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コラム

共通のコミュニティが脳をつなげる?──脳波から紐解く集団意識

スポーツ観戦中、自分と同じチームを応援する相手とプレーの見え方や盛り上がるタイミングがぴったり合って「気が合うな」と感じた経験はありませんか? その「気が合う感覚」は、単なる気のせいではないかもしれません。2025年に発表された最新研究によって、同じ集団に属している人同士では、脳波の活動が同期する可能性が示されたのです。 今回は、『EEG synchronisation reveals the impact of group identity and membership duration on social cognitive bias』という論文をもとに、「集団意識(group identity)」が、私たちの脳と認知にどのように影響するのかを解き明かしていきます。 「同じ集団」の人とは、脳活動も似る? 人は、自分がどの集団に属しているかによって、出来事の受け止め方や感情の動きが変わる傾向があります。これを「社会的アイデンティティ」と呼び、自分が所属する「内集団」には肯定的な感情を抱きやすく、対立する「外集団」に対しては否定的になりがちです。 たとえば、同じプレーでも、自分の応援するチームが得点したときは喜び、ライバルチームなら「運が良かっただけ」と感じるような現象がこれにあたります。 こうした主観の偏り、つまり「認知バイアス」は、近年の神経科学の研究により、感情や報酬の処理に関わる脳活動にも表れることがわかってきました。しかし、これまでの多くの実験は、短く単純な映像や課題を用いたものが中心で、実際のスポーツ観戦のように複雑で変化の多い社会的な状況で、脳がどう反応するかは、十分に解明されていませんでした。 このような背景のもと、今回の研究は「集団意識」や「ファン歴」が、現実に近い状況での脳活動にどう影響するのかを探るために行われました。 実験:脳波から読み取る「ファンの一体感」 野球ゲーム観戦中の脳波をリアルタイムで測定 研究の対象となったのは、阪神タイガースとオリックス・バファローズ、それぞれの熱心なファンたちです。研究チームは、各チームから16名ずつ、合計32名を招き、プロ野球スピリッツ2019というゲームを用いて自動生成された試合映像を視聴してもらいました。実際の試合映像ではない理由は、すでに見たことがある映像に対する既知効果を排除するためであり、ゲーム映像であっても、リアルなグラフィックや実況、歓声などによって、十分に臨場感のある観戦体験が再現されました。 映像は、阪神が勝つ試合、オリックスが勝つ試合、そして引き分けの試合の3パターンが用意されており、それぞれが約26〜33分の長さです。試合の内容は6回表から始まる構成で、その前半の流れは冒頭に30秒間の静止画像で要約されました。参加者は、4メートル先の大型スクリーンを一人ずつ観戦し、その間の脳波を測定しました。 視聴自体は個別に行われましたが、分析では、同じチームを応援する者同士のペア(内集団ペア)と、異なるチームのファンのペア(外集団ペア)を比較し、それぞれの脳波の類似度が検討されました。また、各参加者のファン歴も記録され、そのうち短い方の年数をペアの「所属歴」として設定し、ファン歴の長さが脳活動に与える影響についても分析が行われました。 Fig. 1. 参加者は、没入感のある体験が得られるよう、大型スクリーンで野球の試合映像を観賞しました。この図に示されたスクリーンは、複数の画像を合成したものです。図中では実験室の様子をわかりやすくするために明るい照明が使われていますが、実際の実験中は映像を見やすくするために部屋を暗くして行われました。 脳波の同期を測る2つの指標 本研究では、人と人の脳波がどれほど同じように反応しているかを調べるために、PLV(位相ロッキング値)とr(パワー相関)という2つの指標が使われました。 PLVは、映像や音といった刺激に対して、脳波のタイミング(=位相)がどれだけそろっているかを示すもので、注意や知覚など外部刺激への反応の一致をとらえます。 一方、rは脳波の強さの変化が他の人とどれだけ似ているかを示し、感情の動きや興奮度などの内面の状態の共通性を反映します。 この2つを組み合わせることで、外的な刺激に対する脳の反応と、内的な感情や覚醒の同期の両方をとらえることができ、より立体的に脳のつながりを理解することが可能になります。 Fig. 2. EEG同期指標を算出するためのプロセスを表す。まず、2人の被験者の脳波からバンドパスフィルタを通して特定の周波数の信号(アルファ波、デルタ波、シータ波)を抽出する。抽出した信号から周波数の特徴と、大まかな波形情報を分離して抽出し、被験者同士のそれぞれの信号の同期度をPLVとrで表す。 結果:同じチーム同士の脳波はより深く「共鳴」する 内集団では中心頭頂部におけるアルファ波の位相が同期 脳波の解析によって、同じチームのファン同士では、脳波の一種であるアルファ波(8~13Hz)の位相が高く同期していることが明らかになりました。この結果は、ファン歴の長さとは無関係に確認されました。アルファ波の位相は、注意や知覚の処理に関わるリズムとされており、特に外部刺激に対する初期の視覚処理や空間認識に関係があると言われています。 つまり、この結果から集団への所属歴に関係なく、「自分はこの集団の一員だ」という意識(社会的アイデンティティ)はどこに注目するか、何を見るかといった認知の向け方に影響を与えていると考えられます。 内集団のアルファ波の強さは所属歴の影響を受ける 興味深いことに、内集団では、ファン歴が長いほどアルファ波の強さが同期していることが明らかになりました。 今回の実験で見られたアルファ波の強さは、脳がどれくらい「目を覚ましているか」や「落ち着いているか」といった状態を表していると考えられます。特に、自分の意志で注意を集中させたり、感情に反応したりするときに、アルファ波の出方が変わることが知られています。したがって、この結果は集団への「帰属感」が、場面ごとの興奮状態や感情的な反応の一致に関係していることを示しています。つまり、長く同じチームを応援してきた人同士は、試合のどこで盛り上がるか、どこに注目するかが自然と似てくるのです。 所属歴が長くなるとデルタ波とシータ波の類似度が減少 一方で、アルファ波とは対照的に、より低周波であるデルタ波やシータ波の位相同期は、ファン歴が長くなるほど弱まる傾向が見られました。これらの周波数帯は、P300と呼ばれるより深い注意処理に関わる脳波成分に関連しているとされています。 この結果は、グループの違いにかかわらず、ファン歴が長くなると「注意が向くきっかけ」が人それぞれに多様化することを示唆しています。たとえば、経験豊富な野球ファンは、ホームランのような誰もが注目する場面だけでなく、選手の細かな動きや表情といったより繊細な要素にも目を向けるようになり、その違いがデルタ波やシータ波の位相同期に影響を与えているということが考えられます。 同じチームのファンでも、ライトなファン同士は感情の盛り上がりがそろいやすく、脳波の同期も高くなる一方で、コアなファン同士では、それぞれが独自の視点を持つために脳波の動きが多様化し、同期はやや弱まるという、まさに「人間らしい認知のクセ」が可視化された結果といえます。 所属歴が長くなると視野が広がる? さらに、前頭部のアルファ波の位相同期では、内集団・外集団の区別に関係なく、ファン歴が長い人ほど実況音声などの聴覚情報に注意を向けていた可能性が示唆されました。 脳の前頭部では、「聴覚N1」という聞いた音に対して脳が反応するときに出る信号が現れます。この信号は、アルファ波に近い周波数帯で観測されるため、前頭部のアルファ波の位相同期は、被験者の聴覚刺激に対する反応に関連していると考えられます。 したがって、この結果からファン歴の短い参加者は、主に映像に注意を向けていたと考えられるのに対し、ファン歴が長い参加者は、映像と実況の両方に注意を向けていた可能性があります。 その結果、実況に対する脳の反応がより似通い、聴覚に関係する脳波(前頭部アルファ波)の同期が強くなったと考えられます。 Fig. 5.(a) 散布図は、3つの電極位置(Fz、Cz、Pz)および3つの周波数帯域(デルタ、シータ、アルファ)ごとに整理されています。統計的に有意な効果はアスタリスク(* p < .05)で示されています。(b) アルファ帯域におけるCzおよびPz電極でのPLV(位相ロッキング値)の分布を示しており、ペアの種類(内集団と外集団)の違いが分かりやすくなるように設計されています。赤線と青線は、それぞれin-groupおよびout-groupの中央値を表しています。 Fig. 6. 強さの同期度の結果を表す。散布図は、3つの電極位置(Fz、Cz、Pz)および3つの周波数帯域(デルタ、シータ、アルファ)ごとに整理されています。統計的に有意な効果はアスタリスク(* p < .05)で示されています。"pair cat."および"fan hist."は、それぞれ「ペアの種類(内集団/外集団)」と「ファン歴(fan history)」を表す略語です。 「つながっている」と感じる感覚の正体 この研究は、スポーツ観戦というリアルな状況の中で、私たちが人と人との間に生まれる一体感や共通の関心が、実際に脳波の同期という形で裏づけられることを示しました。同じ出来事を見ていても、人は自分が属している集団や、そこにどれだけの時間関わってきたかによって、脳の処理の仕方そのものが変わってしまうのです。 このような「脳の共鳴」は、スポーツに限らず、日常のさまざまなコミュニケーションや集団行動のなかで起きている可能性があります。今後、社会的アイデンティティや認知バイアスに関する神経科学的な理解を深める上で、大きな手がかりとなる研究だといえるでしょう。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより 自分と同じチームを応援する人と「わかる!」「それな!」と感じる瞬間。その共鳴感覚は、どうやら「脳活動レベル」でも起きていたようです。 ただの気のせいではなく、脳波が共鳴することで「つながっている」と感じる。 この研究は、私たちの「好き」や「所属意識」が、感情だけでなく脳の働きそのものを通して人と人をつなぐという、見えないけれど確かな「共感の回路」を示してくれました。 📝 本記事で紹介した研究論文 Sanada, M., Naruse, Y. EEG synchronisation reveals the impact of group identity and membership duration on social cognitive bias. Sci Rep 15, 23719 (2025). https://doi.org/10.1038/s41598-025-08191-z

冷水浴の健康効果を徹底検証──炎症・ストレス・睡眠への影響とは

氷のように冷たい水を浴びるなんて、想像しただけで思わず身震いしてしまいますよね。ですが今、「冷水浴」が心や体に良い健康法として注目を集めています。氷水を張った浴槽に浸かる「アイスバス」や、シャワーを冷水に切り替える習慣など、世界中で実践される方が増えているのです。 実際、Amazonでは家庭用アイスバスの売上が、わずか1年で1000台未満から9万台以上に急増したというデータもあるそうです。 それでは、なぜ多くの方がわざわざ冷たさに身を委ねているのでしょうか?その背景には、「冷水浴でストレスが軽減される」「免疫力が向上する」「気分がすっきりする」といったさまざまな効果への期待があります。 とはいえ、これらの効果には科学的な裏付けがどの程度あるのでしょうか?今回は、最新の研究に基づいて、冷水浴の効果についてわかりやすくご紹介します。 注目を集める「冷水浴」とは? 「冷水浴(Cold Water Immersion, CWI)」とは、その名のとおり、体を冷たい水に浸す健康法です。一般的には、水温15℃以下(おおよそ10~15℃が目安)で行われ、シャワーでも浴槽でも、胸の高さまでしっかり冷水に触れることがポイントとされています。 冷水浴自体は、実は古くから世界各地で行われてきた習慣ですが、近年ではアスリートのコンディショニングやセルフケアの一環として、改めて注目を集めています。特にスポーツの分野では、激しい運動後にアイスバスを取り入れることで、筋肉の回復を早めたり、痛みを和らげたりする効果が期待され、広く活用されてきました。 ただし一方で、「運動直後の冷却が筋肥大や筋力の向上を妨げる可能性がある」とする研究結果もあり、実際の現場では評価が分かれているのが現状です。 「冷水浴」のメカニズムと話題の理由 では、私たち一般の人にとって、冷水浴にはどのような意味があるのでしょうか。専門家によると、冷水に浸かることで自律神経が一気に活性化し、心拍数や血圧、呼吸数が一時的に上昇するなど、身体に強い生理的な反応が起こるとされています。 つまり、体が「冷たい!」と驚き、それに対処しようとして交感神経が刺激されるのです。このとき、ストレスホルモンであるコルチゾールや、アドレナリンの一種であるノルアドレナリンの分泌も急増します。 まるで短時間の運動を行ったような状態になりますが、こうした一時的なストレス刺激が、むしろ体の適応力を高めるのではないかと考えられています。たとえば、心血管の健康や、脳の認知機能の向上につながる可能性があるという見方もあります。 さらに一般向けのメディアでは、「冷水浴で炎症が抑えられる」「代謝が上がる」「集中力や気分が良くなる」など、多くの効果が紹介されています。 このようにして冷水浴は一大ブームとなっていますが、果たしてその効果には科学的な裏付けがあるのでしょうか?その疑問に答えるべく、研究者たちが最新のデータをもとに検証を行いました。 最新レビューが明かす、冷水浴の身体と心への影響 こうした冷水浴ブームを背景に、2025年1月、学術誌『PLOS ONE』にて最新の系統的レビュー研究が発表されました。 Cain, T., Brinsley, J., Bennett, H., Nelson, M., Maher, C., & Singh, B. (2025). Effects of cold-water immersion on health and wellbeing: A systematic review and meta-analysis. PLOS ONE, 20(1): e0317615. journals.plos.org この研究では、冷水浴が健康な一般成人にどのような影響を与えるのかについて、科学的に検証されています。 オーストラリアの研究チームが実施した本レビューでは、過去の関連論文を網羅的に調査し、その中から厳密な条件を満たしたランダム化比較試験(RCT)11本を選定しました。対象は18歳以上の健康な成人で、トップアスリートや既往歴のある方は除外されています。 介入の方法も多様で、氷水を張った浴槽に浸かるものや、冷水シャワーを浴びる形式などが含まれており、水温は7〜15℃、実施時間は30秒〜2時間と、条件はさまざまでした。 最終的には3,177名分のデータをもとに、冷水浴の前後で身体や心理にどのような変化があったのかが分析されました。 冷たさにびっくり?体が見せる意外な反応 まず注目したいのは、炎症に関する意外な結果です。冷水浴と聞くと、「炎症を抑える」「体の熱を冷ます」といったイメージを持たれる方も多いかもしれません。しかしこの研究では、冷水浴の直後や1時間後に、体内でストレス応答に関連する一時的な生理的変化(炎症性サイトカインなどのマーカーの上昇)が見られました。 これは、体が冷たさを刺激と認識し、それに適応しようとする自然な防御反応と考えられています。これらの変化は一時的なもので、時間が経てば通常の状態に戻ることが確認されており、むしろこうした急激な刺激が体を鍛える「トリガー」となる可能性もあると言われています。 ただし、持病がある方にとっては、この一時的な炎症がリスクになる場合もあるため、冷水浴を始める際には無理をせず、体調に注意しながら行うことが大切です。 ストレスへの作用は時間差で──12時間後に見えた有意差 次に、ストレスへの効果について見てみましょう。冷水浴を日課にしている人の中には、「冷たいシャワーでストレスが吹き飛ぶ」と話す方も多いですが、今回の研究ではもう少し複雑な結果が示されました。 分析によると、冷水浴の直後や1時間後、24時間後、48時間後といったタイミングでは、ストレスレベルに明確な変化は見られませんでした。ところが、12時間後に測定されたデータでは、ストレスが有意に減少していたのです。 たとえば、朝に冷水シャワーを浴びると、その夜には気持ちが落ち着いている──そんな効果が期待できるかもしれません。 なぜ効果が遅れて出るのか、はっきりとはわかっていませんが、研究チームは体の適応反応に注目しています。冷水の刺激で交感神経(緊張モード)が活性化したあと、時間をかけて副交感神経(リラックスモード)が働きはじめ、心が落ち着いていくという流れがあるのではないかと考えられています。 このように冷水浴は、炎症やストレスに時間差で作用するというユニークな特徴を持っており、ストレス対策として取り入れる場合はタイミングを工夫することもポイントになりそうです。 図:冷水浴後のストレスへの効果を示すメタ分析の結果(Forest Plot)グラフの黒い菱形マークが効果量の合計を示しており、縦のゼロ線より左側にあるとストレス低下の効果を意味する。このレビューでは、冷水浴12時間後のポイントで黒いマークが大きく左に偏しており、ストレスが有意に減少したことを表している。一方、0時間後(直後)や1時間後、24時間後、48時間後のマークはゼロ線付近に位置し、これらの時点では有意な変化がなかったことが読み取れる。 病欠日数が29%減少──冷水習慣の長期的な影響とは 「冷水を浴びれば風邪をひかない」といった話を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。では、科学的にはどうなのでしょうか。 今回のレビューによると、冷水浴の直後や1時間後における免疫指標(白血球の数や免疫細胞の働きなど)には、明確な変化は確認されませんでした。つまり、冷たいシャワーで即座に免疫力が高まる、という証拠はまだ不十分のようです。 一方で、長期的な効果には興味深いデータもあります。オランダで行われた大規模な研究では、冷水シャワーを30日間続けたグループで、病気による欠勤日数が29%減少したという結果が出ています。 これは、冷水浴が直接的に風邪の罹患回数を減らすというよりも、症状の重症度を軽減したり、病気からの回復を早めたりするなど、体の不調に対する耐性を高める可能性を示唆しています。この効果には、心理的な要因や、体がストレスに適応する能力が高まることなどが複合的に関わっていると考えられます。 すぐに免疫力が劇的に上がるわけではありませんが、冷水シャワーを日常的に取り入れることで、体調管理に役立つ可能性はあるかもしれません。生活リズムを整える効果も含め、習慣として取り入れてみる価値はありそうです。 冷水でよく眠れる?思わぬリラックス効果 冷水浴は、睡眠の質にも影響を与えるのでしょうか。寝る前にお風呂で温まるとよく眠れると言われますが、逆に冷たい水ではどうなのか気になりますよね。 今回のレビューでは、睡眠に関するデータはまだ限られているものの、肯定的な結果がいくつか報告されています。たとえば、暑い環境でのトレーニング後に冷水浴(15分)を行った若い男性たちのグループでは、自己申告による睡眠の質が有意に改善していたことが確認されました。 研究チームは、冷水によるクールダウン効果が睡眠に良い影響を与えた可能性に言及しています。ただし、この結果は特定の条件(若い男性・運動後)に限られているため、誰にでも当てはまるとは言い切れない点には注意が必要です。 それでも、朝の冷水浴で日中の覚醒度を高めることで、夜の自然な眠りをサポートするなど、生活リズムを整える効果は期待できるかもしれません。 気分・集中力への影響は限定的──現時点の科学的評価 冷水浴をすると「気分が上がる」「頭が冴える」と感じる方もいらっしゃいますが、今回のレビューでは科学的な裏付けはまだ十分ではないことが示されました。 たとえば、20代男性を対象とした小規模な研究では、「活発さ」や「エネルギー感」「疲労感」などを比較しましたが、冷水浴の有無による明確な差は確認されませんでした。不安感や抑うつ感といったメンタルヘルスの改善についても、高品質な証拠は得られていないと報告されています。 一方で、『冷水に入ると気分がスッキリする』という声が多く聞かれるのも事実です。研究者たちは、このような主観的な感覚は、冷水浴が行われる環境やシチュエーション、たとえば海辺での体験や他者との交流など、様々な要因によって増幅される可能性があると指摘しています。 今回のレビューは、そうした外的要因を排除した厳密な条件下での『冷水そのもの』の影響を検証したため、現時点では気分や集中力に対する直接的な科学的根拠は限定的と結論付けられています。しかし、主観的な体験の重要性も認識されており、今後の研究でより多角的な視点からの検証が期待されます。 まとめ:冷水浴は脳と体に「効く」のか? 今回のレビューによって、冷水浴に関する効果の「はっきりしてきた部分」と「まだ根拠が乏しい部分」が見えてきました。 たとえば、炎症は一時的に増加し、ストレスは12時間後に明確に低下することが確認されています。免疫については即効性は見られないものの、継続することで病欠が減る可能性が示唆されました。睡眠や生活の質においても、一部で改善が見られました。 一方で、気分や集中力の即時的な向上については、今のところ信頼性の高いデータが不足しており、過度な期待は避けたほうがよさそうです。 冷水浴の特徴として注目したいのは、効果が時間をかけて現れる点です。たとえば、朝に冷水を浴びることで、夜にかけて気分が落ち着くといった、自律神経を整える習慣として活用できる可能性があります。 現時点では、研究の数や対象に偏りがあり、長期的な影響や安全性については今後の検証が求められます。それでも、冷たい水に入るというシンプルな行為が、体や心に広く作用することが少しずつ明らかになってきました。 まずは無理のない範囲で取り入れながら、自分に合うかどうかを試してみることが大切です。 今回紹介した論文📖Cain, T., Brinsley, J., Bennett, H., Nelson, M., Maher, C., & Singh, B. (2025). Effects of cold-water immersion on health and wellbeing: A systematic review and meta-analysis. PLOS ONE, 20(1): e0317615. journals.plos.org

私たちはなぜ緊張するのか?:緊張のメカニズムとコントロール方法

私たちが直面するさまざまな大事な場面、たとえば就職活動の面接や人前でのプレゼンテーションでは、多くの人が「緊張」という感情を経験します。 始まる前は準備万端だと思っていても、いざ本番になると言葉がうまく出てこなかったり、手が震えたり、声が震えたり—その不安やプレッシャーはどこから来るのでしょうか?緊張はただの感情の起伏ではなく、体内で高度に調整された生理的な反応によるものだと理解すれば、緊張を乗り越えるためのヒントが見えてくるかも知れません。 この記事では、緊張がなぜ生じるのか、その背後にある脳や体のメカニズムを科学的に解説し、どのようにコントロールすれば緊張を軽減し、パフォーマンスを最大限に引き出せるのかを考えていきます。 人はなぜ緊張する? 緊張は、私たちが「危険」や「プレッシャー」を感じた時に起こる自然な体の反応です。これは、進化の過程で身についた「戦うか逃げるか(fight or flight) 」という仕組みによるもので、もともとは古代の人類が野生動物や自然災害などから自分の命を守るための大切な反応でした(1)。この反応は、現代の私たちの体にも引き継がれており、日常のストレスや緊張にも影響しています。 脳内では、扁桃体がストレスや恐怖を感じ取ると、その信号が視床下部に伝わり、「心拍数を上げる」「呼吸を速くする」など、体ををすぐに動かせるように準備する指令が出されます(2)。このように、緊張は本能的な生存本能として、脳と体の間で高度な調整を行っているのです。 現代においても、面接やプレゼンテーション、試験などの「心理的な危険」を感じた際に、脳は同じような反応を引き起こします。このように、私たちが緊張する理由は、単なる心理的な不安ではなく、深い生理的なプロセスに基づいているのです。 体内ではどんなことが起こっているのか?  緊張を感じたとき、私たちの体内でどのような変化が起こるのでしょうか? まず、脳からの指令で体内でホルモンが分泌され、心身を戦闘モードに切り替えます。具体的には、ストレスホルモンであるコルチゾールとアドレナリンが分泌され、心拍数や血圧が急激に上昇します(1)。 アドレナリンは体を迅速に動かせるようにし、血糖値を上げ、筋肉にエネルギーを供給します。これにより、瞬時にエネルギーが筋肉や脳に供給され、体が危険に対応する準備が整います。心拍数や呼吸数が増加することで、体は素早く反応できる状態になります(3)。 このように、体内の血流は消化器官から筋肉や脳に優先的に送られ、消化機能などは一時的に抑制されます。これらの生理的な反応は、目の前の課題やプレッシャーに適応するために、私たちの体を準備させる大切なしくみです。緊張を不快なものと感じることもありますが、実際には危険に備えて体が準備してくれているのです。 どんな形で緊張は体に現れるのか?  緊張が体に現すサインは非常に明確です。たとえば、緊張すると心拍数が増加し、胸がドキドキと高鳴ることがあります。さらに、手や足が冷たく感じたり、震えたりすることがあります。これは、緊張時に体が筋肉や脳に血液を優先的に送るため、末端の血流が減少するからです(4)。 また、胃の不快感も緊張が体に現れる典型的なサインです。交感神経が活発になり、先述した通り消化機能が一時的に抑制されるため、胃が痛くなったり、重く感じたりします。これは、体が「戦闘準備」に入るため、消化活動が後回しにされているからです。 これらの身体的サインを理解することで、緊張の症状が現れた際に、それは体が行っている準備作業であることを認識すれば、冷静に対処することができるようになります。 なぜ緊張がパフォーマンスに影響を与えるのか? 緊張がパフォーマンスに悪影響を与える原因の一つは、脳内で起こる認知機能の一時的な低下です。これは、体が「緊急事態だ」と判断し、脳のリソースを「考えること」よりも「すぐに動くこと」に集中させているからです。 緊張が高まると、本能的に危険に対応するために必要な「戦うか逃げるか(Fight or Flight)反応」を発動する扁桃体などに血が優先的に集まります。一方で、冷静な思考や問題解決、長期的な計画を行うときに活動が活発になる前頭前皮質への血流が減少し、記憶や判断、計画などに必要な認知機能が低下します(5)。その結果、普段は簡単にできることが緊張によって難しく感じられることがあるのです。 たとえば、面接中に自分の名前や準備してきた話を思い出すのに時間がかかってしまったり、プレゼン中に言葉が詰まったりすることがあります。その理由は、脳が緊急対応にリソースを集中しすぎて、通常の思考や判断に使うリソースが不足しているためです。 また、判断力が鈍ることで、普段ならすぐにできる判断が遅れてしまい、誤った決断を下すこともあります。緊張が強いと、冷静な判断を下すことが難しくなり、パフォーマンスに悪影響を与えることがあるのです。 脳科学の視点から見る緊張のコントロール方法  緊張をコントロールするためには、脳の働きや体の反応を理解し、それに適切に対処する方法を学ぶことが効果的です。ここでは、脳科学に基づいた緊張のコントロール方法をいくつかご紹介します。 認知の再構築 緊張や不安を感じるとき、私たちの脳はしばしばネガティブな思考にとらわれます。たとえば、プレゼンの前に「失敗したらどうしよう」「うまくいかないかもしれない」といった思考が頭をよぎることがあります。このようなネガティブな思考は、脳の扁桃体を活性化させ、過剰なストレス反応を引き起こす原因となります。 認知行動療法(CBT)は、考え方のクセを見直して、気持ちや行動を前向きに整えていく方法です(1)。たとえば緊張したとき、「失敗するかも」と思ってしまうことがありますが、CBTではその考えを「うまくやるために準備してきた」「失敗しても次につながる経験になる」といった、より現実的で前向きな考え方に置き換える練習をします。 このようにポジティブに捉え直すことで、脳は冷静になり、心が落ち着き、過度な緊張感を減少させることができます。 アファメーション 緊張や不安を感じている中で、自分に対してポジティブな言葉をかけることは非常に効果的です。「自分にはできる」や「過去にも成功したことがある」といった自己肯定的な言葉は、脳の前頭前皮質を活性化させ、冷静さを取り戻すきっかけになります(7)。 これにより、緊張を和らげ、自信を持って行動できるようになります。また、ポジティブな自分に対する声がけは、脳内のドーパミンの分泌を促進し、前向きな気持ちを育むのにも役立ちます。 深呼吸 深呼吸やリラクゼーション法も非常に効果的です。深呼吸をすることで、緊張により活発化されていた交感神経が抑制され、反対に抑制されていた副交感神経が活性化します。その結果、上昇していた心拍数や血圧が安定し、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌も減少します(6)。前頭前皮質を含む脳の各部位にも十分に血流が流れるようになり、リラックスした状態が作られ、緊張を和らげることができます。 イメージトレーニング イメージトレーニングは、成功するシーンを事前にイメージすることで、脳がその状況を実際に経験したかのように反応させるテクニックです(5)。この方法は、高いパフォーマンスが求められる場面でよく使われます。特に緊張が高い状況で効果的で、スポーツ選手が試合前に行うように、プレゼンや面接の前に自分が成功しているシーンを描くことで、緊張をやわらげ、パフォーマンスを向上させることにつながります。 実際に試してみる 行動実験を通じて、緊張や不安が実際には過剰なものであることを確認する方法もあります。緊張しているときに、「もし失敗したらどうしよう」と思うことがありますが、実際にその状況を体験してみることで、自分の不安を検証し、考えていたような怖いことは起きないかもと実感できます(7)。 プレゼンテーションを事前に人前で練習し、フィードバックをもらうことで、自己評価を修正し、不安を軽減することができます。このような行動実験を繰り返すことで、自信を高め、緊張を減らすことにつながるがかも知れません。 自分のパターンを知ることから始めよう 緊張は完全に避けることはできませんが、その仕組みを理解し、適切に対処することで、むしろパフォーマンスを高めるためのエネルギーに変えることができます。ここまでは脳や身体が緊張にどう反応するか、そしてそれをどのように調整すればよいのかを科学的に解説してきました。ここからは、これらの知識をもとに「自分の状況」にどう活かすかを考え、実際の行動に繋げるための具体的なガイドラインを紹介していきます。 まず大切なのは、自分が「どのような場面で緊張しやすいのか」を明確にすることです。たとえば、プレゼン、試験、初対面の会話、上司との会話など、緊張を感じやすい状況は人それぞれ異なります。日常の中で緊張を感じた場面を3つほど思い出してみましょう。 次に、その場面で自分がどんな反応をしているのかを考えてみましょう。緊張すると手が震える、心拍が速くなる、頭が真っ白になる、お腹が痛くなるなど、身体的・心理的な反応が現れます。これ前述したように、ごく自然な生理的反応です。どのようなサインが自分に表れるかを把握することで、適切な対処法を選びやすくなります。 その上で、前章で紹介した緊張管理法の中から、自分に合いそうな方法を選んでみましょう。たとえば、イメージトレーニングや深呼吸、ポジティブな自己対話などは、場面によって効果が異なります。プレゼンの前には成功のイメージを頭の中で描く、面接の前には「自分は準備してきたから大丈夫」と自分に言い聞かせる、など、具体的な対処法を場面に応じて使い分けてみましょう。 こうした方法を組み合わせ、自分なりの「緊張対策ルーティン」を作ることも非常に有効です。たとえば、本番の30分前に軽いストレッチやウォーキングを行い、15分前にイメージトレーニングをし、直前には深呼吸と自分へのポジティブな声がけを取り入れるといったように、流れを決めておくことで本番前の不安を大幅に軽減できます。 そして、実際に試した後、振り返ってみましょう。緊張を感じる場面で選んだ方法を使ってみて、「何が効果的だったか」や「うまくいかなかった点は何か」を記録し、次に活かしましょう。日常の中で実際に使ってみることで、自分に合った対処法が見えてきます。緊張は敵ではなく、自分の力を引き出すための信号なのだと捉え直すことができれば、それは確かな武器にすることができるでしょう。 Dhabhar FS. The short-term stress response - Mother nature's mechanism for enhancing protection and performance under conditions of threat, challenge, and opportunity. Front Neuroendocrinol. 2018 Apr;49:175-192. doi: 10.1016/j.yfrne.2018.03.004. Epub 2018 Mar 26. PMID: 29596867; PMCID: PMC5964013. Schmidt NB, Richey JA, Zvolensky MJ, Maner JK. Exploring human freeze responses to a threat stressor. J Behav Ther Exp Psychiatry. 2008 Sep;39(3):292-304. doi: 10.1016/j.jbtep.2007.08.002. Epub 2007 Aug 12. PMID: 17880916; PMCID: PMC2489204. Hoehn-Saric R, McLeod DR. Anxiety and arousal: physiological changes and their perception. J Affect Disord. 2000 Dec;61(3):217-24. doi: 10.1016/s0165-0327(00)00339-6. PMID: 11163423 Ghasemi, F., Beversdorf, D. Q., & Herman, K. C. (2024). Stress and stress responses: A narrative literature review from physiological mechanisms to intervention approaches. Journal of Pacific Rim Psychology, 18. https://doi.org/10.1177/18344909241289222 (Original work published 2024) Merz CJ, Wolf OT. How stress hormones shape memories of fear and anxiety in humans. Neurosci Biobehav Rev. 2022 Nov;142:104901. doi: 10.1016/j.neubiorev.2022.104901. Epub 2022 Oct 10. PMID: 36228925. James KA, Stromin JI, Steenkamp N, Combrinck MI. Understanding the relationships between physiological and psychosocial stress, cortisol and cognition. Front Endocrinol (Lausanne). 2023 Mar 6;14:1085950. doi: 10.3389/fendo.2023.1085950. PMID: 36950689; PMCID: PMC10025564. Shao, R., Man, I.S.C., Yau, SY. et al. The interplay of acute cortisol response and trait affectivity in associating with stress resilience. Nat. Mental Health 1, 114–123 (2023). https://doi.org/10.1038/s44220-023-00016-0

たった10分の瞑想で脳が変わる?EEGがとらえた、脳深部のリアルな変化

瞑想は古くから心の安定やストレス軽減に効果があるとされ、近年では科学的な研究も進んできました。不安や抑うつの軽減など、メンタルヘルスへのポジティブな影響が報告されており、その効果の裏には脳の活動の変化が関係していることも示唆されています。 では、実際に瞑想中の脳では何が起きているのでしょうか?最新の研究では、感情や記憶に関わる脳深部領域の活動に注目し、瞑想が脳に与えるリアルな変化を明らかにしています。 瞑想は脳に何をもたらすのか? 「瞑想すると脳が良い方向に変化するらしい」とは聞くものの、具体的に脳の中で何が起きているのかは、まだ十分に解明されていません。特に、感情や記憶をつかさどる脳の深部(大脳辺縁系と呼ばれる領域、例:扁桃体・海馬)での神経活動については、不明な点が多く残されていました。なぜなら通常の脳波計測(頭に電極をつける頭皮上のEEG)では、そうした深部の信号をとらえるのが難しいからです。 こうした背景のもと、米国マウントサイナイ医科大学などの研究チームが2025年に発表したのが、「瞑想が扁桃体と海馬の脳活動に与える影響」を直接観察した研究です(Maher et al., 2025)。この研究では最新のニューロテック(ブレインテック)を活用し、脳深部の電気活動をリアルタイムで記録することに成功しました。 埋め込みデバイスで脳深部を測る新アプローチ 深部の脳活動を測定するために、研究チームが活用したのが応答性神経刺激システム(RNSデバイス)と呼ばれる埋め込み型医療機器です。RNSデバイスは本来、難治性てんかんの発作を検知して脳に電気刺激を送るために、頭蓋内に埋め込まれる医療機器です。加えてこの装置には、脳の深部の活動(頭蓋内脳波:iEEG)を長期間にわたって記録・保存できる機能も備わっています。 今回の研究では、薬剤抵抗性てんかん(薬による治療では発作のコントロールが難しいタイプのてんかん)を持つ患者さん8名に、すでにRNSデバイスが治療目的で埋め込まれている状況を活かし、その記録機能を研究に応用しました。このアプローチにより、人が瞑想している最中の扁桃体・海馬の活動を直接モニターできたのです。 出典:Maher et al., 2025 従来の頭皮上脳波(EEG)では信号が頭蓋骨で減衰しノイズも多いため、深部の細かな活動までは捉えられません。一方、頭の中に電極があるRNSでは高品質な深部脳波データが取得できます。さらにRNSなら埋め込み式なので、瞑想中も参加者が自由に動ける(リラックスした姿勢で瞑想できる)という利点もあります。この装置の利点を活かし、研究チームはこれまで技術的に困難とされてきた扁桃体・海馬の神経活動の計測に取り組みました。 実験の方法:瞑想中のリアルな脳波を記録 対象となった8名はいずれも成人のてんかん患者ですが、瞑想経験はほとんどないビギナーでした。参加者はまず、5分間の音声によるリラクゼーション誘導を実施し、瞑想前の基準状態(ベースライン)を計測しました。その後、音声ガイド付きで10分間の慈悲の瞑想(LKM)を行ってもらいました。 慈悲の瞑想(Loving-Kindness Meditation ; LKM)とは、自分自身や他者の幸福を祈る思考に意識を集中させるタイプの瞑想法です。怒りや不安といったネガティブな感情を和らげ、思いやりやつながりの感覚を育む効果があるとされており、近年ではストレス軽減や感情を整えるための手段として世界中で注目を集めています。 この瞑想セッション終了後、参加者には「どれだけ深く瞑想状態に入れたか」を自己評価してもらいました。 実験は、病院内の一室を落ち着いた雰囲気に整えるなど、参加者が安心して瞑想に集中できるよう工夫された環境で行われました。こうして記録された瞑想中の脳波データを、瞑想前のリラックス状態(ベースライン)と比較することで、瞑想が脳にどのような変化をもたらすのかを調べました。 出典:Maher et al., 2025 研究の結果:感情と記憶に関わる領域で観察された2つの変化 解析の結果、瞑想開始前と比較して脳波の周波数構成に明らかな変化が見られました。具体的には、扁桃体と海馬において高周波ガンマ波(γ波:この研究では30〜55Hzと定義)の活動が有意に増加した一方で、中周波数帯の「ベータ波」(β波:13〜30Hz帯)については、短い時間だけリズムを刻む「ベータバースト」と呼ばれる活動の持続時間が短くなり、全体的にこの帯域の脳活動が落ち着いていたことが明らかになりました。 このガンマ波増強&ベータ波抑制のパターンは、扁桃体と海馬の両領域で共通して観測されています。興味深いのは、これらの脳の領域が不安やうつなどの気分障害と深く関係していることです。さらに、今回注目されたベータ波やガンマ波も、こうした心の状態と関連する脳波として知られています。たとえば、ストレスや不安の強いときにはベータ波が高まりやすく、逆に幸福感や前向きな気持ちを抱いているときにはガンマ波が増えるという報告もあります。 なお今回注目されたのは、ガンマ波やベータ波といった「特定のリズム(=周期的な成分)」の変化でした。一方で、脳波全体の背景的な活動(非周期的成分)は、瞑想の前後でほとんど変化が見られなかったと報告されています。これは、瞑想中の脳では、全体の活動ベースラインが大きく変わるのではなく、特定の脳波リズムが選択的に変化していたことを示唆しています。 出典:Maher et al., 2025 考察:見えてきた瞑想の意義と新たな可能性 「たった一度の短い瞑想でも、脳の深部にこれほどの変化が生まれる」――この事実は、瞑想が持つ可能性をあらためて感じさせます。扁桃体・海馬といった領域は本来、意識的に制御しにくい部分ですが、瞑想という非侵襲で誰でも実践可能な行為によって、その活動パターンを変えられるかもしれないのです。 これは言い換えれば、瞑想が脳のニューロモデュレーション(神経調節)手段となり得ることを示しています。しかも瞑想は、薬や特別な機器を使わない安全で手軽な方法です。そのため、もしうまく取り入れることができれば、記憶力や感情のコントロールをサポートする、低コストで実践しやすいアプローチとして注目されるかもしれません。 期待される一方で、まだ明らかでない点も 一方で、この研究には注意すべき点もあります。第一に被験者が8名と少人数であり、全員がてんかん患者という特殊なグループだったため、健常者や一般集団にそのまま当てはまるかは慎重な評価が必要です。 第二に、観察したのは一回限りの短期的な効果であり、瞑想を継続的に練習した場合に脳活動がどう変化していくか、あるいは今回の効果が持続するのかまでは分からないという点です。さらに、今回は音声ガイドに従った誘導瞑想でしたが、自己流の瞑想や他の種類の瞑想(マインドフルネス呼吸瞑想など)でも同様の効果が得られるのかは不明です。 これらの点を踏まえ、研究チームも「今回の研究はあくまで基礎的な第一歩」であり、更なる検証が必要と述べています。 おわりに:誰かに話したくなる研究のポイント 瞑想と一口に言っても様々な流派がありますが、今回の研究から得られた学びをいくつかまとめてみましょう。 初心者の短時間瞑想でも脳深部が変化する: たった10分程度の瞑想でも、扁桃体と海馬という脳の奥深くの領域で脳波パターンの変化が観測されました。これは「経験がなくても脳は応えてくれる」という希望を感じるポイントです。 ガンマ波アップ&ベータ波ダウン:ポジティブな情動や集中との関連が報告されている高周波のガンマ波が増え、ストレスや不安との関連が指摘される中周波数帯の「ベータ波」が減少する方向に変わりました。この波形パターンは、今回の研究結果から、瞑想が気分を安定させる効果をもたらす可能性を示唆していると解釈できます。 脳内デバイスで明らかになった新事実:埋め込み型のRNSデバイスによる頭蓋内記録という最新技術のおかげで、これまで計測が難しかった脳深部のリアルな活動を捉えることができました。 日常に活かせる瞑想の可能性:瞑想をうまく生活に取り入れれば、記憶力アップやストレス対処など日常生活の質向上につながるかもしれません。 専門的な脳科学のトピックでありながら、「なるほど、瞑想って脳にも良さそうだ」と思わせてくれる今回の研究。 忙しさやストレスに追われる日常の中で、自分と静かに向き合う瞑想という行為が、実は脳のコンディションを整えるフィットネスになっているのかもしれません。 今回紹介した論文📖 Maher, C., Tortolero, L., Jun, S., Alagapan, S., Wang, Y., Zhang, Y., ... & Saez, I. (2025). Intracranial substrates of meditation-induced neuromodulation in the amygdala and hippocampus. Proceedings of the National Academy of Sciences, 121(28), e2401618121.  https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2409423122

脳信号を“声”に変えるストリーミング技術――麻痺で声を失った人に自然な会話を再び

私たちが普段何気なく交わしている会話は、実は極めて高速でスムーズなやりとりです。しかし、病気や事故で話すことができなくなった人たちにとって、「伝える」ことはとても大きな課題です。視線や文字入力を使った支援機器では、1分間に数語しか伝えられないことも珍しくありません。これは会話のテンポを大きく崩し、コミュニケーションに不自由さを感じる原因になります。 こうした課題に対し、脳の活動から直接言葉を生み出す「ブレイン・コンピュータ・インターフェース(Brain Computer Interface, BCI)」という技術が注目されています。特に、脳の信号をもとに声そのものを再現する「スピーチ・ニューロプロステーシス(speech neuroprosthesis)」は、日常会話を取り戻す手段として期待が高まっています。 研究の概要:脳信号からリアルタイムで音声を合成 2025年4月、カリフォルニア大学バークレー校とサンフランシスコ校の研究チームは、重度の発話障害を持つ女性の脳信号をもとに、彼女の「かつての声」でリアルタイムに音声を合成する技術を発表しました。この技術は、脳の信号を読み取り、AIがリアルタイムで解読し、スピーカーから声が発せられる仕組みです。 この技術は、「考えた言葉」を脳の信号としてとらえ、そこから音声を生成します。特徴的なのは、以前録音された本人の声を使い、まさに「その人らしい声」で話せるようにした点です。これは単なる情報伝達以上に、本人にとっての大きな安心感や自己表現につながります。 技術の仕組み:ECoGとAIでかつての声を再現 この技術は大きく分けて以下に紹介する3つのステップによって実現されました。 1. 脳からの信号を取得 出典:UC Berkeley Engineering, Brain-to-voice neuroprosthesis restores naturalistic speech 研究チームはまず、脳幹卒中により、声を一切出せない重度の発話麻痺を抱える被験者の頭に脳の表面を流れる電気信号であるECoG(Electrocorticogra)を計測する装置を埋め込みました。本実験で用いられた装置は253の微小な電極から構成されています。 この電極は発話を司る脳の部位(感覚運動野)の表面に配置され、被験者が「話そう」と頭で指令を出した瞬間の微弱な脳信号をリアルタイムに記録します。ECoGは、頭皮上から計測するEEG(脳波)よりノイズが少なく高精度な信号が得られるため、BCI研究で期待される手法です。 2. AIが解読 次に、この膨大な脳信号データを音声に翻訳するAIを構築します。ここで活躍するのがRNN-T(Recurrent Neural Network Transducer)という深層学習モデルです。RNN-Tはもともと音声認識で用いられる技術で、音声波形に代表される時系列データの入力から対応する文字列をリアルタイムに出力するのに適しています。 モデルを学習させるためのデータを集めるために、被験者にコンピュータ画面に表示された文章を頭の中で発声してもらい、その際に発声する脳内の電気信号を記録するというプロセスを累計23000回以上行いました。このトレーニングにより、モデルは「特定の脳信号パターンが現れたら特定の単語(文字列)が意図されている」という対応関係を学習していきます。 3. 声を合成 研究者たちは、被験者が発話麻痺を抱える前のホームビデオ音声などを集めて、個人別のテキスト読み上げモデルを作成しました。そして前述のRNN-Tが解読した「テキスト」に、この本人の声の読み上げAIを適用することで、最終的にスピーカーから流れる音声が被験者本人の声色になるよう工夫したのです。 出典:Littlejohn KT, Cho CJ, Liu JR, Silva AB, Yu B, Anderson VR, Kurtz-Miott CM, Brosler S, Kashyap AP, Hallinan IP, Shah A, Tu-Chan A, Ganguly K, Moses DA, Chang EF, Anumanchipalli GK. A streaming brain-to-voice neuroprosthesis to restore naturalistic communication. Nat Neurosci. 2025 Apr;28(4):902-912. doi: 10.1038/s41593-025-01905-6. Epub 2025 Mar 31. PMID: 40164740. 実験結果:速さと正確さに驚きの進化 実験の結果、このシステムはハイスピードで低遅延かつ滑らかな発話を再現できることが示されました。特に注目すべき数字は「毎分の単語数(WPM)」です。被験者は1,000語以上の大語彙セットにおいて毎分47.5語のペースで音声を出力できました。さらに、介護生活における会話で頻出する50語程度に語彙を絞れば毎分90.9語に達し、これは人間の普通の会話スピード(毎分約130語)に迫る水準です。以前1の音声解読BCI記録であった毎分15語・50語彙という値と比べると、新手法の高速ぶりが際立ちます。 また従来の発話支援BCIでは、ユーザが「発話しよう」と思ってから実際に音が出るまで数秒のラグがあるのが当たり前でした。しかしこのシステムでは、発話の脳信号の立ち上がりから1秒以内には最初の音がスピーカーから出始めることが確認されました。処理自体もほぼリアルタイムで進行し、システム全体として約0.3秒程度の遅れしか生じないとのことです。これは人間同士の会話で生じる一呼吸ほどの間隔に過ぎず、対話の自然さを損なわないレベルと言えるでしょう。 さらに、この解読モデルは訓練データにない新しい単語や文にも柔軟でした。学習時に登場しなかった語)を試しても、モデルはそれらを正しく発音できたのです。これはAIが単に訓練データを丸暗記したのではなく、言語の音の組み合わせ規則をきちんと学習している証拠だと考えられます。 おわりに ── 失われた声を取り戻す未来へ この技術の一番の価値は、単に声を出せるようになるということではありません。「自分の意思をリアルタイムに伝えられる」ことで、会話のテンポが戻り、他者との関係も自然になります。そして何より、自分の声で話すことができるという経験は、自己表現や尊厳の回復にもつながると考えられます。 もし、話せなくなっても、再び「自分の声」で語りかけられる未来があるとしたら――。この技術は、そんな希望の第一歩となるかもしれません。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより 脳からの信号を読み取り、言葉として再構成する──かつて困難とされてきた課題に、非侵襲の手法で挑んだ今回の研究は、今後のBCI開発に向けた貴重な一歩となりました。まだ実用化には距離があるものの、これまで見えにくかった脳とテクノロジーの接点が、確かに輪郭を持ちはじめています。 📝 本記事で紹介した研究論文Littlejohn KT, Cho CJ, Liu JR, Silva AB, Yu B, Anderson VR, Kurtz-Miott CM, Brosler S, Kashyap AP, Hallinan IP, Shah A, Tu-Chan A, Ganguly K, Moses DA, Chang EF, Anumanchipalli GK. A streaming brain-to-voice neuroprosthesis to restore naturalistic communication. Nat Neurosci. 2025 Apr;28(4):902-912. doi: 10.1038/s41593-025-01905-6. Epub 2025 Mar 31. PMID: 40164740.

季節の変わり目、気づかぬうちに心が疲れていませんか?

「なんとなく気分が乗らない」「寝ても疲れが取れない」──そんな5月の不調、もしかすると季節のせいかもしれません。昼間は汗ばむのに朝晩は冷え込み、気づけば体調も気分も不安定。新年度の疲れも重なりやすいこの時期、私たちの心と体は、知らず知らずのうちに季節の揺らぎに影響を受けています。 なぜ季節の変わり目に心が揺れるのか? 脳科学の視点で見ると、私たちの脳は季節や気温、日照時間の変化にとても敏感です。特に関係が深いのが「セロトニン」と呼ばれる神経伝達物質です。これは「幸せホルモン」とも呼ばれ、心の安定や意欲に大きな役割を果たします。 日照時間が短くなると、セロトニンをはじめとする神経伝達物質のバランスや概日リズムに影響が生じ、気分の落ち込みや疲労感が増しやすくなることがわかっています1。秋から冬にかけて憂うつな気分になる「季節性情動障害(SAD)」がその典型です。 また、気温や湿度の変化は、自律神経のバランスを乱す要因にもなります。特に現代人は、冷暖房や不規則な生活リズムで、体温調節がスムーズに行われにくい状態になりがちです。これが、だるさや頭痛、集中力の低下といった症状として表れることがあります。 小さな変化に「気づく」ことがウェルビーイングへの第一歩 こうした季節の影響を完全に避けることはできませんが、「自分ちょっと調子が落ちてるかも」と気づくことが、メンタルヘルスを守るうえでとても大切です。 人間の脳は、自分の感情や身体状態に気づく力──いわゆる内受容感覚(interoception)が高まると、ストレス対処能力も向上することが知られています2。これは、マインドフルネスや呼吸法、軽い運動などによって鍛えることができます。 つまり、季節の変わり目こそ、自分の「今」に目を向け、ほんの少し立ち止まってみるタイミングなのです。 マインドフルネスとメンタルヘルスの関係についてさらに知りたい方は、以下の記事を参考にしてください。 https://mag.viestyle.co.jp/mindfulness-depression/ 季節の「揺らぎ」を味方にする3つのコツ 1. 日光を浴びる時間を意識する セロトニンの分泌を促すために、朝の光を浴びることは効果的です。10〜15分、外を歩くだけでもOK。これは睡眠ホルモン「メラトニン」のリズム調整にもつながり、夜の眠りが深くなることもわかっています。 2. 無理に「完璧」を目指さない 体調も気分も、日によって波があるのは自然なことです。今日はちょっとペースを落としてみよう、という柔軟さも大切です。ライフバランスを保つうえでは、仕事も休息も「やるべきこと」ではなく、「選べること」にしていく意識がカギになります。 3. 心を落ち着けるルーティンをつくる 脳は、心地よい繰り返しの中で安定感を得ます。お気に入りの音楽をかけてコーヒーを淹れる、寝る前に深呼吸を3回する──そんな小さなルールが、季節の不安定さを和らげてくれるのです。 季節を感じることは、心を整えること 季節の変わり目に感じる心のゆらぎは、ある意味で自然な現象です。それは、私たちの脳や体がちゃんと自然のリズムに反応している証拠でもあります。 最近では、季節の変化に対するストレス感受性を個人ごとに測る研究も進められており、パーソナライズされたメンタルケアの開発にもつながっています3。 最後に──ウェルビーイングは「揺らぎ」に寄り添うことから ウェルビーイングとは、いつも元気でハイパフォーマンスでいることではありません。調子のいい日も、ちょっとつらい日も、自分自身の状態に丁寧に寄り添ってあげられるかどうかが重要です。 季節の変わり目こそ、そんなセルフケアの感度を上げるチャンスです。大きな変化を起こす必要はありません。まずは朝の光を浴びる、少し立ち止まって深呼吸してみる──そこから、私たちの脳と心は少しずつ、季節に寄り添う準備を始めてくれるのです。

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