0.2秒の差が事故を左右する──ブレーキランプと脳の反応
皆さんは車間距離を十分に取って運転しているでしょうか?前の車のブレーキランプが光ったとき、とっさにブレーキを踏めるかどうか――その僅かなタイミングの差が追突事故を招くことがあります。
実は0.2秒程度の反応時間の違いが、高速道路では数メートルの制動距離差となり、事故を防げるかどうかを左右すると言われます。では、前の車のブレーキランプを目にしたとき、私たちの脳はどんな反応を示し、どうすればより素早くブレーキを踏めるのでしょうか?
最新の研究では、その問いに脳波(EEG)で迫りました。ブレーキランプを見たとき脳内で何が起こっているのかを直接測定することで、より安全なブレーキランプ設計につなげようという試みです。「脳科学×交通安全」というユニークなアプローチから、思わず「なるほど!」となる新事実が明らかになりました。
ブレーキランプを脳はいつ認識するのか?
自動車の追突事故原因の多くは、前車の減速に気付くのが遅れることにあります。従来、こうしたブレーキ反応時間 (Brake Reaction Time, BRT)は、ブレーキランプが点灯してからドライバーがブレーキペダルを踏むまでの時間として測られてきました。
しかし、人間の反応速度には、多くの要因が影響します。ドライバーの年齢や運転経験、集中力だけでなく、足の位置や靴の重さといった細かな条件まで差を生みます。さらに、ブレーキペダルを実際に踏む動作にも時間がかかるため、ブレーキランプに「気付く」までの時間と「足を動かす」までの時間が混ざった形で測定されてしまうのです。
そこで研究者たちは、脳波を活用し、ブレーキランプを『あ、光った!』と脳が認識した瞬間をとらえるアプローチに挑戦しました。脳波は脳の神経活動によって生じる微弱な電気信号で、刺激に対する脳の反応をミリ秒精度で捉えることができます。
P3成分で分かる脳の認知タイミング
特に注目されるのが『P3成分』と呼ばれる脳波の特徴です。これは、人が「重要だ」と感じる出来事を認識した直後、約0.3秒後に頭の中に現れる電気的なピークで、認知のタイミングを示すサインとして知られています。
たとえば、突然の音や光に対して「ハッ」と気付いた瞬間、頭の中ではP3という電位のピークが生じるのです。このP3は、単なる反射ではなく「気付いてから動くまで」の橋渡しをする過程を映し出します。言い換えれば、ブレーキランプを『あ、止まらなきゃ』と脳が認識したタイミングを教えてくれる指標なのです。
研究チームは、ブレーキランプが点灯してから脳がそれを認識するまでの時間を「認知反応時間」と定義し、この指標を脳波P3を使って測定しました。こうすることで、ペダルを踏む動作に要する時間を含めず、純粋に脳が気付く速さだけを比較できるのです。
過去の調査では、電球式のブレーキランプよりLEDランプの方がドライバーのブレーキ反応が平均0.17秒ほど速いことが報告されていました。しかし、それらは主にペダル操作の時間を測ったものです。今回の研究では脳の反応そのものに着目することで、ブレーキランプ設計が人間の認知に与える影響をダイレクトに評価しようとしました。
実験方法:ブレーキランプとシミュレーターを使った脳波計測

この実験では、実際のブレーキランプ部品を使い、できるだけ現実に近い状況でデータが集められました。まず様々な車種のブレーキランプ10種類を用意し(うち2種類は電球タイプ、8種類はLEDタイプ)、室内に再現した運転環境で被験者に運転してもらいます。
被験者は運転席に相当する椅子に座り、前方スクリーンには高速道路を走行する映像が映し出されます。足元にはアクセルとブレーキのペダルを設置しました。被験者は映像に合わせてアクセルを踏み続け、前方に設置された試験用のブレーキランプが光ったら、アクセルから足を離してブレーキを踏むよう指示されました。
しかし、被験者がいつランプが点くかを予測して身構えていては、現実の「不意のブレーキ」に対する反応とは異なってしまいます。そこで研究チームは、ランプをランダムなタイミングで点灯させる一方で、フェイントとしてランプ点灯とは関係のない黄色いリング状のライトも点滅させる工夫を取り入れました。
被験者にとっては、いつ本当のブレーキランプが光るかわからない状態にすることで、「注意はしているが不意に現れるブレーキ」に近い状況を再現したのです。この間、被験者の頭には8チャンネルの脳波計が装着されており、ブレーキランプ点灯の瞬間をマーカーとして脳波データが記録されました。
そして、測定した脳波データからP3成分を解析することで、認知反応時間を割り出しました。P3は頭頂部で最も大きく現れるため、解析には頭頂部に配置したPz電極の信号が用いられています。
具体的には、各試行(ランプ点灯ごと)の脳波を重ね合わせて平均化し、刺激から数百ミリ秒後に現れる陽性波(P3)のピーク時間を検出しました。このピークのタイミングこそが、脳がブレーキランプを認識した瞬間を示しているのです。
光の違いが脳を動かす:LED vs 電球
こうして得られた脳の認知反応時間には、興味深い傾向が表れました。最大のポイントは、電球タイプとLEDタイプで明確な差が見られたことです。
脳波P3の潜時(=認知までの時間)の平均を比べると、どの被験者でも電球式ランプはLED式より遅いことが統計的にも示されました。中でも最も遅かったのはFord車の電球式ランプで、最も速かったHonda車のLEDランプとは約0.13秒の差がありました。
同じ車種で電球とLEDを比べても、たとえばフォード・フォーカスの電球ランプは同型のLEDランプより平均0.17秒遅れて脳が反応しています。脳波の解析によって、LEDランプの方が電球式よりも素早く脳に認識されることが裏付けられたのです。
図1:脳波P3潜時の平均値(±標準偏差)による各ブレーキランプの比較(橙色は電球式ランプ2種、青色はLEDランプ8種)。電球式は全ての被験者でLED式より認知が遅く、特にFord車電球ランプ(左端)は最も遅い認知時間となった。一方、LED同士ではランプ形状の違いによる差は小さい。実験では被験者22名のデータを解析し、電球 vs LEDの差は統計的にも有意と報告されている。
なぜLEDは電球より早く脳に届くのか
LEDが優れている理由のひとつは、光源そのものの性能差にあります。白熱電球の点灯には、電球の種類やフィラメントの構造によって数ミリ秒から数十ミリ秒程度の遅延が生じます。これに対し、LEDは瞬時に点灯するため、この遅延がほとんどありません。LEDは立ち上がりの速さにおいて白熱電球よりも優れているという点は事実です。
要するに「光り始めが遅い・ボンヤリ光る」のが電球、「パッと光ってハッキリ見える」のがLEDという違いがあるわけです。そのため視覚的な刺激強度の点でLEDランプは有利であり、結果として脳が気付くまでの時間が短縮されると考えられます。
実験では、LED同士でも形状や明るさの違いによるP3潜時の差が一部見られましたが、残念ながら統計的に有意とは言えませんでした。研究チームによると、被験者がブレーキを踏む足を動かした際のノイズ(筋電や体動によるアーティファクト)が脳波に混入し、微妙な差の検出を難しくした可能性があるといいます。
しかし、電球 vs LEDという大分類では明確な差が出たことで、車両の安全性を向上させる上で、LEDランプの採用が有効な選択肢であることを裏付けています。事実、近年の車はほぼ全てブレーキランプがLED化されつつありますが、もし古い電球タイプを使い続けている車があれば、安全のためにも早めに交換した方が良いかもしれませんね。
運転熟練度と脳の反応、その関係とは

脳波データをさらに分析すると、ドライバーの経験や熟練度による違いも一部で見えてきました。被験者は運転経験の豊富なグループ(平均13年)と初心者グループ(平均4年)に分けられていましたが、LEDランプに対するP3潜時は初心者の方がやや遅い傾向があったのです。
統計的にも、経験者の方がわずかに速いという結果が得られました。有意水準5%でかろうじて差が確認され、両グループ内で遅めの反応を示した人たちに注目すると、経験者では約0.50秒、初心者では約0.55秒という差がありました。
一方で、電球ランプでは運転経験による差はほとんど見られませんでした。著者らは「電球は誰にとっても反応が遅いため、経験の影響が表れにくい。しかしLEDなら、そのわずかな差が現れるのだろう」と推測しています。経験を積んだドライバーほど、不意のブレーキランプにも素早く気付ける可能性が示された点は興味深い発見です。
脳波は運転の未来をどう変えるのか?
この研究は、ブレーキランプ設計と脳の認知メカニズムを結びつけた先駆的な試みですが、今後の展開次第では様々な分野への応用が考えられます。
たとえば車両設計だけでなく、ドライバー教育や運転支援システムへの応用も考えられます。脳波を活用すれば、ドライバーが重要な信号を見落としていないか、その注意喚起がどれほど効果的かを客観的に評価できるのです。
また、ブレーキ以外の警報(車間アラートや歩行者検知アラームなど)についても、音や光のデザインを脳反応の観点から最適化できるでしょう。企業にとっては「人間の脳に響くUI/UX」を開発するヒントになるかもしれません。
さらに研究チームは、今後実際の道路環境で脳波計測を行い、ブレーキランプ認知の脳内プロセスを詳細に調べたいと述べています。
今回のようなシミュレーション実験では、被験者も「失敗しても事故にはならない」と分かっているため若干気が緩む可能性があります。リアルな運転状況であれば、より慎重になる分だけ、脳の反応も変わるかもしれません。
そのような生の脳データを集めれば、ドライバーの注意散漫やヒヤリハットの兆候を脳波から検知してアラートを出す、といった未来のニューロテック安全システムも夢ではありません。
今回紹介した論文📖 Ramaswamy Palaniappan, Surej Mouli, Howard Bowman, Ian McLoughlin (2022). “Investigating the Cognitive Response of Brake Lights in Initiating Braking Action Using EEG.” IEEE Transactions on Intelligent Transportation Systems, 23(8), 13878-13883research.aston.ac.ukresearch.aston.ac.uk.(オープンアクセス)
WRITER
Sayaka Hirano
BrainTech Magazineの編集長を担当しています。
ブレインテックとウェルビーイングの最新情報を、専門的な視点だけでなく、日常にも役立つ形でわかりやすく紹介していきます。脳科学に初めて触れる方から、上級者まで、幅広く楽しんでもらえる記事を目指しています。
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