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自分の“好き”に従い研究の道へ:『恋愛の脳科学』研究者・藤崎健二さんの背景と原点

今回は、京都大学大学院で「恋愛の脳科学」の研究に取り組まれている藤崎さんにお話を伺いました。インタビューの前半では、藤崎さんの研究に至るまでの背景やこれまでの研究成果などについて詳しくご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 https://mag.viestyle.co.jp/interview05/ インタビューの後半では、藤崎さんのパーソナルストーリーに焦点を当て、幼少期の生活や現在の趣味、研究に関するエピソードなどについて伺いました。 研究者プロフィール 氏名:藤崎 健二(ふじさき けんじ)所属:京都大学大学院 文学研究科 博士後期課程研究室:阿部研究室研究分野:恋愛、対人認知、fMRI 就職か進学かーー背中を押したのは自身の経験と一冊の本 ── まずは改めて簡単に自己紹介をお願いします。 現在は京都大学大学院文学研究科に所属し、研究に取り組んでいます。学部時代は慶應義塾大学理工学部で、脳波や心拍などの生理指標の解析に取り組んでいました。その後、恋愛関係の維持や構築を支える脳の仕組みについて深く研究したいと思い、大学院から京都大学に進学しました。 ── 大学院への進学はいつから考え始めましたか? 大学3回生の冬頃から、大学院への進学を考え始めました。元々は大学卒業後に就職するつもりでしたが、就職活動を進める中で、自分の心の声に従って好きなことや楽しいと思えることを仕事にしたいと思うようになりました。そんなとき、学部時代に図書館で偶然手に取ったのが『人はなぜ恋に落ちるのか?: 恋と愛情と性欲の脳科学』という一冊でした。恋愛の脳研究を専門にする第一人者の研究に触れたことで、昔から関心のあった「恋愛のしくみ」について本格的に研究したいという気持ちが強まり、大学院進学を決めました。 ── 始めは研究者になることは考えていなかったのですね。研究テーマの根幹となる、恋愛のメカニズムへの関心はどういった経緯でもつようになったのでしょうか。 自分自身の恋愛経験が大きかったと思います。これまでの人生の中で、特定の相手に強く惹かれる経験を通じて、恋愛がもたらす多幸感や心の揺れ動きは、日常で経験する感情とは質的に異なる、非常に特別なものだと実感しました。そうした体験から、なぜ恋愛はこれほどまでに人の感情や行動に強く影響を与えるのか、その背景にある脳の働きについて関心を持つようになりました。 ── ご自身の経験が研究へのモチベーションだったのですね。元々考えていた進路を変更する上で、苦労されたことはありますか? 周りの友人のほとんどが大手企業の就職を目指す中で、別の道を選ぶのは不安もあり、勇気が要る決断でした。そんな中、幸いにも同じように研究の道を志す先輩方が身近にいて、その存在が自分の背中を押してくれました。 人生のモットーはイチロー選手への憧れから ── 子供のころは脳科学以外にどのようなことに興味を持っていましたか? 小さい頃から、生き物に強い興味がありました。幼稚園の頃は昆虫が好きで、「昆虫博士」と呼ばれていたこともあります。小学生になると犬を家に迎え、高校時代には海外の爬虫類などを飼育していました。今でもいろんな動物が好きですが、犬が1番愛おしいです。 ── 様々な生き物に関心をもち続けた半生だったのですね。子供のころからの興味が現在まで続いているとのことですが、他にも今の自分に影響を与えた出来事や影響を受けた人物はいますか? はい、元メジャーリーガーのイチロー選手から大きな影響を受けました。小学校から中学3年生まで野球を続けていたこともあり、当時からイチロー選手は馴染みのある存在でした。あるとき、読書感想文のために彼に関する本を読んだことをきっかけに、その生き方や考え方に深く共感し、自分も彼のように信念を持って道を切り開いていける人になりたいと思うようになりました。 ── 具体的にはイチロー選手のどのような姿に影響を受けたのでしょうか? 好きなことを徹底して追求する姿勢に、強く影響を受けました。イチロー選手が野球という好きなことに出会い、誰よりも打ち込んできたからこそ、あれだけの成果を残せたのだと思っています。その姿勢は、「好きなことや楽しいと感じられることを大切にしたい」という、私自身の価値観の原点となっており、大学院進学を決める上でも大きな指針になりました。 また、直面する課題に対して原因の仮説を立て、検証し、改善へとつなげていくというイチロー選手の姿勢にも強く惹かれました。単に努力するのではなく、常に思考を巡らせながら自分を高めていくその在り方に、深い知性と探究心を感じました。 とはいえ、「修学旅行でも握力トレーニングを終えるまでは友達と遊ばなかった」という彼のストイックさについては尊敬しつつも、自分にはまだ難しいと思ってしまいます(笑) 研究は楽しい!ーーこれからの研究者に伝えたいこと ── 普段はどのように過ごされているのですか? 研究活動が生活のほとんどを占めています。その他には、研究室のリサーチアシスタント業務や、学部時代にアルバイトとして勤めていた会社からの委託業務などに取り組んでいます。 ── 研究やその関連活動が生活の一部となっているのですね。息抜きとして何か取り組んでいることはありますか? 今は料理にハマっています。昔から美味しい料理が好きで、学部時代は服と食べ物にバイト代を費やしていました。しかし、3年前に東京から京都に引っ越したことで美味しいお店と出会う頻度が減ってしまったので、節約も兼ねて自分で料理をするようになりました。最近はお肉やチーズの燻製料理にハマっています。 ── 最後に、これから同じ領域に挑戦してみたい学生や若い研究者に向けて、メッセージをお願いします。 研究に興味がある方には、「研究は楽しい!」ということをお伝えしたいです。アカデミアには自分の興味関心を探究できる世界が広がっており、大変なことも多いですが、この道を選んで本当に良かったと思っています。 少しでも関心がある方は、ぜひ勇気を出して、実際に研究をしている方の話を聞いてみることをおすすめします。近い分野でご活躍されている研究者の方々とは、研究に関する議論を深めたり、将来的に共同研究を行うなどのかたちでつながりを持てれば幸いです。 BrainTech Magazineでは、ブレインテック関連の記事を中心にウェルビーイングや若手研究者へのインタビュー記事を投稿しています。また、インタビューに協力していただける研究者を随時募集しています。 応募はこちらから → info@vie.style

脳の働きから恋愛のメカニズムを探求する:京都大学・藤崎健二さんが語る「恋愛の脳科学」

脳の仕組みを解明し、人類の可能性を広げる研究分野として注目を集める「脳科学」。私たちVIEでは、この魅力的なテーマに挑む若手研究者に焦点を当て、彼らの研究内容や情熱に迫るインタビュー企画をスタートしました。 本企画は、さまざまな視点から脳科学の最新研究を紹介することで、読者の皆さまに脳の神秘や研究の楽しさをお届けするとともに、新しい視点で脳について考えるきっかけとなることを目指しています。 今回のインタビューでは、京都大学大学院で「恋愛の脳科学」の研究に取り組まれている藤崎健二さんにお話を伺いました。インタビューの後半では、藤崎さんのパーソナルストーリーをたっぷりご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 https://mag.viestyle.co.jp/interview06/ 研究者プロフィール 氏名:藤崎 健二(ふじさき けんじ)所属:京都大学大学院 文学研究科 博士後期課程研究室:阿部研究室研究分野:恋愛、対人認知、fMRI 始まりは身近な感情への興味ーー恋愛感情への関心から脳科学の研究へ ── 現在取り組まれている研究について教えてください。 私は、いわゆる「恋愛の脳科学」というテーマについて研究しています。具体的には、fMRIによって得られた脳活動のデータを解析することで「恋愛関係の構築や維持を支える認知神経メカニズム」の解明を目指して研究を進めています。 ── どのようなきっかけで恋愛と脳の関係に関する研究を始めたのですか? きっかけは、好きな人や恋人に対して抱くときめきや安心感といった特別な情動が、どのような仕組みによって生まれるのかを純粋に知りたいと思ったことでした。また、私は昔から人の行動や認知、感情、そして人格の基盤となる脳に強い関心を抱いてきました。恋愛における特別な思いも、脳の働きによって生み出されていると考え、脳神経科学の視点から恋愛を捉える研究に興味をもちました。そして、恋心や愛情のメカニズムを解明することが、人々のより良い関係を築く手助けになると考え、この研究に取り組むことになりました。 ── 一般的に恋愛感情や恋愛関係の在り方は個人によって異なると考えられますが、研究に取り組まれる上で「恋愛」はどのような感情として定義していますか? 私は、恋愛関係を「他者との親密で排他性を伴う関係」と定義しています。同性の親しい友人関係とは異なり、恋愛関係には親密さに加え、相手と特別なつながりを共有し、注意や感情、時間を相互に優先的に分かち合うという特徴があります。さらに、このような高いコミットメントを伴う関係は、他者との親密・性的な関係を制限する排他性を備えており、それが恋愛関係を規定する重要な要素の一つとされています。 「男女の友情」は脳科学的に実在するのか? ── 具体的に、どのように研究を進められているのか教えてください。 fMRI(機能的磁気共鳴画像法)という脳活動を可視化する技術を用いて、恋人に関する脳内での情報処理について研究しています。特に、報酬や快感に関与する「側坐核」と呼ばれる脳部位の活動に注目して、研究を進めています。 恋愛と脳の関連については、ドーパミンやオキシトシンという脳内伝達物質の話が有名ですが、これらの知見の多くはプレーリーハタネズミという一夫一妻の動物モデルの研究から生まれています。プレーリーハタネズミの研究では、側坐核でのドーパミンやオキシトシンの伝達や、関係の成熟に伴う側坐核の可塑的な変化が、パートナーとのいわゆる一途な絆の形成・維持に重要であることが示されています。同様に、ヒトでも側坐核において、パートナーに関する特別な処理が行われていることを示唆する研究はいくつかありますが、恋人と異性の友人を比較した際の側坐核活動の違いに関する知見は、これまで一貫していませんでした。 従来のfMRI研究では、脳を立体的に分割した「ボクセル」ごとに活動を測定し、特定の領域の平均的な活動の強さを評価する方法が主に用いられてきました。これに対して私の研究では、側坐核内の空間的な活動パターンそのものに着目し、情報処理の特徴をより詳細に捉える解析を行っています。 ── 人間のパートナーへの絆も側坐核で行われていると考え、従来よりも応用的な手法で側坐核の活動を測定したのですね。測定からはどのような結果が得られましたか? 測定と解析の結果から、脳活動パターン上では、異性の友人は恋人よりも同性の友人に類似していること、恋人と異性の友人の脳活動パターンは識別可能なことが判明しました。さらに、恋人に関する情報処理の特別さは交際期間に応じて失われ、次第に異性の友人に近いパターンへと変化する傾向が見られました。 ── では、失恋してしまったときの脳はどのような状態になるのでしょうか? 失恋後の脳は、渇望・苦痛・自己制御がせめぎ合う複雑な状態にあると考えられています。具体的には、報酬系が活性化し、拒絶された相手への強い渇望が持続します。同時に、身体的・情動的な痛みに関わる領域や、感情のコントロールを担う前頭前野も活動を示します。 こうした脳の反応は、薬物依存の離脱症状と非常によく似ているとされます。また、失恋後には抑うつ症状などが現れることもありますが、時間の経過とともに徐々に和らぎ、回復へと向かうことが知られています。 ── 脳活動と実際の恋愛活動は互いに深く影響し合っているのですね。 今後の展望と課題 ── 恋愛関係の科学的な理解は、様々な人間関係の問題に対して影響を与えると考えられますが、藤崎さんはこの成果が社会にどのような影響を与えると考えますか? 恋愛関係の複雑さはこれまで「感覚的」に語られてきた側面が大きいと思いますが、この研究の成果により、なぜパートナーは特別な存在なのか、なぜ時間が経つにつれてパートナーへの思いは移り行くのか、その一端を脳科学的に捉えることができると考えています。 上記の発見は学術分野においては、心理学・社会学・進化心理学といった幅広い分野での議論に新たな証拠を与えますし、社会的には、カップルセラピーなどを通した応用、将来的には恋愛関係に関する一般的理解の推進にもつながるのではないかと期待しています。また、恋愛や結婚は、多くの人の人生に深く関わるテーマであり、関係性の質は心の健康や幸福にも大きく影響します。とりわけ、夫婦関係のあり方は、夫婦自身の幸福だけでなく、子どもの発達にも密接に関係しています。私の研究は、こうした関係の仕組みを脳と心の両面から理解することで、より良い関係づくりを後押しし、人々の豊かな人生に貢献することを目指しています。 ── 今後の研究の方針について教えてください。 恋愛関係のあり方や恋愛スタイルには大きな個人差がありますが、脳の観点からこうした違いに迫る研究はまだ限られています。例えば、恋人との親密な関係を避けがちな人や、過度に不安になって相手を強く求めてしまう人といった愛着スタイルの違いが、脳のどのような働きの違いに由来しているのかを今後明らかにしたいと考えています。 さらに、「恋人に対して何かをしてあげるときと、友人に対して同じことをする場合では、異なる心理的メカニズムが働いているはずだ」という仮説に基づき、恋人への利他的な行動を支える脳のメカニズムの解明についても取り組む予定です。 ── どちらも人々の良好な恋愛関係を支える素敵な研究ですね。 インタビューの後半では、藤崎さんの研究者を目指すまでの経緯や学生に向けたメッセージについて伺いました。特に、これから研究の道に進もうと考えている学生さんには必見の内容となっています。ぜひ併せてご覧ください。 https://mag.viestyle.co.jp/interview06/

機械学習で進化するMI-EEG解析──脳波×AIの最新研究まとめ

頭の中で手を握る動作を思い描く──それだけでも、脳は小さな信号を発しています。その微細な脳波を正しく読み取ることで、人は「考え」を機械に伝えることができるかもしれません。 このような仕組みはMotor Imagery EEG(MI-EEG)と呼ばれ、いま世界中の研究者たちが開発競争を繰り広げている分野です。 今回は、MI-EEGの技術の広がりと、その歩みを追った2024年発表の論文 「Enhancing motor imagery EEG signal decoding through machine learning: A systematic review of recent progress」をもとに、近年注目されている機械学習と脳波技術の融合によって、どのように「考えるだけで伝わる世界」が実現に近づいているのかを、わかりやすくお届けします。 MI-EEGの仕組みと課題 MI-EEGとは、ある特定の運動を思い浮かべたときに脳波に現れる、特有の変化=パターンを読み取り、「右手を動かそうとしている」「足を動かそうとしている」といった想像内容を解読する技術です。 この脳波のパターンは、脳の運動をつかさどる領域(運動野)の活動によって生じます。たとえば右手の動きを想像すると、左脳の特定のエリアが反応し、そこに特徴的な脳波の変化が表れます。この変化を検出することで、思い描いた動作を推定し、機器の操作などに応用することができるのです。 ところが、こうしたEEG信号は非常に微弱で、まばたきや筋肉の動きなどのノイズに埋もれやすく、個人差も大きいという厄介な性質があります。そのため、従来の非侵襲的なBCI(Brain-Computer Interface)では、せいぜい「はい・いいえ」といった単純な意思しか読み取れないという限界がありました。 さらに、脳波の出方には人それぞれ違いがあるため、脳波を判別するモデルは利用者ごとに一から調整し直す必要があり、これも実用化における大きな壁のひとつとなっていました。 加えて、脳波は波の強さ(振幅)やリズム(周波数)といった特徴が、時間や体調によって変化する非定常な信号です。必要な脳の信号よりもノイズが目立ってしまうことも多く、信号対雑音比(SNR)が低いという特性も、安定した解析を難しくしていました。 MI-EEG解析における機械学習・深層学習の進化 こうした課題を打破しつつあるのが、近年の機械学習(ML)、とりわけ深層学習(ディープラーニング, DL)の技術です。実は、BCI分野では以前から機械学習によって脳波のパターンを分類する研究が行われてきました。しかしその多くは、EEGデータをモデルで扱うために、「どの周波数帯に注目すべきか」「どの脳の部位が反応しているか」といった特徴を見極めて選び出す作業(特徴抽出)や、それをもとに分類モデルを動かすための細かなパラメータ設定が欠かせませんでした。 これらの工程には、豊富な知識と経験が必要で、システム構築には多くの時間と手間がかかっていたのです。 しかし2017年頃から、状況が大きく変わり始めました。BCI Competition IVやPhysioNetなど、複数の被験者による運動想起タスクの脳波を収録した、大規模なオープンデータセットが次々と公開され、これを活用して高性能な深層学習モデルが脳波解析に本格的に導入されるようになったのです¹。 深層学習の強みは、生の時系列データから自動で意味のある特徴を学習できることにあります。従来は専門家が行っていた周波数帯の選択や空間フィルタの調整といった作業を、モデルが自ら学びながら処理してくれるようになりました。 この技術によって、MI-EEGのように複雑でノイズの多い信号でも、より柔軟かつ高精度に脳波を読み取ることが可能になってきました。 ¹ Hossain, K. M., Islam, M. A., Hossain, S., Nijholt, A., & Ahad, M. A. R. (2023). Status of deep learning for EEG-based brain–computer interface applications. Heliyon, 9(3), e14029. 主な深層学習モデルとMI-EEGへの応用 具体的に、近年のMI-EEGデコーディングで活躍している深層学習モデルや手法には、以下のようなものがあります。 CNN(Convolutional Neural Network:畳み込みニューラルネットワーク) 脳波には、「どの場所の電極で信号が強く出ているか」といった空間的な分布や、「どの周波数の信号が目立つか」といった周波数の特徴が含まれています。こうした情報を自動で見つけ出せるのが、CNNという深層学習モデルです。 このモデルは、もともとは画像認識の分野で活躍してきたモデルで、画像の中から形や模様を見分けるのと同じように、脳波の形や波のリズムを見つけ出せるのが特徴です。 実際、従来用いられていたCSP(共通空間パターン)+LDA(線形判別分析)といった機械学習アプローチに比べ、 CNNベースのモデルは、より柔軟に複雑な脳波パターンを扱うことができ、特にうまく脳波で意思を伝えられなかった被験者でも、分類精度が向上したという報告もあります²。 ² Hameed, I., Khan, D. M., Ahmed, S. M., Aftab, S. S., & Fazal, H. (2022). Classification of motor imagery EEG using deep learning increases performance in inefficient BCI users. PLOS ONE, 17(7), e0268880. RNN(Recurrent Neural Network:再帰型ニューラルネットワーク) 脳波のように「時間とともに変化するデータ」を扱う場面では、RNNという深層学習モデルが使われます。RNNは、過去の情報を記憶しながら現在の情報を処理できるのが特徴です。 たとえば、ある動作を思い描いたとき、脳波には一瞬だけでなく、時間の流れに沿って特徴的な変化が現れます。RNNはこのような時系列のパターンを捉えるのが得意で、「いつ、どんな変化があったか」といった情報を生かして分類を行うことができます。 このおかげで、静止画のような断片ではなく、時間の流れに沿った変化として信号を読み取れるようになり、より安定した分類が可能になりました。 転移学習(Transfer Learning) 転移学習では、あらかじめ多くの脳波データを使って学習させたモデル(ベースモデル)を使い、それを新しい利用者やタスクに合わせて、少ないデータで効率よく調整することができます。 たとえば、「右手を動かす想像」といった共通の脳波パターンをすでに学習済みのモデルがあれば、新しい人の脳波を少しだけ読み込むだけで、その人専用のモデルをすばやく作ることができるのです。 これにより、大量のデータを用意したり、毎回ゼロから学習し直したりする負担を大幅に減らすことができ、特にデータが取りにくい医療・福祉現場などでの活用にも期待が高まっています。 このように機械学習、とりわけ深層学習の導入によって、MI-EEG信号の解読精度は飛躍的に向上しました。実験室レベルでは、頭に装着した電極から得られる脳波だけで「右手」「左手」「両足」など複数種類の運動想像をかなりの精度で分類できるようになってきています。 たとえば、EEGNetというモデルは、とてもコンパクトな構造のCNNとして設計されており、データ量が限られている場面でも、高い精度で動作することが特徴です³。少ない学習データでも安定して使えるように工夫されていて、実際に多くの研究で活用が広がっています。 ³Lawhern, V. J., Solon, A. J., Waytowich, N. R., Gordon, S. M., Hung, C. P., & Lance, B. J. (2018). EEGNet: A Compact Convolutional Network for EEG-based Brain-Computer Interfaces. Journal of Neural Engineering, 15(5), 056013. MI-EEG技術を社会に届けるために乗り越えるべきこと 深層学習によってMI-EEGの解析精度は大きく向上しましたが、それを活用した応用システム(MI-BCI)として実用化するには、まだ乗り越えるべき課題も残されています。 たとえば、装着が簡便な簡易EEGデバイスでは、高性能な研究用システムと比べると信号品質が高くないため、日常利用にはノイズ対策が重要になってきます。またアルゴリズム面では、ユーザーが長時間使っても都度再学習しなくて済むような、高い汎用性や継続的学習の仕組みが求められています。 幸いなことに、こうした課題に対しても研究は進んでおり、脳波データを増強するデータ拡張手法や、異なる個人間でモデルを融通するドメイン適応技術、他の生体信号と組み合わせたハイブリッドBCIなど、様々なアプローチが提案されています。まさに人間の脳と機械をつなぐ架け橋として、MI-EEG技術は機械学習との融合によって日々アップデートされているのです。 近い将来、例えばリハビリテーションの現場で患者さんが頭で思い描くだけでロボットスーツを動かし、運動機能回復を助ける――そんな光景が当たり前になるかもしれません。ブレインテック最前線のMI-EEG×機械学習の進化から、これからも目が離せません。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより MI-EEGと深層学習の組み合わせは、これまで読み取りが難しかった脳の信号をより正確に扱える技術へと押し上げています。 実用化にはまだいくつかのハードルがありますが、個人ごとの違いやノイズの多さを乗り越えるための工夫も進み、MI-EEGは実際に使える技術へと着実に近づいています。 BrainTech Magazineでは、こうした研究の進展とその社会実装への動きを、これからも丁寧に伝えていきます。 📝本記事で紹介した研究論文 Hameed, I., Khan, D. M., Ahmed, S. M., Aftab, S. S., & Fazal, H. (2023). Enhancing motor imagery EEG signal decoding through machine learning: A systematic review of recent progress. Biomedical Signal Processing and Control, 84, 104960.

五月病対策:新生活の疲れを乗り越えて心も軽やかに

五月病ってなに? 4月は入学や就職など新生活のスタートでワクワクしますよね。しかし、ゴールデンウィーク明け頃になると「なんだかやる気が出ない…」と感じる人が増えてきます。日本ではこの時期に見られる軽い憂うつ症状のことを俗に「五月病」と呼びます。 五月病は、新しい環境に適応できないまま連休を挟んで心身の疲れが出てしまい、気分が落ち込んだり、無気力になったりする状態です。医学的には「適応障害」などと診断されることもあります。症状としては、憂うつな気分ややる気の低下のほか、不安感や焦りが出たり、人によっては不眠、疲労感、食欲不振など体の不調を感じることもあります。 実はこの五月病は、学生から新社会人、ベテランの社会人まで誰にでも起こり得るものです。新年度の緊張が一段落するとホッとしますが、その反動で心にぽっかり穴が空いたように感じたり、長い休み明けで日常に戻るのが億劫になったりすること、ありませんか?それが「五月病」のサインかもしれません。 五月病かな?と思ったら 「もしかして五月病かも」と思ったら、まずは自分の心と体の状態に気付いてあげましょう。「最近なんだか元気が出ないな」「朝起きるのがつらい」といったサインに気づくことが第一歩です。 五月病は一過性のことが多いので、深刻に捉えすぎずに「ああ、今ちょっと疲れているんだな」と受け止めてみてください。自分を責めたり無理に奮い立たせたりする必要はありません。大切なのは、少し肩の力を抜いてリラックスすることです。 五月病の対策あれこれ では、気分が落ち込んでしまったときにどんな対策ができるでしょうか?ここでは、ビジネスパーソンから学生まで誰でも実践できるいくつかのヒントを紹介します。 適度に気分転換をする 勉強や仕事の合間に少し散歩をしたり、好きな音楽を聴いたりしてみましょう。新緑の季節でもありますし、外の空気を吸って軽く体を動かすだけでも、気分がリフレッシュします。趣味の時間をとることもおすすめです。 誰かと話す・つながる 一人で塞ぎ込まずに、信頼できる友人や家族に今の気持ちを話してみましょう。愚痴でも構いません。話すことで心が軽くなることがあります。また、以前の学校の友人や地元の仲間などと、久しぶりに会ってみるのも良い気分転換になります。 生活リズムを整える 夜更かしをせず十分な睡眠をとり、バランスの良い食事を心がけましょう。疲れているときほど基本的な生活習慣が乱れがちですが、実はそういう時こそ生活リズムを整えることが、心身の回復につながります。 逆に、ストレス発散のために暴飲暴食に走るのは逆効果です。お酒やジャンクフードに頼りすぎると、かえって体調を崩したり、後悔したりするので注意してください。 小さな目標を作る 「たまっていたメールの返信を全部片付けたら、自分にご褒美」「授業の後に好きなスイーツを食べる」など、ちょっとした楽しみを用意しておくのも効果的です。大きな目標でなくて構いません。小さな「楽しみ」や「達成感」を積み重ねることで、日々のモチベーションを維持しやすくなります。 必要なら専門家に相談を どうしてもつらいときや自分では対処しきれないと感じるときは、遠慮なく専門家に相談しましょう。学生であればスクールカウンセラーや保健室の先生、社会人であれば産業医や社内の相談窓口を利用するのも一つの手です。プロに話すのは勇気が要るかもしれませんが、心の健康のために恥ずかしがる必要はありません。 心のウェルビーイングとライフバランスを大切に 五月病の対策を考えることは、自分のメンタルヘルス(心の健康)やライフバランスを見直すことにもつながります。最近よく耳にする「ウェルビーイング」とは、心身ともに健康で充実した状態を指します。新生活で頑張ることも大切ですが、同時に自分が心地よく過ごせるバランスを取ることも同じくらい大事です。 今回紹介したように、適度に休息を取ったり人とつながったりすることは、心のウェルビーイングの第一歩です。心の元気が戻れば、新しい環境にも前向きに適応していけるでしょう。学校や仕事も大事ですが、自分自身の心と体はもっと大切にしてくださいね。 まとめ ゴールデンウィーク明けの憂うつ感は、決して珍しいものではありません。誰でも疲れたときはありますし、五月病かな?と思ったら焦らずに、今回紹介したような対策を試してみてください。そうすることで、「なんだ、意外と大丈夫かも」と心が軽くなってくるはずです。無理をしすぎず、自分のペースで日々を過ごすことで、きっと新しい季節を笑顔で乗り越えていけますよ。

音楽を聴いた「喜び」や「安心」が脳波でわかる?──脳が感じる音楽の“気持ち”を読み解く

「音楽を聴くと心が踊る!」そんな経験、きっと誰にでもありますよね。でも、どうして音楽がこれほどまでに私たちの感情を揺さぶるのでしょうか? その謎に、脳波(EEG)を使って迫ろうとする最新のブレインテック研究が登場しました。2024年にIEEEで発表された注目の研究では、音楽を聴いているときの脳波から、その人の感情を4つのカテゴリーに分類するというチャレンジが行われています。 今回は、音楽と脳の意外なつながり、そしてこの研究から見えてくる新しい可能性について、わかりやすくご紹介します。 音楽を聴いているとき、脳では何が起きているのか? 今回紹介するのは、2024年にIEEEで発表された最新研究「EEG-Music Emotion Recognition: Challenge Overview」です。この研究では、音楽を聴いているときの脳波(EEG)に注目し、そこから「喜び」「安心」「悲しみ」「怒り」といった感情を推定することにチャレンジしています。 脳波とは、頭の表面から記録できる微弱な電気信号で、私たちの脳が活動している証のようなものです。音楽を聴いているとき、脳はこの信号を通してさまざまな反応を見せてくれます。 また、音楽は人の感情を強く動かす刺激として知られており、実際に「楽しい」「切ない」「緊張する」など、聴いているだけで気持ちが大きく揺れ動くこともあります。こうした感情の動きが、脳波のパターンにも現れるのではないか――そんな仮説のもと、研究チームは脳波から感情を読み取ることに挑戦しました。 このアプローチは、今までの「表情や心拍から感情を推測する」という方法とは一味違います。というのも、脳波は脳内で直接起こっている活動を捉えるため、音楽による微細な感情の変化もより直接的に反映されるからです。もちろん、脳波自体は非常に微弱でノイズも多く、解析は簡単ではありませんが、ディープラーニングをはじめとする最新の機械学習技術によって、そうした複雑なパターンの解明も少しずつ可能になりつつあります。 好きな曲 vs 初めての曲、脳はどう反応する? この研究では、20代〜30代の被験者34人が参加し、音楽を聴いているときの脳波を記録しました。使われた曲は16曲で、半分は被験者が選んだ“お気に入りの曲”、もう半分は他の人が選んだ“初めて聴く曲”です。慣れた音楽と新しい音楽で脳の反応がどう変わるかも調べています。 音楽を聴いた後には、「どんな気持ちになったか?」を、感情マップ(ジュネーブ感情ホイール)を使って自己申告してもらいました。この回答が、AIにとっての感情の正解になります。 つまり、本人がどう感じたかをラベルとして使うことで、「この脳波は安心のとき」「これは怒りのとき」といったデータをAIに学習させることができます。これが「教師あり学習」と呼ばれる方法です。 これを使って解析した結果、脳波は人によって違いはあるものの、特定の感情に共通する傾向があることが確認されました。 感情の読み取りは本当にできるの? この研究の目的は、脳波から「今、どのような感情を感じているのか?」という問いに答えられるようにすることです。しかし、現時点での精度は約30%程度で、4つの感情カテゴリーの中からランダムに選んだ場合の正答率(25%)をやや上回る水準にとどまっています。 出典:S. Calcagno, S. Carnemolla, I. Kavasidis, S. Palazzo, D. Giordano and C. Spampinato, "EEG-Music Emotion Recognition: Challenge Overview," ICASSP 2025 - 2025 IEEE International Conference on Acoustics, Speech and Signal Processing (ICASSP), Hyderabad, India, 2025, pp. 1-3, doi: 10.1109/ICASSP49660.2025.10888506. とはいえ、これはあくまでもスタート地点です。研究チームはこの結果をもとに、精度をさらに高めるための新たな手法の開発やデータの充実に取り組んでいます。ブレインテックの分野は日々進化しており、次のステップでは、より精度の高い成果が期待されます。 あなたの脳に合わせた音楽療法の実現可能性 注目すべきは、この技術が単なる実験に留まらず、実用面での応用が期待されている点です。たとえば、音楽療法の分野では、患者が音楽を聴いているときの脳波をリアルタイムで解析し、最適な治療法を提案することが可能になるかもしれません。 うつ病や不安障害の治療現場では、音楽を使ったセラピーの効果を脳波で見える化することで、患者ごとに合った曲の選定や、セラピー中の状態把握に役立てられる可能性があります。 また、介護や認知症ケアの現場でも、音楽による感情反応を脳波で捉えることで、患者の状態を見守りながら心を落ち着かせる音楽環境をつくるといった応用も期待されます。将来的には、ウェアラブル脳波計と連動した音楽プレーヤーが登場し、そのときの精神状態に合わせてリラックスできる音楽を自動選曲してくれるようなシステムも考えられます。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより 音楽は私たちの心を大きく揺さぶります。その感動の裏側には、まだ未知の脳波パターンが隠れているかもしれません。IEEEで発表された今回の研究は、そんな“脳が感じる音楽”を読み解こうとする第一歩です。 精度はまだ発展途上ですが、ブレインテックの進化により、音楽療法やメンタルヘルスの分野での応用も現実味を帯びてきています。 この記事が、脳と音楽のつながりに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。今後もブレインテックの面白い話題をお届けしていきますので、お楽しみに! 📝本記事で紹介した研究論文 Calcagno, S., Carnemolla, S., Kavasidis, I., Palazzo, S., Giordano, D., & Spampinato, C. (2024). EEG-Music Emotion Recognition: Challenge Overview. 2024 IEEE International Conference on Acoustics, Speech and Signal Processing (ICASSP).IEEE. https://ieeexplore.ieee.org/document/10888506

AIが命を救う意思決定を支援する時代──脳波×AIで重症脳損傷治療を

集中治療室で命をつなぐカギとなるのが、脳の状態を見守る「脳波モニタリング」です。近年、この分野にAI(人工知能)が加わり、重症の脳損傷患者のケアが大きく進化しつつあります。 そして、AIがリアルタイムで脳波を解析し、最適な治療を提案する──そんな医療の未来が、すでに現場に届き始めています。 今回は、2025年に発表された最新論文「Using artificial intelligence to optimize anti-seizure treatment and EEG-guided decisions in severe brain injury」をもとに、AIがどのように脳波を読み解き、命を支える医療判断に活かされているのかを紹介します。 見た目では判断できない「脳内の異常」を捉えるAI 脳卒中や外傷などで重度の脳損傷を負い、集中治療室に入っている患者の中には、意識がないように見えても、実際には脳内で危険な発作が進行していることがあります。このような外からは気づきにくい発作を見逃さないために、医療現場では脳波(EEG)のモニタリングが行われています。 特にけいれんを伴わない「非けいれん性発作」は、見た目ではわからず、医師の目をすり抜けてしまうこともあります。連続的に脳波を記録する「cEEG(連続脳波モニタリング)」は、そうした見えない異常を検出するための重要な手段ですが、膨大なデータを一つひとつ人の目で確認するのは現実的ではないため、AIがこの解析で活躍し始めています。 AIは、膨大な脳波データの中から発作の兆候をとらえ、異常を自動で検出します。 たとえば、ある解析方法では、脳波の変化をヒートマップのように色で視覚化します。下図のように、発作が起きている時間帯には、赤やオレンジが帯状に広がり、「炎のようなパターン」として現れます。 出典:Zade Akras, Jin Jing, M. Brandon Westover, Sahar F. Zafar.Using artificial intelligence to optimize anti-seizure treatment and EEG-guided decisions in severe brain injury こうした視覚的な表示によって、医療従事者は数分で1日分の脳波を確認できるようになり、発作の見逃しを減らすだけでなく、専門医以外のスタッフでも初期の異常に気づけるようになることが期待されています。 治療のさじ加減もAIがサポート 抗てんかん薬や鎮静薬は、重症脳損傷の治療において欠かせないものですが、薬が効きすぎると意識の低下や副作用を招き、反対に薬が効かなければ発作が止まりません。このさじ加減は患者ごとに異なるため、個別に調整する必要があります。 本研究では、脳波の反応や薬物の作用をAIが解析することで、「この患者にはどの薬を、どのくらいの量で使うべきか」を医師に提案するという手法が紹介されています。 さらに、脳波の中でも「バースト抑制」と呼ばれる鎮静状態の深さに着目し、AIがそれをリアルタイムで評価することで、過剰な鎮静を避けながら治療を続けるための判断材料も提供されます。このように、AIはデータをもとに治療の最適なポイントをその人ごとに導き出すパートナーとして活躍する可能性があります。 医師の判断を支える、もう一人の目としてのAI AIによる脳波解析は、すでに医療の現場で実用化が進んでいます。見えない発作を捉え、最適な治療を提案し、回復の可能性を探る――それはまさに、「AIが命を救う意思決定を支援する時代」の到来です。 これからの医療において、AIは単なるツールではなく、患者と医療チームをつなぐ新たなパートナーとして期待されています。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより 医療の現場にAIが入ってくると聞くと、どこかSFのように感じるかもしれません。 でも、脳波データを24時間見守り、発作の兆しを即座に伝えてくれるAIは、すでに現場のチームの一員として動き始めています。 人とAIが協力して命を守る、そんな新しい医療のかたちにこれからも注目です。 📝本記事で紹介した研究論文Zade Akras, Jin Jing, M. Brandon Westover, Sahar F. Zafar.Using artificial intelligence to optimize anti-seizure treatment and EEG-guided decisions in severe brain injury Clinical Neurophysiology Practice, Volume 10, 2025. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1878747925000029

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