞑想とは何か 瞑想とは、意識的に心を静め、内面に集中する精神的なトレーニングの総称です。宗教的な背景を問わず、世界各地の伝統に存在しており、近年では医療やビジネス分野でもストレス軽減や集中力向上を目的として活用されています。 姿勢や方法は様々で、静かに座るだけでなく、歩いたり呼吸を数えたりと多様なスタイルがあります。 瞑想についてより詳しく知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。 https://mag.viestyle.co.jp/meditation/ 禅と瞑想の共通点:意識の集中と心の静けさ 禅と瞑想には、「今この瞬間」に意識を向けるという共通点があります。どちらも、頭の中の考えごとをいったん手放し、感情に振り回されない穏やかな心の状態を目指します。 さらに、呼吸や姿勢に注意を向けることで、自分自身の内面と向き合うことができる点も共通しています。近年では、ストレスの軽減や脳機能の向上といった効果が科学的にも認められています。 禅と瞑想の違い:宗教的背景と実践スタイル 禅と瞑想の大きな違いは、宗教的な背景と実践の目的にあります。禅は、元々は仏教、なかでも禅宗に根ざした宗教的な修行法です。一方、瞑想は宗教に限らず、さまざまな分野で取り入れられている心のトレーニング法といえます。 現代においては、禅の要素を取り入れた瞑想が、宗教的な背景にとらわれずに実践されることも増えており、その意味で禅と瞑想は互いに重なり合う部分も持ち合わせています。 また、実践方法にも違いがあります。禅では「坐禅」と呼ばれる、決まった姿勢と所作が重要視されますが、瞑想は座るだけでなく、歩いたり横になったりと、自由なスタイルで行うことができます。さらに、禅が「悟りの境地」に至ることを最終的な目的とするのに対し、瞑想はリラクゼーションや集中力の向上、ストレス解消など、目的が多様です。 次の章では、禅がどのように仏教や日本文化の中で育まれてきたのか、その歴史と背景を見ていきましょう。 禅瞑想と日本文化のつながり 禅瞑想は、仏教の中でも「禅宗」に深く根ざした実践です。その影響は、日本の精神文化や芸術にも色濃く残っています。この章では、禅がどのように日本に伝わり、瞑想とともに文化の中で受け継がれてきたのかを見ていきます。 禅宗の歴史と坐禅の意味 禅宗は、6世紀ごろに中国で達磨大師(だるまたいし)によって始まったとされる仏教の一派です。特徴は、経典や理論に頼るのではなく、坐禅を通じた直接的な体験によって悟りを目指す点にあります。この実践的な教えは中国で発展し、鎌倉時代に日本へ伝えられました。日本では、臨済宗や曹洞宗といった宗派が広まり、禅の教えは武士階級のあいだで精神的な支えとして重んじられるようになります。 禅宗の修行の中心となるのが「坐禅(ざぜん)」です。これは、決まった姿勢で静かに座り、呼吸と意識をととのえながら、浮かんでくる雑念を手放していくというものです。何かを考えたり感じ取ろうとするのではなく、ただ静かに坐り続けることで、思考や感情に支配されない「無念無想」の状態を目指します。そうした姿勢の中に、禅の精神が息づいているのです。 武士道や芸道に受け継がれる「静」の精神 鎌倉時代から室町時代にかけて、禅の精神は武士の生き方に大きな影響を与えました。厳しい現実の中で心を静かに保ち、自分を律するという考え方は、やがて「武士道」の根幹にもつながっていきます。 また、禅の思想は茶道や華道、書道といった日本の芸道にも深く根づいていきました。これらの芸道に共通するのは、余計なものを削ぎ落とした「簡素な美」や、集中力と心の静けさを重んじる姿勢です。動作の一つひとつに心を込め、無心で向き合うという点で、禅と芸道は本質的に重なっています。 さらに、「わび・さび」と呼ばれる、日本独自の美意識――静けさや不完全さの中に美を見いだす感性も、禅の価値観と通じるものがあります。静かで控えめな美しさを尊ぶこの感覚は、禅が日本文化に深く根を下ろした証といえるでしょう。 現代に生きる“無心”の価値 禅の精神において大切にされているのが、「無心(むしん)」という考え方です。これは、あれこれと思い悩んだり感情に振り回されたりせず、今この瞬間に意識を集中し、物事をあるがままに受け止める姿勢を意味します。 こうした「無心」の境地は、茶道や書道のような芸道の中でも重視されてきましたが、現代社会においてもその価値は変わりません。忙しさや情報にあふれる日常の中で、心を静めて自分自身と向き合う時間は、多くの人にとって必要とされているのです。 禅瞑想は、こうした心の在り方を養うための手段として、過去と現代をつなぎながら、今も多くの人に実践されています。 禅瞑想の基本ステップをわかりやすく解説 「禅瞑想を始めてみたいけれど、どうすればいいのかわからない」という初心者の方も多いかもしれません。禅の瞑想は、道具をそろえる必要がなく、静かな場所と少しの時間があればすぐに始められるシンプルな実践です。 ここでは、坐禅の姿勢・呼吸・意識の整え方、さらには動きながらの瞑想方法まで、基本的なステップを順を追って紹介します。 姿勢をととのえる:坐禅と半跏趺坐(はんかふざ)の基本 禅瞑想では、安定した姿勢を保つことが重要です。代表的なのが「坐禅」の姿勢で、あぐらの一種である「半跏趺坐(はんかふざ)」が基本となります。片方の足をもう一方のももの上に乗せ、背筋をまっすぐに伸ばします。 手は「法界定印(ほっかいじょういん)」という形に組みます。左の手のひらを上にして右の手のひらの上に重ね、両方の親指の先をそっと合わせ、おへその前あたりに軽く置きます。顎を引き、視線は1~1.5メートル先の床に落とすのが一般的です。椅子に座って行う「椅子坐禅」でも問題ありません。無理のない姿勢を選びましょう。 呼吸をととのえる:数息観(すそくかん)と自然呼吸 姿勢が整ったら、呼吸に意識を向けます。禅瞑想でよく用いられるのが「数息観(すそくかん)」という方法です。息を吐くたびに「一、二…」と数を数え、十まで数えたらまた一に戻る、というサイクルを繰り返します。 呼吸は鼻から自然に行い、吸う息よりも吐く息をゆっくりと意識するのがポイントです。慣れてきたら数を数えず、自然な呼吸の流れそのものに注意を向ける「随息観(ずいそくかん)」に移行しても良いでしょう。 意識のととのえ方:雑念とのつきあい方 瞑想中は、ふとした瞬間に雑念や感情が浮かんでくることがあります。しかし、それを無理に排除しようとする必要はありません。「今、こんな考えが浮かんできたな」と気づき、それに執着せず、そっと意識を呼吸に戻します。 大切なのは、「考えてはいけない」と抑え込むのではなく、「気づいて、戻る」を繰り返すことです。これこそが、禅瞑想における「無心」へと近づくための基本的な姿勢です。 動く禅瞑想:歩行禅や日常動作への応用 禅の瞑想は、静かに座るだけにとどまりません。「歩行禅(ほこうぜん)」と呼ばれる、ゆっくりと歩きながら行う瞑想もあります。足裏の感覚や一歩一歩の動作に意識を向け、心の動きを観察します。 また、日常の家事や動作の中でも、動きを丁寧に行い、意識を今この瞬間に向けることで、瞑想の質を生活に取り入れることができます。歯を磨く、食器を洗う、階段を上る――こうした日々の動作が、そのまま禅瞑想の時間になり得るのです。 参考:VIE株式会社「京都 建仁寺夜間拝観「ZEN NIGHT WALK KYOTO」来場者数1万人を突破」 忙しい現代人向け!続けやすい禅瞑想の実践アイデア 実は、禅の瞑想は短時間でも効果が期待でき、忙しい日常の中にも取り入れやすい方法です。 ここでは、初心者でも無理なく始められて、習慣化しやすい禅瞑想の実践アイデアを紹介します。生活のすき間時間を活用することで、無理なく継続できる工夫が満載です。 1日5分から始める「プチ坐禅」習慣 坐禅と聞くと長時間座るイメージがありますが、最初は1日5分からで十分です。朝起きた直後や夜寝る前など、時間帯を決めて短く実践することで、生活の中に自然と禅瞑想を取り入れることができます。 姿勢は半跏趺坐が基本ですが、無理なく座れるなら椅子に座っても問題ありません。静かな場所を選び、背筋を伸ばし、呼吸に意識を向けることがポイントです。時間が短くても、「続けること」こそが大切です。 アプリや動画を活用してガイド付きで実践 近年では、瞑想や坐禅のガイドを提供するスマートフォンアプリやYouTube動画が充実しています。たとえば「InTrip」「Relook」などの日本語対応アプリでは、初心者向けに短時間の音声ガイドが用意されています。 また、YouTubeでは、禅寺の僧侶が解説する坐禅動画やオンライン坐禅指導も視聴可能です。耳で聞きながら実践できるので、自宅にいながら本格的な禅瞑想を体験できます。 オンライン坐禅会で気軽に参加体験 外出せずに本格的な禅瞑想を体験したい方には、オンライン坐禅会の参加がおすすめです。たとえば永平寺や妙心寺の関連団体では、Zoomなどを使った坐禅体験を定期的に開催しています。 なかでも「月曜瞑想」として知られる取り組みは、毎週決まった時間に短い坐禅を行うスタイルで、参加のハードルが低く人気です。ひとりでは続かないという方も、共に坐る仲間がいることで継続しやすくなります。 禅瞑想のよくある悩みと継続のコツ 禅瞑想を始めたばかりの頃は、「集中できない」「時間がない」「なんとなく苦しい」といった悩みが出てくることがあります。これは誰にでも起こる自然な反応です。 ここでは、そうした悩みへの具体的な対処法と、禅瞑想を無理なく続けるためのコツをご紹介します。 集中できないときは「戻る」練習と割り切る 雑念が湧いて集中できないときは、自分を責めず、「気づいて戻る」ことを繰り返しましょう。禅瞑想は、完璧な集中を目指すものではなく、意識がそれたことに気づき、呼吸へ戻ること自体が大切な練習です。 瞑想が苦しいと感じたら、無理せず休む 坐っていて苦しく感じるときは、姿勢や時間の調整が必要かもしれません。無理に我慢するのではなく、短時間で切り上げる、椅子を使うなど柔軟に対応しましょう。つらさを避ける工夫も、長く続けるためには重要です。 習慣化のコツは「タイマー」と「朝のルーチン」 毎日同じ時間に実践する「朝のルーチン」として取り入れると、継続しやすくなります。タイマーで5分だけと決めることで、心理的ハードルも下がります。短くても続けることが、禅瞑想の効果を実感する第一歩です。 VIE株式会社が提供する音楽アプリ「VIE Tunes」では、瞑想の効果を高める「ニューロミュージック」を、タイマー機能とあわせて聴くことができます。こうしたアプリを活用することで、無理なく禅瞑想を続けるサポートになります。 禅瞑想で心身のバランスを整えよう 禅瞑想は、心を静めるとともに、集中力やストレス軽減にも効果的です。まずは短時間から無理なく始めて、日常に“静けさ”を取り入れてみましょう。

ADHDの子どもに効く?シリアスゲームによるデジタル治療(DTx)の最新研究

子どもがゲームばかりしていると、つい心配になってしまいますよね。しかし、もしそのゲーム自体が「治療」として機能するとしたらどうでしょうか? 最近では、デジタル治療(DTx)と呼ばれる、ソフトウェアを使った新しい医療のかたちが注目を集めています。たとえば2020年、アメリカで世界初の処方用ゲーム治療として『EndeavorRx』というADHD児童向けのビデオゲームがFDA(食品医薬品局)によって承認されました。 さらに2023年にはISO(国際標準化機構)がデジタル治療を「エビデンスに基づくソフトウェアによる介入」と正式に定義するなど、DTxは医療業界で急速に存在感を増しています。 注目が集まる「ゲーム型アプローチ」 そうした流れの中で、注目を集めているのがADHD(注意欠如・多動症)という発達障害への応用です。ADHDは主に子どもの頃に現れやすく、注意力の散漫さや落ち着きのなさ(多動・衝動性)といった症状が、日常生活に影響を及ぼします。 薬による治療が一般的なADHD支援ですが、副作用や長期間の使用に不安を感じる保護者も少なくありません。そこで今、薬に頼らない新しいアプローチとして注目されているのが、「シリアスゲーム」と呼ばれるタイプのゲームです。これは遊びを目的とするのではなく、治療や訓練といった明確な目的をもって設計されたゲームを指します。 実際、音楽や運動の要素をゲームに組み合わせることで、ADHD症状を改善する試みも成果を上げています。ゲームは子どもにとって身近で魅力的なため、楽しみながら治療的効果を得られる一石二鳥のアプローチになるかもしれません。 35本の研究を分析:ADHD児童にゲームがもたらす影響とは こうした流れを受けて、2025年5月には医学ジャーナル『JMIR Serious Games』に、ADHDの子どもに対するシリアスゲームの効果を総合的に検証した新たな系統的レビュー研究が発表されました。 このレビューでは、2010年から2024年初頭までに発表された論文の中から、厳格な選定基準に基づいて35件を抽出し、合計1,408人の参加者データをもとに分析を行っています。 対象は主に6~18歳のADHD傾向の子ども達で、報告されている限りでは参加者の約3/4が男児(男女比660:228)でした。レビュー対象の論文は医学・心理学からコンピュータサイエンス、教育工学、デザイン分野まで多岐にわたり、使われたゲームも多彩です。 たとえば、35件の研究のうち約4割(37%)では、体の動きを使って操作するタイプのゲームが採用されていました。これは、Microsoft社が開発したKinectセンサーのような、身体の動きをカメラで読み取る装置を活用したもので、画面の前でジャンプしたり手を動かしたりすることでゲームが進行します。さらに、VR(仮想現実)技術を取り入れたゲームも複数存在し、子どもがより没入しながらトレーニングに取り組めるよう工夫されていました。 ゲームのタイプとしては、1人で取り組む「シングルプレイヤー型」が全体の約9割(89%)と最も多く見られましたが、中には協力プレイや対戦要素を取り入れたゲームもあり、社会性やコミュニケーション力の向上を目指した設計も確認されました。 シリアスゲームが目指す「伸ばしたい力」とは? 本レビュー論文では、各研究が子どもたちのどのような力を伸ばすことを目的にゲームを使っていたか、そして実際にどのような効果が得られたかを分析しています。また、ゲームに対する子どもたちの反応や楽しさ、受け入れられ方についても注目されました。 その結果、最も多かったのは注意力の向上を目指した研究で、全体の80%を占めていました。続いて、多動性・衝動性の抑制(29%)、考える力や記憶力といった実行機能(43%)、体の動きに関わる運動技能(20%)、友達との関わり方などの社会的スキル(17%)を対象とした研究が見られました。 「楽しい」だけじゃない、ゲームがもたらした具体的な効果 ADHDの子どもにとって、どんな力がゲームによって実際に変化したのか。ここでは、レビューで特に注目された主な効果と子どもたちの反応を項目ごとに見ていきます。 注意力 注意力は、ADHDの症状の中でも特に重要とされ、対象となった35件の研究のうち8割が注意力の向上を目的としており、最も多く取り上げられていた項目でした。 ゲームを使ったトレーニングの後には、注意の持続時間や集中力が向上したとする報告が多数見られました。効果の測定には、子どもの行動特性を評価するConners3(コナーズ評価尺度)や、認知的な注意力をチェックするBIA(Behavioral Inattention Assessment)といった心理検査、課題実行テストなどが用いられました。また、教師や保護者による観察も評価に加えられ、ゲームによる介入は注意力の改善に有効であると結論づけられています。 多動性・衝動性 多動性や衝動性に注目した研究は全体の約3割とやや少なめでしたが、ゲームを通じて衝動をコントロールする力を鍛える工夫が数多く見られました。 たとえば、「すぐにボタンを押したくなるような刺激が出ても、それを我慢できたら得点がもらえる」といった「あえて待つ」ことを促すルールを取り入れたゲームでは、実際に子どもたちの落ち着きのなさが軽減されたという報告があります。 こうした逆転のルールによって、衝動を抑える力=抑制力を育てることができ、多くの研究で改善が確認されました。なお、一部の研究では有意な変化が見られなかったケースもあり、効果のばらつきについては今後の検証が求められています。 社会的スキル 対人関係のスキル(社会性)をテーマにした研究は全体の17%と少なめでしたが、協力プレイや会話を取り入れたゲームによって、子どもたちの社交性に良い変化が見られたという報告が複数ありました。 たとえば、友達と一緒に協力してミッションを進めるゲームや、画面上のキャラクターと視線を合わせる練習(アイコンタクト)ができるゲームなどが使われました。こうした体験を通じて、コミュニケーションの取り方や他人との関わり方が改善したという結果が多くの研究で示されています。 運動技能 運動能力への効果を調べた研究は全体の20%にとどまっており、その結果については慎重な解釈が求められます。 たとえば、Kinectのようなセンサーを使って体全体を動かすタイプのゲームでは、手と目をうまく連動させる力(ハンドアイコーディネーション)の向上が確認されました。 しかし、走る・跳ぶといった全身の運動能力そのものに対するはっきりした効果は、多くの研究で示されていませんでした。 研究によって評価方法やゲーム内容が大きく異なることもあり、運動スキルへの影響については、今後さらに丁寧な検証が必要とされています。 実行機能 実行機能とは、たとえば「計画を立てて行動する力」「記憶を一時的に保持して使う力(ワーキングメモリ)」「状況に応じて柔軟に考え方を変える力(認知の柔軟性)」など、思考や行動をコントロールするための力のことを指します。 この分野に焦点を当てた研究は全体の43%にのぼり、ADHDの子どもにとって重要な課題のひとつとされています。 多くのゲームでは、ミニゲームを繰り返しプレイすることで、ワーキングメモリの強化や問題解決力の向上を目指していました。 たとえば、答え方をその都度変えなければならない認知の柔軟性を求められるパズルや、すばやく反応しながらも「あえて反応しない」選択を求めるGo/No-Go課題などがゲーム化され、実際に子どもたちの認知面での成績向上が報告されています。 ゲームへの反応・楽しさ 今回のレビューでは、子どもたちがシリアスゲームをどのように受け止めているかにも注目されました。その結果、89%の研究でゲームへの反応は肯定的だったと報告されています。 インタビューやアンケートでは、「またやりたい!」「楽しかった!」といった声が多く、子どもたちが楽しみながらリハビリに取り組んでいる様子がうかがえました。 一方で、ゲームに慣れてくると「簡単すぎる」と感じて興味を失ってしまうという指摘もあります。実際、難易度を子どもの上達に合わせて調整する仕組みを取り入れた研究は全体の45%にのぼり、飽きさせない工夫が成果につながっていることが分かりました。 治療のハードルを下げる、やさしいテクノロジー 今回のレビューで分析された35本の研究は、シリアスゲームがADHDの子どもたちに与える治療的な可能性をしっかりと裏付ける内容となっています。中でも、注意力の改善においては特に一貫した効果が見られ、これは従来のリハビリ手法に対して、有効な補完策あるいは薬に代わる新しい選択肢になり得ることが示されています。 そして何より、ゲームならではの「楽しいから続けたい」という気持ちが、子どもたちに自然なかたちで治療を継続させる力になっている点は大きな特長です。薬を嫌がる子でも、「ゲームならやってみたい」と思えるかもしれません。これは、日々悩みを抱える保護者にとっても、希望の持てるアプローチと言えるのではないでしょうか。 遊びと治療の融合という一見ギャップのある組み合わせですが、今回のレビューは読者に、そんな意外性の中にある大きな可能性を私たちに示してくれました。 子どもたちが笑顔で楽しみながら、自分の特性と向き合っていく。 シリアスゲームは、そんな新しいADHDケアのかたちを切り拓く存在として、今後ますます注目されていきそうです。 今回紹介した論文📖 Lin, J., & Chang, W. R. (2025). Effectiveness of serious games as digital therapeutics for enhancing the abilities of children with attention-deficit/hyperactivity disorder (ADHD): Systematic literature review. JMIR Serious Games, 13, e60937.

腸は「第2の脳」:腸内環境とメンタルヘルスの意外な関係

ストレスでお腹の調子が悪くなる、なんとなく気分が晴れない──こうした「こころ」と「お腹」のつながりは、近年「脳と腸の関係」として科学的にも注目されています。腸は単なる消化器官ではなく、神経・ホルモン・免疫を通じて脳と情報をやり取りしており、「第2の脳」とも呼ばれるほどです。 この記事では、腸と脳がどのように影響し合っているのかを最新研究とともに解説し、日々の生活で取り入れられる具体的なケア方法まで詳しく紹介します。腸のことを知れば、心の健康へのアプローチも変わってくるかもしれません。 腸は「第2の脳」と言われる理由 人の腸には、「第2の脳」と呼ばれる特別な神経のしくみがあります。これは腸管神経系(ENS)といい、食べ物を運ぶための動きや消化液の分泌を、自分でコントロールできるはたらきを持っています。脳からの命令がなくても、腸だけで動くことができるのが大きな特徴です。 腸は、自分の力で消化をコントロールするだけでなく、自律神経や迷走神経を通じて、脳ともやりとりしています。このように腸と脳がたがいに情報を送り合うしくみは、「脳と腸の関係(脳腸相関)」と呼ばれています。 なお、本記事では腸→脳に影響を与える際は「腸脳相関」、脳→腸に影響を与える際は「脳腸相関」と記載しています。 腸管神経系とは何か? 腸管神経系は、「第2の脳」と呼ばれるとおり、食道から直腸までの消化管にびっしりと広がる神経のネットワークです。特に、「筋肉のあいだ」や「粘膜の下」にある2つの神経の集まりが、腸の動きや消化液の出し方をうまくコントロールしています。 この神経たちは、感じる・動かす・つなぐといった役割をもち、30種類以上の神経伝達物質(アセチルコリン、セロトニン、ドーパミンなど)を使って、腸の中でたくさんの情報のやりとりを行っています。 腸の情報を脳に届ける「迷走神経」のはたらき 腸と脳をつなぐ神経の中でも、とくに大切なのが迷走神経です。この神経は、なんと約90%が腸から脳へと情報を送っています。つまり、脳は腸からの信号を受けて、気分や感情に影響を受けることがあるのです。 たとえば、緊張するとお腹が痛くなったり、ストレスで下痢になることがありますよね。これは、腸と脳が迷走神経でつながっているからこそ起こる現象なのです。 幸せホルモンは腸で作られる? 実は、腸は神経伝達物質の宝庫ともいえる存在です。体の中のセロトニンの約90%、ドーパミンの約50%が腸で作られていると言われています。これらの物質は、腸の動き(蠕動運動)を調整したり、気分に影響を与えたりする重要なはたらきを持っています。 とくにセロトニンは「幸せホルモン」とも呼ばれ、腸と心のつながりを考えるうえで欠かせない存在です。ただし、腸で作られたセロトニン自体は脳に直接届くわけではありません。その代わり、セロトニンの材料となるトリプトファンが腸から脳に運ばれ、脳内でセロトニンが作られます。 また、腸内細菌が作り出す短鎖脂肪酸などの物質が、間接的に脳内のセロトニン合成に影響を与える可能性も指摘されています。腸で作られたセロトニンは、主に腸の働きを調整するのに使われています。 腸と脳はどうやってつながっている?3つの情報伝達ルート 腸と脳は「神経」「ホルモン・免疫」「腸内細菌」の3つのルートを介して、双方向にコミュニケーションしています。ここでは、それぞれの経路がどのようなしくみで働いているかを詳しく見ていきましょう。 腸と脳を直接つなぐ神経のしくみ:迷走神経と自律神経 腸と脳のあいだで、もっともスピーディーに情報をやり取りするのが、神経のルートです。とくに重要なのが「迷走神経」で、腸の中で何が起きているかを、脳にリアルタイムで伝えています。 さらに、自律神経(交感神経と副交感神経)もこのしくみに関わっています。これらの神経は、食べ物を消化するスピードを調整したり、腸の血流や腸内環境を整えたりと、体の中で腸と脳の橋渡しをしています。 迷走神経と自律神経は、まさに腸と脳を直接つなぐ情報の高速道路のような存在です。 血液を通じた腸と脳の会話:ホルモンとサイトカインの役割 腸は、消化だけでなくホルモンや免疫物質(サイトカイン)を作り出す「情報発信基地」としての役割も担っています。これらの物質は、血液の流れに乗って脳を含む全身に信号を送るしくみになっています。 たとえば、腸内に炎症が起こると、「IL‑6」や「TNF‑α」などのサイトカインが血中に放出され、これが脳に届くと、気分の落ち込みやイライラ感などのストレス反応が現れることがあります。つまり、腸の炎症や免疫の乱れが、心の不調の一因になる可能性があるのです。 さらに、脳と腸をつなぐ迷走神経は、アセチルコリンという神経伝達物質を介して、過剰な炎症反応を抑える役割も担っています。この迷走神経を介した抗炎症作用により、腸内の炎症がコントロールされることで、気分の落ち込みや集中力の低下といった脳への悪影響も緩和されると考えられています。 腸内細菌が心に影響? 最近の研究で特に注目されているのが、腸内細菌(腸内フローラ)が脳とやりとりするしくみです。腸内細菌は、短鎖脂肪酸(SCFAs)という物質(例:酪酸、酢酸、プロピオン酸)を作り、これが腸の神経や免疫細胞に影響を与えています。これらの物質は、腸のバリア機能を高めたり、炎症を抑えたりする働きもあります。 さらに、腸内細菌はGABA(不安を和らげる物質)やセロトニン前駆体など、脳に関係する神経伝達物質やホルモンを生み出すことが知られており、これらは迷走神経や血液を通じて脳に届く可能性があります。 このしくみを通じて、腸内環境が感情の安定、ストレスへの耐性、記憶力や集中力の維持などに関わっていると考えられています。また、腸内細菌のバランスが乱れることで、うつ病やパーキンソン病、アルツハイマー病などのリスクが高まるという研究も進んでいます。 腸と脳の深いつながり:健康と疾患への影響 腸と脳の密接な関係は、単に気持ちや消化にとどまらず、多くの病気や健康問題に関与しています。ここでは、代表的な3つのケースを具体的に解説します。 腸脳相関の代表例:過敏性腸症候群(IBS) 過敏性腸症候群(IBS)は、腹痛や便通の乱れを特徴とする消化器の病気で、世界の5~10%の人が悩んでいると言われています。主な症状としては、腹痛や腹部の不快感、下痢や便秘、あるいはそれらを繰り返すことが挙げられます。 この病気の原因は、腸と脳のやりとり(腸脳相関)の乱れ、腸内細菌のバランスの崩れ、ストレスや不安などの心理的要因などが複雑に関係していると考えられています。特に最近では、腸内環境の悪化が神経や免疫の働きに影響を与え、症状を引き起こす可能性が注目されています。 そのため、IBSの治療には薬だけでなく、食事の内容を見直したり、ストレスを減らす工夫をしたりすることが効果的です。また、心の不安をやわらげるためのカウンセリング(認知行動療法)を受ける人もいます。 最近では、ヨーグルトやサプリメントなどで腸内の菌バランスを整える方法(プロバイオティクス)や、お腹に負担をかけにくい食べ物を選ぶ「低FODMAP食」も注目されています。 参考: Harvard Health Publishing “Pay Attention to Your Gut-Brain Connection — It May Contribute to Anxiety and Digestion Problems” メンタルヘルス(うつ・不安):腸から心へ届く信号 うつ病や不安障害といった心の病気も、実は腸内環境と深い関係があることがわかってきました。最近の研究では、腸の炎症がサイトカインという免疫物質を通じて脳に影響を与え、神経のバランスを乱すことで、気分の落ち込みや不安感につながることが指摘されています。 また、腸内にいる細菌のバランスが崩れる「腸内フローラの乱れ(ディスバイオーシス)」も、メンタルの不調に関わっていると考えられています。このような状態になると、腸で作られるセロトニンなどの神経伝達物質が減少し、心の安定が保ちにくくなります。 その他の疾患:パーキンソン病や認知症の関係 最近の研究では、パーキンソン病や認知症といった脳の病気が、腸の状態と関係している可能性が注目されています。特に、腸内細菌のバランスが崩れたり、腸に慢性的な炎症が起こると、腸の神経細胞に「α-シヌクレイン」という異常なタンパク質が蓄積し、それが神経を介して脳に広がり、病気の進行につながる可能性が指摘されています。 また、最近の研究では、口の中にいる細菌(例:歯周病菌)が腸まで届き、腸内で炎症を起こすことで、認知機能の低下や神経の変性を進める可能性も指摘されています。 このように、脳の病気にも「腸内環境」や「細菌の影響」が関わっているとする新しい視点が広がっており、将来的には腸を整えることで神経疾患を予防・改善できる可能性も期待されています。 参考:nature “Parkinson’s gut-microbiota links raise treatment possibilities” 研究で明らかになった腸と脳の関係 近年では動物実験や新概念によって、腸と脳の関係性がこれまでよりもはるかに深いことがわかってきました。ここでは、その中でも特に注目されている3つのテーマをご紹介します。 腸内細菌がないとどうなる? 腸内細菌が脳に与える影響を調べるために、科学者たちはさまざまな実験を行ってきました。その中でも特に注目されているのが、「無菌マウス」と呼ばれる、腸内に細菌をまったく持たないマウスを使った研究です。 この実験では、無菌で育てられたマウスは、通常のマウスに比べて不安行動が少なく、社会性やストレス反応、記憶機能などが大きく異なることが確認されました。 さらに、これらの無菌マウスに通常の腸内細菌をあとから入れる(移植する)と、社会性の低さなど一部の異常な行動が改善されることも確認されています。特に幼少期の腸内細菌の存在が、脳の発達に重要な役割を果たすと考えられており、腸と脳の関係を裏付ける重要な研究成果となっています。大人になってからも、腸内環境は脳の働きや気分に影響を与えることがわかってきています。 参考:Heijtz, R. D., Wang, S., Anuar, F., Qian, Y., Björkholm, B., Samuelsson, A., Hibberd, M. L., Forssberg, H., & Pettersson, S. (2011). Normal gut microbiota modulates brain development and behavior. Proceedings of the National Academy of Sciences, 108(7), 3047–3052. こころに効く腸内細菌「サイコバイオティクス」とは? 最近、腸と脳のつながりに注目が集まる中で登場したのが、「Psychobiotics(サイコバイオティクス)」という考え方です。これは、腸内環境を整えることで、ストレスや不安、うつ症状などの「こころの不調」をやわらげることが期待される菌や食品のことを指します。 ハーバード大学などの研究によると、腸内にいる細菌たちは、神経・ホルモン・免疫などを通じて脳と絶えずやり取りしており、その影響は気分、行動、さらには脳の発達や老化にも関わることが分かってきました。また、先述した通り特定の腸内細菌はセロトニンやGABAといった神経伝達物質のバランスにも関係しているため、「お腹を整えることが心の健康にもつながる」という視点が生まれています。 現在、乳酸菌やビフィズス菌などのプロバイオティクスが、実際にストレスや不安感の軽減に役立つかを調べる臨床研究も進んでおり、今後は心のケアにも菌が活用される時代がやってくるかもしれません。 参考:Sarkar, A., Lehto, S. M., Harty, S., Dinan, T. G., Cryan, J. F., & Burnet, P. W. J. (2016). Psychobiotics and the Manipulation of Bacteria–Gut–Brain Signals. Trends in Neurosciences, 39(11), 763–781. インテロセプション:体内感覚が“こころ”にする役割 腸と脳の関係をより深く理解するうえで、近年注目されているのが「インテロセプション(interoception)」という考え方です。これは、心拍、呼吸、空腹感、腸の動きなど、体の内側で起こっている変化を脳が感じ取るしくみを指します。私たちが「なんとなく不安」「落ち着かない」と感じるとき、実はこの体内の情報処理が背景にあることが多いのです。 この感覚は、自律神経や迷走神経などを通じて脳に伝えられ、島皮質や前帯状皮質を含む感情や意識に関わる脳の領域で処理されます。そしてそれが、私たちの気分、判断、ストレスへの反応に影響を与えるのです。 たとえば、過敏性腸症候群(IBS)の患者では、腸の違和感に対して脳が過剰に反応することが確認されており、こうした「体内からの信号」に対する感じ方のズレが、不安やうつなどのメンタル不調と関係している可能性も指摘されています。 現在では、マインドフルネス瞑想、呼吸法、バイオフィードバックなどを使って、このインテロセプションの感度やバランスを整える取り組みが、新しいメンタルケアの方法として期待されています。 参考:Alhadeff, A. L., & Yapici, N. (2024). Interoception and gut‑brain communication. Current Biology, 34(22), R1125–R1130. 腸と脳の健康を支える3つの習慣 腸と脳の強い結びつきを背景に、日常で取り入れやすい3つの習慣を紹介します。食事・生活習慣・サプリメントの観点で、腸脳相関を意識したケアを続ければ、心身の健康維持に効果が期待できます。 食事で整える腸と脳のリズム 腸と脳の健康を保つには、まず腸内細菌が元気に働ける環境づくりが欠かせません。そのために重要なのが、日々の食事です。腸内細菌のエサとなる食物繊維(全粒穀物、豆類、野菜、果物など)を意識して摂取することで、腸内環境が整いやすくなり、腸が作り出す神経伝達物質や代謝物の働きもサポートされます。 また、発酵食品(ヨーグルト、キムチ、納豆、味噌など)は生きた菌を体内に届ける手段となり、多様な色の野菜は、さまざまなビタミンや抗酸化物質を補ううえで効果的です。これらの食品をバランスよく取り入れることで、腸内細菌が短鎖脂肪酸(SCFA)をつくりやすくなり、結果的に腸と脳のスムーズな情報交換=腸脳相関を支えることにつながります。 生活習慣で整える方法 腸と脳の健康を支えるには、日々の生活習慣も見直すことが欠かせません。特に、ストレスは自律神経を乱し、腸内環境や脳の働きに悪影響を及ぼすことがあります。こうした影響を防ぐためにも、ストレスとうまく付き合う生活の工夫が大切です。 たとえば、深呼吸やマインドフルネス、適度な運動は、心身をリラックスさせ、自律神経のバランスを整えるのに効果的です。また、自然の中で体を動かす「グリーンエクササイズ」は、ストレス軽減や気分転換に役立つとされており、腸と脳の健全なやりとりを後押しします。 十分な睡眠や規則正しい生活リズムも含め、こうした日常の積み重ねが、腸と脳のつながりを良好に保つ基本となります。 サプリやプロバイオティクスの選び方 腸と脳の健康をサポートする目的で、プロバイオティクス(乳酸菌やビフィズス菌など)を取り入れる人が増えています。これらは、ストレスの緩和や過敏性腸症候群(IBS)の改善に効果があるとする研究もありますが、菌の種類や製品によって効果に差があるため注意が必要です。 製品を選ぶ際は、臨床試験などの科学的根拠がある商品を基準にするのがおすすめです。また、腸内の善玉菌を育てる食物繊維やプレバイオティクス(イヌリンやフルクトオリゴ糖)も、あわせて意識するとより効果的です。 腸を整えれば、心も整う 腸と脳は神経、ホルモン、免疫などを通じて密接につながっており、この「腸脳相関」は私たちの体調や気分、行動にも影響を与えています。腸内環境を整えることで、ストレスに強くなったり、不安や落ち込みが和らいだりする可能性もあるのです。 そのためには、食物繊維や発酵食品を含む食事、ストレスをためにくい生活習慣、信頼性のあるプロバイオティクスの選択など、日常の小さな積み重ねが大切です。腸を意識した暮らしが、こころと体の両方を整える第一歩になるでしょう。

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