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脳波

AIが命を救う意思決定を支援する時代──脳波×AIで重症脳損傷治療を

集中治療室で命をつなぐカギとなるのが、脳の状態を見守る「脳波モニタリング」です。近年、この分野にAI(人工知能)が加わり、重症の脳損傷患者のケアが大きく進化しつつあります。 そして、AIがリアルタイムで脳波を解析し、最適な治療を提案する──そんな医療の未来が、すでに現場に届き始めています。 今回は、2025年に発表された最新論文「Using artificial intelligence to optimize anti-seizure treatment and EEG-guided decisions in severe brain injury」をもとに、AIがどのように脳波を読み解き、命を支える医療判断に活かされているのかを紹介します。 見た目では判断できない「脳内の異常」を捉えるAI 脳卒中や外傷などで重度の脳損傷を負い、集中治療室に入っている患者の中には、意識がないように見えても、実際には脳内で危険な発作が進行していることがあります。このような外からは気づきにくい発作を見逃さないために、医療現場では脳波(EEG)のモニタリングが行われています。 特にけいれんを伴わない「非けいれん性発作」は、見た目ではわからず、医師の目をすり抜けてしまうこともあります。連続的に脳波を記録する「cEEG(連続脳波モニタリング)」は、そうした見えない異常を検出するための重要な手段ですが、膨大なデータを一つひとつ人の目で確認するのは現実的ではないため、AIがこの解析で活躍し始めています。 AIは、膨大な脳波データの中から発作の兆候をとらえ、異常を自動で検出します。 たとえば、ある解析方法では、脳波の変化をヒートマップのように色で視覚化します。下図のように、発作が起きている時間帯には、赤やオレンジが帯状に広がり、「炎のようなパターン」として現れます。 出典:Zade Akras, Jin Jing, M. Brandon Westover, Sahar F. Zafar.Using artificial intelligence to optimize anti-seizure treatment and EEG-guided decisions in severe brain injury こうした視覚的な表示によって、医療従事者は数分で1日分の脳波を確認できるようになり、発作の見逃しを減らすだけでなく、専門医以外のスタッフでも初期の異常に気づけるようになることが期待されています。 治療のさじ加減もAIがサポート 抗てんかん薬や鎮静薬は、重症脳損傷の治療において欠かせないものですが、薬が効きすぎると意識の低下や副作用を招き、反対に薬が効かなければ発作が止まりません。このさじ加減は患者ごとに異なるため、個別に調整する必要があります。 本研究では、脳波の反応や薬物の作用をAIが解析することで、「この患者にはどの薬を、どのくらいの量で使うべきか」を医師に提案するという手法が紹介されています。 さらに、脳波の中でも「バースト抑制」と呼ばれる鎮静状態の深さに着目し、AIがそれをリアルタイムで評価することで、過剰な鎮静を避けながら治療を続けるための判断材料も提供されます。このように、AIはデータをもとに治療の最適なポイントをその人ごとに導き出すパートナーとして活躍する可能性があります。 医師の判断を支える、もう一人の目としてのAI AIによる脳波解析は、すでに医療の現場で実用化が進んでいます。見えない発作を捉え、最適な治療を提案し、回復の可能性を探る――それはまさに、「AIが命を救う意思決定を支援する時代」の到来です。 これからの医療において、AIは単なるツールではなく、患者と医療チームをつなぐ新たなパートナーとして期待されています。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより 医療の現場にAIが入ってくると聞くと、どこかSFのように感じるかもしれません。 でも、脳波データを24時間見守り、発作の兆しを即座に伝えてくれるAIは、すでに現場のチームの一員として動き始めています。 人とAIが協力して命を守る、そんな新しい医療のかたちにこれからも注目です。 📝本記事で紹介した研究論文Zade Akras, Jin Jing, M. Brandon Westover, Sahar F. Zafar.Using artificial intelligence to optimize anti-seizure treatment and EEG-guided decisions in severe brain injury Clinical Neurophysiology Practice, Volume 10, 2025. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1878747925000029

脳波であなたの好きな音楽がわかる?感情を読むAIが進化中

日々耳にするお気に入りの音楽。実はその一曲一曲が、私たちの気分や感情にさまざまな影響を与えています。明るいメロディに元気づけられたり、切ない旋律に心が動かされた経験は誰しもあるでしょう。 こうした音楽が引き起こす感情を、脳波(EEG)から読み取る研究が今、注目を集めています。 今回はICASSP 2025で発表された論文「Multimodal Fusion for EEG Emotion Recognition in Music」を取り上げ、大規模言語モデル(LLM)やマルチタスク学習を用いて、従来を大きく上回る感情認識を実現した最新研究をご紹介します。 音楽を聴いたときの「気持ち」を脳波で読み取る難しさ 音楽を聴いて感じる気持ちを脳波から読み取る研究は、近年少しずつ進んできましたが、このような研究の中で大きなハードルとなるのが、「音楽の感じ方に個人差がある」という点です。 同じ曲を聴いても、人によって感じる気持ちが違いますし、それに伴う脳波の反応も変わってきます。このばらつきが、AIが感情を正しく読み取るうえで障壁となってきました。 これまでの多くの研究では、さまざまな人の脳波データをひとつにまとめてAIに学ばせるという方法が取られてきました。しかしこの方法では、誰が聴いたかという違いが考慮されないため、個人差を無視したままAIが学習してしまうという課題がありました。 そこで本研究では、感情を読み取るだけでなく、聴き手が誰なのかを識別するタスクも同時にAIに学ばせる手法が採用されました。このように複数の目的を同時に学ばせることで、AIは人ごとの特徴を踏まえたうえで、より正確に感情を読み取れるようになります。 さらに本研究では、感情を「うれしい」「悲しい」といった単純な分類ではなく、「どれくらい明るい気分か(Valence)」と「どれくらい興奮しているか(Arousal)」という2つの軸に分けて数値で表すことで、より細やかな感情の変化まで見えるようになりました。 音楽の印象を手がかりに、AIが感情を読み解く 脳波だけで感情を読み取ろうとすると、人によって反応が違うため、どうしても限界があります。そこで今回の研究では、脳波だけでなく、音楽そのものの情報も一緒にAIに学ばせるという新しいアプローチがとられました。 人が音楽を聴いて感情を動かされるとき、そのきっかけはメロディやリズム、テンポ、音の明るさや暗さといった曲の特徴です。つまり、「どんな音楽か」と「脳がどう反応したか」を合わせて見ることで、感情の変化をより正確にとらえることができるのです。 さらにこの研究では、音楽の感情的な特徴を読み取るために、大規模言語モデル(LLM)が活用されました。LLMとは、ChatGPTのようなAIの一種で、大量の言語情報をもとに意味を理解することができます。このモデルを使うことで、「この曲は明るくてエネルギッシュ」「この曲は静かで物悲しい」といった音楽の雰囲気や印象をAIが言葉から読み取り、その特徴を数値として扱うことができるようになります。 こうして得られた音楽の特徴と、聴いたときの脳波の変化の両方をAIが一緒に学ぶことで、どちらか一方だけでは読み取りきれなかった感情の手がかりをつかむことができるようになりました。 出典:Huang, S., Jin, Z., Li, D., Han, J., & Tao, X. (2025). Multimodal Fusion for EEG Emotion Recognition in Music with a Multi-Task Learning Framework. 2025 IEEE International Conference on Acoustics, Speech and Signal Processing (ICASSP) ベースラインを大きく上回る精度向上 こうした工夫により、今回の研究では従来の手法を大きく上回る精度で感情を推定することに成功しました。 音楽の印象と脳波のデータを組み合わせ、さらに聴き手の情報まで取り入れたことで、AIはより正確に「その人が音楽を聴いてどう感じたか」を読み取れるようになったのです。 また、感情を2つの軸で表すことにより、「なんとなく楽しい」「少し不安」といった曖昧な気持ちも、数値として扱うことが可能になりました。 AIはそうした微妙な感情の揺れまで捉えられるようになり、結果として精度の向上につながりました。 今回の結果は、単に技術的なブレイクスルーというだけでなく、人の“心の動き”を読み取るAIの進化を感じさせるものでもあります。 音楽という主観的で感覚的なものを、客観的な脳波と融合しながら扱えるようになったことは、今後のブレインテックの広がりにとっても大きな意味を持つでしょう。 出典:Huang, S., Jin, Z., Li, D., Han, J., & Tao, X. (2025). Multimodal Fusion for EEG Emotion Recognition in Music with a Multi-Task Learning Framework. 2025 IEEE International Conference on Acoustics, Speech and Signal Processing (ICASSP) 脳波が拓くパーソナライズ音楽推薦の未来 こうした技術は、単なる感情の分析にとどまらず、私たちの日常に活かされる可能性を秘めています。とくに注目されているのが、音楽推薦システムへの応用です。 これまでも、「この曲が好きそう」「前に聴いたジャンルからおすすめ」といったレコメンド機能は存在していましたが、そこには“そのときの気分”という要素までは反映されていませんでした。 今回の研究のように、脳波を通してリアルタイムで感情を読み取れるようになれば、今の自分にぴったりの音楽を自動で選んでくれる世界が見えてきます。 たとえば、疲れているときにはリラックスできる曲を、集中したいときにはテンポのいい曲を提案するような、状況や気分に合わせた音楽体験が可能になるのです。 さらに将来的には、ストレス状態の検出やメンタルヘルスへの応用も期待されています。脳波によって感情の変化を客観的にモニタリングできれば、「最近落ち込みがちだな」といった心のサインを早期に察知し、音楽を通じてやさしく気分を整えるような介入も夢ではありません。 脳と音楽とAIがつながることで、「今の気分にぴったりな音楽」を自動で選んでくれるような体験――そんな未来が、少しずつ現実になってきています。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより 「この曲、今の気分にぴったり」と感じたこと、きっと誰にでもあるはずです。 その“気分”が脳波とAIで読み取れるようになってきているなんて、ちょっとワクワクしますよね。 今回ご紹介した研究は、話題の大規模言語モデルやマルチタスク学習といった最新技術を巧みに活用し、個人差の壁を越えながら、より自然で柔軟な感情理解に挑んだ点が非常に印象的でした。 今後、音楽推薦やメンタルヘルスといった分野での応用が進めば、「今の自分に寄り添う音楽体験」が、誰にとってもあたりまえのものになるかもしれません。 BrainTech Magazineでは、こうした脳科学とテクノロジーの交差点から生まれる最前線の研究を、今後もわかりやすくお届けしていきます。 Huang, S., Jin, Z., Li, D., Han, J., & Tao, X. (2025). Multimodal Fusion for EEG Emotion Recognition in Music with a Multi-Task Learning Framework. 2025 IEEE International Conference on Acoustics, Speech and Signal Processing (ICASSP).  https://ieeexplore.ieee.org/abstract/document/10890727?casa_token=2MWCAW46z80AAAAA:4r31MKmOZvOeICqzC3AKOapdGgO9fRHibb28bmmh3XwbrvD_Uk24huPs0ANwAQeA1oAVe6himA

音楽療法とは?健康を支える音楽の力と実践アイデア集

音楽には、ただ聴くだけで心が落ち着いたり、懐かしい記憶がよみがえったりする不思議な力があります。そんな音楽の力を活かして、医療や福祉、教育などの現場で広がっているのが「音楽療法」です。リラックス効果や記憶の刺激、リハビリとの相乗効果まで、その可能性は多岐にわたります。 この記事では、音楽療法の基本的な考え方から、家庭や施設で取り入れる方法、最新技術を活用した「うたメモリー」の紹介までを、わかりやすく丁寧に解説します。誰もが身近にある音楽を、少しだけ特別なかたちで暮らしに活かしてみませんか。 音楽療法とは? 音楽療法とは、音楽の持つ力を活用して、心身の健康を支援する療法です。医療や福祉の現場はもちろん、近年では教育や在宅ケアの分野にも広がりを見せています。 この章では、音楽療法の本質をわかりやすく紹介しつつ、なぜ音楽が人に作用するのかという科学的な視点も交えて解説していきます。 音楽療法で行われる主な活動とは? 音楽療法では、対象者の状態や目的に合わせて、音楽を「聴いたり」「歌ったり」「演奏したり」する活動を通じて心と体のサポートを行います。単に音楽を楽しむのではなく、その人に合った曲や方法を選び、狙った効果を引き出すことを目的に実施されるのが特徴です。 方法としては、大きく2つに分けられます。ひとつは、好きな音楽を聴いて気持ちを落ち着かせるなどの「受動的な音楽療法」。もうひとつは、歌を歌ったり、楽器を鳴らしたりすることで自己表現を促す「能動的な音楽療法」です。 また、個別で行うこともあれば、複数人でグループ形式にすることもあります。グループセッションでは、他者との関わりが生まれるため、コミュニケーション能力や社会性の向上も期待されます。 音楽が気持ちや記憶に働きかけるしくみ 音楽が人の心や体に影響を与えるのは、音楽を聴くことで、私たちの脳が感情や記憶に関係する部分を活発に働かせるからです。 たとえば、リラックスできる音楽を聴いたとき、なんだかホッとした気持ちになることはありませんか? これは、脳の中で「ドーパミン」や「セロトニン」といった、気分を安定させる物質が分泌されることによって起こる現象です。その結果、イライラや不安が落ち着き、心が軽くなっていくのです。 また、音楽は記憶とも深くつながっています。懐かしい曲を聴いて、昔の出来事や人の顔を思い出した経験がある方も多いのではないでしょうか。これは、音楽が「思い出のカギ」として働き、記憶を引き出してくれるためです。 さらに、音楽は言葉を使わなくても感情を伝えられる「非言語コミュニケーション」の手段でもあります。言葉ではうまく気持ちを表現できないときでも、音楽を通して安心感を得たり、他人と気持ちを共有したりすることができるのです。 音楽療法がもたらす主な効果とは 音楽療法は、単に「音楽を聴いて癒される」という感覚的なものではありません。近年の研究や臨床の現場では、音楽療法が心・脳・身体の幅広い領域にプラスの影響を与えることが明らかになってきています。 この章では、音楽療法によって得られる主な効果について、詳しく見ていきましょう。 感情を落ち着かせ、ストレスをやわらげる 音楽には、人の感情に直接働きかける力があります。ゆったりとしたテンポや心地よいメロディーの音楽を聴くと、副交感神経が優位になり、心拍や血圧が落ち着くという生理的変化が起こります。その結果、緊張や不安がやわらぎ、ストレス状態から抜け出しやすくなります。 特に、病院での検査前や手術前の患者に音楽を聴かせると、不安感が軽減されるという事例は多く報告されています。また、うつ病や不安障害を抱える方に対する音楽療法でも、感情の浮き沈みが少なくなり、情緒の安定に寄与するとされています。 参考:日本臨床統合医療学会HP 記憶や認知機能を刺激する 音楽は、記憶を司る脳の部位「海馬」や、感情に関わる「扁桃体」と深く結びついています。特に、過去に聴いていた音楽や思い出の曲は、過去の出来事や感情を自然と引き出す力を持っています。 認知症の方に昔流行った歌謡曲を聴いてもらうことで、記憶がよみがえり、会話がスムーズになったり、表情が豊かになったりする例が実際に多く報告されています(1)。また、音楽に合わせて簡単なリズム運動を行うと、脳への刺激がさらに高まり、集中力や判断力の改善にもつながると考えられています。 (1)The Guardian. (2024, July 27). ‘It brings you back’: the suburban choir helping people living with dementia reconnect. Retrieved from 身体機能の回復やリハビリとの相乗効果 音楽のリズムには、身体を自然に動かしたくなる力があります。これはリハビリの分野でも有効で、歩行訓練やストレッチなどに音楽を取り入れることで、身体の動きがスムーズになり、運動の継続もしやすくなる効果が期待されます。 たとえば、パーキンソン病の方にテンポのある音楽を聴かせながら歩いてもらうと、歩幅やテンポが安定し、歩行が改善されたという研究があります(1)。また、高齢者施設では、音楽に合わせて身体を動かすプログラムが、筋力維持や転倒予防の観点でも注目されています。 (1)Zhuolin Wu, Lingyu Kong, Qiuxia Zhang(2022)「Research Progress of Music Therapy on Gait Intervention in Patients with Parkinson's Disease」International Journal of Environmental Research and Public Health, 19(15), 9568. 音楽療法はどんな場面で活用できる? 音楽療法は、特定の疾患や年齢層に限らず、さまざまな人・場面に柔軟に対応できるのが大きな強みです。医療や福祉の分野ではもちろん、教育現場や地域活動でも積極的に導入が進んでいます。 それぞれの場面で、音楽がどのように機能し、人を支えているのかを見ていきましょう。 認知症ケアでの音楽療法の活用 音楽療法は、認知症の進行を緩やかにし、症状をやわらげるための手段として注目されています。とくに、思い出の曲を聴きながら昔の出来事を語り合う「回想法」は、記憶を呼び覚まし、感情を安定させる効果があるとされています。 また、認知症の方が示す「BPSD(暴言・興奮・抑うつなどの行動・心理症状)」に対しても、音楽によって気持ちが和らぎ、穏やかな状態が維持できるという実践例が数多く報告されています(1)。音楽は、「その人らしさ」を取り戻すための大切なきっかけにもなります。 (1)Ueda, T., Suzukamo, Y., Sato, M., & Izumi, S. (2013). Effects of music therapy on behavioral and psychological symptoms of dementia: A systematic review and meta-analysis. Ageing Research Reviews, 12(2), 628–641. 高齢者施設・デイサービスでのレクリエーション 高齢者施設やデイサービスでは、音楽を使ったレクリエーションが広く行われています。季節の歌や童謡、昔懐かしい歌謡曲を一緒に歌うことで、参加者同士の交流が生まれ、社会的孤立の予防にもつながります。 また、歌う・聴く・手を叩くなどのリズム活動は、脳だけでなく身体にも適度な刺激を与えるため、生活の質(QOL)の向上に貢献するとされています。音楽を介した活動は、笑顔や会話を自然と引き出す力を持っています。 発達障害・自閉スペクトラム症(ASD)への支援 発達障害や自閉スペクトラム症(ASD)のある子どもたちは、言葉によるコミュニケーションが難しかったり、感情をうまく表現できなかったりすることがあります。そんなとき、音楽は言葉に頼らず気持ちを伝えたり、自分らしさを表現したりできる手段として有効です。 たとえば、リズム遊びや手拍子、歌を通じて、他の子どもや支援者と自然に関わる機会が生まれ、社会性や協調性を育むサポートになります。 また、毎日の活動に決まった音楽を取り入れることで、安心感を得やすくなるという利点もあります。たとえば「お片付けの時間に流す音楽」や「帰りの時間に聴く曲」を決めておくと、子どもが状況の切り替えをスムーズに受け入れやすくなります。これは「音楽による見通しの提示」とも言え、生活にリズムや予測可能性を持たせる支援として活用されています。 精神疾患やうつ状態のサポート うつ病や不安障害など、心の病を抱える人にとって、音楽は自分の感情に気づくきっかけになったり、気分をやさしく持ち上げてくれる存在になったりします。 音楽療法では、言葉にしにくい感情を音で表すことで、心理的な解放感を得られたり、自己理解が深まるといった効果が期待されます。 また、音楽療法士の存在も重要です。セラピストがそばで反応を丁寧に受け取りながら進行することで、安全で安心できる環境の中で、自分の気持ちを少しずつ整理していくことができるとされています。 リハビリや身体トレーニングとの併用 音楽のリズムには、体を動かすタイミングやテンポを整える作用があります。これを活かして、理学療法や運動療法と組み合わせることで、より効果的なリハビリが可能になります。 たとえば、歩行訓練では一定のテンポの音楽に合わせて足を出すことで、バランス感覚が安定しやすくなります。さらに、楽器を使った手の運動や、リズムに合わせた関節の動きは、楽しみながら継続できるリハビリ手法としても注目されています。 音楽療法はどう使い分ける? 音楽療法には、音楽を「どのように活用するか」によってさまざまなアプローチが存在します。この章では、音楽療法の代表的な手法とその特徴をわかりやすく解説します。 音楽を聴いて癒す「受動的音楽療法」 受動的音楽療法とは、対象者が音楽を聴くことで心身のリラックスや感情の安定を図る方法です。医療や介護の現場では、検査前の不安を和らげたり、終末期ケアで安心感をもたらしたりするために利用されます。 選曲は、対象者の好みや過去の体験に基づいて行われることが多く、特に高齢者においては懐かしい音楽が記憶や感情を呼び起こす「回想法」の一環として使われることもあります。 この方法は、体力的・精神的な負担が少ないため、誰でも無理なく参加できる柔軟なアプローチとして幅広く取り入れられています。 演奏や歌で表現する「能動的音楽療法」 能動的音楽療法では、対象者が自ら歌ったり、楽器を鳴らしたりして音楽に積極的に関わることで、表現力や自己肯定感を高めることを目的とします。 たとえば、発達障害のある子どもにとっては、リズム遊びや手拍子を通じて他者とのやり取りを自然に学ぶ機会になります。また、うつ症状のある方が歌を通じて自分の気持ちを表現することで、心の内面にある感情を言葉以外の方法で外に出すことが可能になります。 音楽を「自分のもの」として扱う体験は、感情の整理や他者とのつながりの構築にも役立つとされ、より積極的な心理的変化を引き出すことができます。 個別とグループ、それぞれのセッションの特徴 音楽療法は、個別セッション(1対1)とグループセッション(複数人)の2つの形式で行われます。どちらを選ぶかは、対象者の目的や状態、環境によって異なります。 個別セッションでは、より深くその人のニーズに合わせた対応が可能です。例えば、重度の障害がある場合や、強い不安を感じている場合には、一対一の落ち着いた環境が安心感を提供します。 一方、グループセッションでは、音楽を通じた他者との交流や協調性の促進が大きな目的となります。歌や合奏を通じて「一緒に音をつくる」体験が、社会性や自己表現力の向上に結びつくとされています。 音楽療法の手法とアプローチの違い手法の種類          内容受動的療法  ▶ 音楽を「聴く」ことでリラックスや感情の安定を図る▶ 好みの曲、懐かしい曲などを使う▶ 精神的・身体的な負担が少なく誰でも実践しやすい能動的療法▶ 歌を歌う、楽器を演奏するなど、音楽に参加する▶ 自己表現、感情解放、他者とのやり取りの促進に効果的 ▶ 発達支援や精神疾患の支援などに活用されるセッション形式個別セッション▶ 1対1で実施。個別の課題や感情に丁寧に向き合える▶ 不安が強い、重度障害など個別支援が必要な場合に適すグループセッション▶ 複数人で歌や合奏を楽しみながら、交流や協調性を育む▶ 高齢者施設やデイサービス、発達支援などに多く活用  家庭や施設での音楽療法の始め方 音楽療法というと専門的な知識が必要と思われがちですが、家庭や高齢者施設でも、ちょっとした工夫で音楽を取り入れることは十分に可能です。ここでは、誰でも手軽に取り組める方法と、効果的な音楽の選び方、さらに導入時に注意すべきポイントを紹介します。 身近な道具でできる!簡単音楽療法の工夫 家庭や施設で始めるなら、まずはCDプレーヤーやスマートフォン、Bluetoothスピーカーなど、身近な再生機器を活用するのがおすすめです。 例えば、朝の支度の時間に明るい音楽を流す、入浴前にリラックスできる音楽をかけるといった、生活のリズムに音楽を組み込むだけでも、気分が整いやすくなります。高齢者の場合は、歌詞カードを用意して一緒に歌うことで、発声や口の運動、回想のきっかけにもなります。 近年注目されているのが、VIE株式会社と東和薬品、NTTデータ経営研究所が共同開発した「うたメモリー」という、懐かしい音楽の力で記憶を呼び覚ますことを目的としたプロダクトです。特徴は、イヤホン型の脳波計で音楽を聴いたときの“懐かしい”という感情の反応を読み取り、その人に合った音楽をAIが選んでプレイリストにしてくれる点です。 たとえば、昔よく聴いていた曲を耳にしたときに、脳が「懐かしい」と反応すると、その反応をもとにAIが似たような曲を集めて再生してくれます。まるでその人だけの“思い出のサウンドトラック”が自動で作られるイメージです。 さらに、思い出した記憶を記録できるノート(メモリートラベルブック)もついていて、家族や仲間と一緒に思い出話をするきっかけ作りにもなります。 製品に関するお問い合わせはこちら: info@vie.style 失敗しない選曲のコツ(年代・ジャンル別) 音楽の効果を引き出すには、「その人に合った音楽を選ぶこと」が重要です。高齢者の場合は、10〜20代のころに聴いていた曲が最も記憶を刺激しやすいとされており(1)、昭和30〜50年代の歌謡曲や童謡、民謡がよく使われます。 ただし、選曲は個人の趣味や体験によって大きく異なるため、できるだけ本人や家族と相談しながら、「懐かしい」「好きだった」と感じる曲を選ぶことがポイントです。洋楽や演歌、テレビ主題歌など、ジャンルも多様に対応するとよいでしょう。 (1)Jakubowski, K., & Ghosh, A. (2019). Music-evoked autobiographical memories in everyday life. Psychology of Music. Advance online publication.  専門家との連携や注意点 家庭で音楽療法を取り入れる際には、安全性や本人の反応をしっかり観察することが大切です。特に認知症の方などは、曲によっては過去の辛い記憶を呼び起こす場合もあるため、反応には十分な配慮が必要です。 不安がある場合や、より本格的な支援を希望する場合は、日本音楽療法学会の認定音楽療法士や、地域の専門機関に相談するのも良い選択です。専門家の視点を取り入れることで、安全で効果的な音楽の活用が実現しやすくなります。 音楽療法で毎日にやさしさと希望を 音楽療法は、音楽の力で心と体に寄り添い、記憶や感情をやさしく呼び覚ます手法です。特別な知識がなくても、家庭や施設でできることから始められ、誰にとっても身近で実践しやすいアプローチといえるでしょう。 科学的な根拠に基づいた効果に加え、テクノロジーの進化により「うたメモリー」のような新しい支援ツールも登場しています。 音楽には、人と人をつなぎ、人生の大切な瞬間を思い出させてくれる力があります。毎日の暮らしに音楽療法を取り入れることで、少しだけ優しく、前向きな時間が生まれるかもしれません。

研究と筋トレに情熱を注ぐ東京大学・井上大地さん:『融合身体』研究者のパーソナルストーリー

今回は、東京大学大学院で「融合身体」の研究に取り組まれている井上さんにお話を伺いました。インタビューの前半では、井上さんの研究に至るまでの背景やこれまでの研究成果などについて詳しくご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 https://mag.viestyle.co.jp/interview01 インタビューの後半では、井上さんのパーソナルストーリーに焦点を当て、幼少期の生活や現在の趣味、研究に関するエピソードなどについて伺いました。 研究者プロフィール 氏名:井上 大地(いのうえ だいち)所属:東京大学大学院 情報理工学系研究科 知能機械情報学研究室:Cyber Interface Lab(葛岡・谷川・鳴海研究室)研究分野:HCI、融合身体 研究へのきっかけと歩みーー脳波から融合身体へ ── まずは簡単に自己紹介をお願いします。 はい、現在は東京大学大学院の情報理工学系研究科で学んでいます。学部時代は、人間の脳とコンピューターをつなぐBCI(Brain Computer Interface)に関する研究を行っていました。大学院に進んでからは、HCI(Human Computer Interaction)の分野にフィールドを広げて、その中でも「融合身体」という学習手法を中心に取り組んでいます。 ── もともとは脳科学への関心が入口だったんですね。「融合身体」というのは、どのような研究手法なのでしょうか? 簡単にいうと、VR空間の中で教師と学習者が1つのアバターを共有しながら動かす仕組みです。たとえば、学習者が腕を動かす際、教師の動きも合成されてアバターに反映されるので、自分一人では得られない「上手い動きの感覚」がまるで補助輪のように体験できるんです。運動スキルを学ぶ際に、とても効果的だと考えています。 ── それは面白いですね。井上さん自身の原点についても教えていただけますか? 幼少期はどんなふうに過ごしていたのでしょう。 とにかく好奇心が強くて、山で遊んだり工作をしたりしていました。コガネムシの羽を拾って観察し、同じような羽を自作してみたり(笑)。それを自由研究として提出したこともあります。生き物全般が好きで、動物園に行ったらカバの絵をずっと描き続けるような子どもでしたね。 VIEインターンでの挑戦――視野を広げた日々 ── 学部時代にはVIEでインターンをされたそうですが、そのきっかけは何だったのでしょう? 「脳」に関連する研究や事業に携わっている企業を探していたときに、ちょうどVIEの活動を知ったんです。興味を持ってすぐにメールで連絡したところ、オンラインでお話をする機会をいただいて、そのままインターンとして採用してもらえました。 ── インターンでは、具体的にどんなプロジェクトに参加されたんですか? 大学3年生の頃から約1年間、イヤホン型脳波計の実験や、サウナでの脳波計測、さらにはラスベガスでの技術検証など、本当に幅広いプロジェクトに関わらせていただきました。学問の世界だけでは得られない視野が広がったのを感じます。 研究と趣味の相乗効果で未来を切り拓くーーベンチプレス150kgへの挑戦 ── ここからは、研究の裏側や私生活について伺いたいと思います。 井上さんの研究室はどんな雰囲気ですか? とても自由で個性豊かですね。料理が好きで味覚の研究をしている先輩がいたり、息抜きにはダーツや麻雀、Nintendo Switchで遊んだりもします。私自身は留学先のイタリアで学んだ「アペリティーボ」という文化を取り入れて、夕方にみんなで軽くお酒を飲む時間を作ってリフレッシュするようになりました。新しい習慣を柔軟に取り入れられるところが魅力だと思います。 ── すごくオープンな雰囲気なんですね。井上さんは研究以外で熱中していることはありますか? はい、今はトレーニングにハマっています。就職活動が一段落した1年ほど前から本格的に始めて、今ではベンチプレスで130kgを挙げられるようになりました。次の目標は150kgですね。 ── 130kgは本当にすごいですね。どれくらいの頻度でトレーニングされているんでしょうか? 週に3〜4回くらいですね。大学のジムが使えるので、研究室に通う日はそのままジムにも立ち寄ってトレーニングするようにしています。 ── なるほど。研究の合間を縫って、かなり本格的に取り組まれているんですね。最後に、今後の目標や展望について教えてください。 最近は生成AIをどう活用できるかに興味があります。特定の分野の論文を大量にインプットさせて、まるで専門家と議論しているかのような対話ができないかと考えているんです。受動的に本を読むだけじゃなく、AIとのやり取りを通して主体的に学ぶスタイルを試してみたくて。あとは筋トレも続けて、ベンチプレス150kgを目指したいですね(笑)。

VRでアバターを共有する新時代の学習体験:東京大学・井上大地さんが語る「融合身体」の可能性

脳の仕組みを解明し、人類の可能性を広げる研究分野として注目を集める「脳科学」。私たちVIEでは、この魅力的なテーマに挑む若手研究者に焦点を当て、彼らの研究内容や情熱に迫るインタビュー企画をスタートしました。 さまざまな視点から脳科学の最新研究を紹介することで、読者の皆さまに脳の神秘や研究の楽しさをお届けするとともに、新しい視点で脳について考えるきっかけとなることを目指しています。 今回のインタビューでは、東京大学大学院で「融合身体」の研究に取り組まれている井上大地さんにお話を伺いました。インタビューの後半では、井上さんのパーソナルストーリーをたっぷりご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 https://mag.viestyle.co.jp/interview02 研究者プロフィール 氏名:井上 大地(いのうえ だいち)所属:東京大学大学院 情報理工学系研究科 知能機械情報学研究室:Cyber Interface Lab(葛岡・谷川・鳴海研究室)研究分野:HCI、融合身体 融合身体との出会いと背景 ── 井上さんが現在取り組まれている「融合身体」について、まずは概要をお伺いしたいです。そもそも、どのようなきっかけでこの研究テーマを選ばれたのでしょうか? 学部時代に祖父母が認知症を患ったことをきっかけに、幅広い世代の人がより感覚的に操作できるデバイスに興味を持つようになりました。最初は脳波を利用して人間の脳とコンピューターを繋ぐBCI(Brain Computer Interface)に関する研究をしていましたが、人間とコンピューターとのつながりをもっと詳しく追求したいと思い、修士では人間とコンピューターの相互作用を扱うHCI(Human Computer Interaction)にフィールドを移しました。その中でも、VR技術を活用して教師と学習者がひとつのアバターを共有する「融合身体」という新しい学習手法に可能性を感じ、今の研究に取り組んでいます。 ── 祖父母の認知症をきっかけに、『もっと直感的に扱えるデバイスが必要だ』と感じたそうですが、具体的にどのような経験がBCIへの関心につながったのでしょうか? 私が大学の2~3年生だった頃、祖父母が相次いで認知症を患い、日常生活を自力で送るのが徐々に難しくなっていったんです。両親がサポートに行っていたんですが、それでも日常的に支援が必要な状態でした。たとえば、物の置き場所を忘れてしまったり、スマホの操作がうまくできなくて困ったり……。 そんな姿を見ているうちに「何か、本人がもう少し自分で動きやすくなる仕組みはないのかな」と考えるようになりました。でも、高齢者にはスマホ操作も難しいですよね。一方で脳波を使ったBCIなら、頭の中の信号を直接読み取ることで操作できる可能性がある。まさに次世代の技術ですし、「実際に実用化されれば、より直感的に使いこなせるはずだ」とワクワクしたんです。 ── 確かに、脳波で操作できれば画面をタッチしたり小さな文字を読んだりする手間がなくなりますよね。まさにその出会いが、「直感的に扱える技術を極めたい」という気持ちに火をつけたわけですね。 もともと医学部志望だったということもあって、人間の脳には強い関心がありました。でもBCIは、人間とコンピューターをダイレクトにつなぐ技術ですから、まさに私の興味ど真ん中だったんです。祖父母の状況を目の当たりにして、「操作が苦手な人でも直感的に動かせる方法はないのか」と考えるうちに、BCIの可能性をとことん追求したいと思うようになりました。 VR空間でひとつのアバターを操作する不思議な感覚とは? ── では、ここからは「融合身体」について詳しくお聞きしたいと思います。名前からしても不思議な印象がありますが、そもそもどのようなシステムなのでしょうか? 融合身体というのは、VR空間の中で教師と学習者が1つのアバターを共有し、同時に動かせる仕組みです。たとえば、学習者が腕を動かすときに、教師の腕の動きも合成されてアバターに反映される。すると、学習者は自分の実力以上に「上手く動いている感覚」をそのまま体験できるんです。 画像の引用元:https://ieeexplore.ieee.org/document/10049764 ── なるほど。いわば自転車の補助輪のように、教師の動きが支えとなってくれるわけですね。実際にその状態で練習すると、どんなメリットがあるのでしょうか? フォームの感覚を体で直感的に覚えやすくなるんです。視覚や言語だけで説明されるより、「こう動けばいいのか!」と実際に体験できるので、習得スピードが上がるという利点があります。たとえばスポーツや楽器演奏のように、細かなタイミングや力加減が大事な分野では、この「リアルタイムで上手い動きを体感できる」というのが大きな強みですね。 ── 確かに、言葉だけの説明だとピンとこないことが多いですから、実際に優れた動きを感じ取れるのは画期的ですね。 今後の展望と課題ーースポーツからリハビリまで広がる可能性 ── それでは最後に、融合身体の将来的な応用や課題についてお尋ねします。スポーツやリハビリなど、さまざまな分野での応用が期待できるとのことですが、井上さんが特に注目しているのはどの領域でしょうか? 今のところ、一番わかりやすいのはスポーツのスキル習得だと考えています。ゴルフやテニスなど、正しいフォームが重要な競技で、遠隔地にいても指導者の動きそのものを体感できれば、場所を選ばずに効率的に練習できると思います。またリハビリの現場でも、セラピストと患者さんが同じアバターを動かすことで、患者さんが動作のイメージをつかみやすくなるかもしれません。 ── とても面白いですね。一方で、まだ研究の初期段階だからこそ課題も多いと伺いました。具体的には、どんな点がボトルネックになっているのでしょうか? 一番大きいのは、「どうして融合身体で学習者のスキルの上達が促進されるのか」というメカニズムが明確ではないところですね。VR空間で“うまく動けている気分”を味わうこと自体が学習を後押しするのか、それとも実際に教師と学習者の身体的な動作が融合していることに意味があるのか……。この因果関係をはっきりさせないと、異なる運動や別の分野に応用するのは難しいんです。 ── 確かに、基礎的なメカニズムが解明されていないと、体系的に広げていくのは簡単ではありませんね。でも今後の発展が本当に楽しみです。では最後に、これから同じ領域に挑戦してみたい学生や若い研究者に向けて、メッセージをいただけますか? まずは「好奇心」を何より大切にしてほしいですね。HCIやVRの研究は、技術の進歩だけでなく、人間の心理や行動を深く理解することが非常に重要なんです。社会の課題を解決する着想は、意外なところからふと生まれることも多いので、自分自身の経験や視点を活かしていくのがポイントになると思います。 たとえば、「ゲームが大好きだからもっと面白い仕組みを考えたい」という動機が、そのまま研究テーマになることもありますし、些細な興味がこの分野の大きなブレイクスルーにつながることもあります。ぜひ自由な発想を持って、このエキサイティングな世界に飛び込んでみてほしいですね。 インタビューの後半では、井上さんのパーソナルストーリーをたっぷりご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 https://mag.viestyle.co.jp/interview02

脳波で文章が書ける時代へ──最新AIが「思考」をテキストに変換

「頭の中で考えただけでメールが送れる」 そんなSFのような世界が、ついに現実味を帯びてきました。最新のブレインテック研究では、非侵襲の脳波(EEG)データから自然な文章を復元するAIモデルが開発され、注目を集めています。 脳波から“文章”を読み解く:非侵襲BCIのブレイクスルー 脳波から人の意思を読み取る「ブレイン・コンピュータ・インタフェース(BCI)」の研究は、これまでにも義手の制御や簡単な選択肢の選別といった形で応用されてきました。しかし、「文章」を再構成する試みは、まさに次元が異なるチャレンジです。 従来の非侵襲的なBCIでは、脳波の信号が微弱でノイズも多く、せいぜい「はい・いいえ」レベルの意思しか識別できませんでした。文章のような連続的かつ複雑な情報を読み取るには、高度なアルゴリズムと深層学習の力が不可欠だったのです。 注目の研究:HGRUとMRAMによる「脳波から文章生成」 2025年1月に学術誌『Engineering Applications of Artificial Intelligence』に掲載された論文「Decoding text from electroencephalography signals: A novel Hierarchical Gated Recurrent Unit with Masked Residual Attention Mechanism」では、中国・電子科技大学の研究チーム(Qiupu Chenら)が、脳波(EEG)から自然な文章を直接生成するAIモデルを発表しました。 このモデルの何より驚くべき点は、単なる脳波のラベリングではなく、脳活動から直接「文章そのもの」を出力する点にあります。まさに“頭で考えたこと”が、画面に文字として現れる時代の到来を感じさせます。 どうやって脳波が「文章」になるのか? このモデルは、複数の時間スケールで脳波データを処理する「階層型GRU構造」を採用しています。これにより、文章の意味を理解するうえで重要な、文脈や過去の情報を保持しながら、整った文として出力することが可能になります。 さらに、脳波データの中から特に意味のある信号に注目するために、「アテンション機構」と呼ばれる仕組みが使われています。これはAIが入力データの中で“どこを見るべきか”を判断する技術で、ノイズを抑えつつ、重要な部分にしっかりと焦点を当てる役割を果たします。 そして出力されるテキストは、あらかじめ言語の構造を学習しているAI(例:BARTなど)とも連携されており、自然な文法や語順で表現されます。 つまり、脳波を読み取るだけでなく、それを“言語として訳す”ところまでを一気に担う、まさに脳波の翻訳者のようなシステムなのです。 どこまで“思考”を再現できるのか? もちろん、現時点では完全な「心の読解」はできません。とはいえ今回の研究では、非侵襲で得られる脳波データから、意味の通る文章を構成できるレベルにまで精度が向上しており、これは非常に大きな進展といえます。 従来のようにあらかじめ決められた選択肢を識別するだけでなく、より柔軟で自然な表現の再構成が可能になったことで、脳波によるコミュニケーションのあり方そのものに新たな可能性が生まれました。 話せない人の“声”になるテクノロジー この技術が進化すれば、話すことができないALS患者や脳卒中患者が、自分の意思を「文章」で伝える手段になる可能性があります。さらに、脳に電極を埋め込むことなく、EEGキャップを使うだけで実現できる未来が近づいているのです。 また、将来的には、ARやVR空間での“思考だけで操作するUI”としての応用も期待されており、「脳波でLINEを送る」「手を使わずにドキュメントを書く」といった未来も、そう遠くないかもしれません。 研究の意義:脳とAIの共進化 この研究は、脳科学とAI技術の融合が、いかに強力な可能性を秘めているかを象徴しています。今後も、脳波解析技術の精度向上、大規模データによるモデルの汎用化、そしてリアルタイム処理の実現などが進めば、“思考と機械”をつなぐインターフェースとしてのBCIは、私たちの生活を大きく変える存在になるでしょう。 🧠 編集後記|BrainTech Magazineより 今回ご紹介した研究は、非侵襲で自然文を復元するというブレインテックの最前線を示すものです。SFで描かれた「思考で操作する世界」は、いま現実になりつつあります。VIEでは、こうした最先端の技術と社会実装の橋渡しを目指して、今後も注目研究を随時ご紹介していきます。 📝本記事で紹介した研究論文 Chen, Q. et al. (2025). Decoding text from electroencephalography signals: A novel Hierarchical Gated Recurrent Unit with Masked Residual Attention Mechanism. Engineering Applications of Artificial Intelligence, Volume 129, January 2025. https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0952197624017731

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