うつ病と向き合う治療の中で、近年「マインドフルネス」が注目されています。これは、薬やカウンセリングに加えて、自分の心の状態に丁寧に気づく力を育てることで、症状の再発を防ぎ、気分の波を安定させていこうとする取り組みです。
本記事では、マインドフルネスとうつ病の関係を科学的な視点から解説し、医療現場での活用や実践時の注意点も紹介します。治療の一部として取り入れたい方や、日々のセルフケアを見直したい方にとって、参考になる内容をわかりやすくまとめました。
マインドフルネスとうつ病の関係とは?

現代日本では、うつ病を含む気分障害に悩む人が増えています。厚生労働省の令和2年(2020年)「患者調査」によると、精神疾患を有する外来患者数は約586万人にのぼり、その中でもうつ病や気分変調症などの気分障害は大きな割合を占めていることが報告されています。
こうした状況の中で、注目を集めているのが「マインドフルネス」です。マインドフルネスとは、「今この瞬間」に意識を向けて、頭の中に浮かぶ考えや感情を「良い」「悪い」と判断せずに、そのまま気づいて見守るような心の使い方のことです。
このような姿勢を身につけることで、ネガティブな思考に巻き込まれにくくなり、結果としてうつ病の再発予防や症状の緩和に役立つとされています。
そこでまずは、マインドフルネスの基本的な考え方を確認し、うつ病のメカニズムや従来の治療法とあわせて、なぜマインドフルネスがうつ病に有効とされるのかを脳科学の観点から見ていきましょう。
マインドフルネスとは?
マインドフルネスは、「今この瞬間」に注意を向けるシンプルな心のトレーニングです。日常の中で、呼吸や体の感覚、まわりの音などに意識を向けることで、思考や感情に振り回されにくくなると言われています。
詳しい意味や実践方法については、こちらの記事でわかりやすく紹介しています。
うつ病のメカニズムと従来の治療法
うつ病は、脳内の神経伝達物質(セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンなど)のバランス異常や機能低下によって、感情や思考、意欲に影響が出る精神疾患です。主な症状として、抑うつ気分、興味や喜びの喪失、疲労感、睡眠障害などが挙げられます。
従来の治療としては、抗うつ薬を中心とした薬物療法と、考え方の癖を修正する認知行動療法(CBT)が広く用いられています。ただし、薬物療法には副作用の懸念があるうえ、再発リスクも高いです。薬で症状を一時的に抑えるだけでなく、ストレスを感じたときの受け止め方や、物事に対する考え方そのものを整えていくことも大切だと考えられています。
このような背景から、薬物療法や認知行動療法だけでなく、心のセルフケアとしてマインドフルネスを取り入れる動きが、医療現場でも広がりつつあります。
科学的に証明されたマインドフルネスの効果とは?
マインドフルネスがうつ病に有効とされる理由のひとつが、脳の働きに直接影響を与える点にあります。特に注目されているのが*デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)と呼ばれる脳の領域です。DMNは、何もしていない時に活性化し、自己への反芻的な思考や、過去・未来への思索を司っています。
うつ病患者ではこのDMNが過剰に活性化し、「反芻思考(ネガティブなことを繰り返し考えてしまう)」を助長する傾向があります。しかし、マインドフルネスを実践すると、DMNの活動が抑制され、代わりに注意制御を担う前頭前野や、感情処理に関わる島皮質が活性化することが、脳画像研究によって明らかになっています[1]。
さらに、マインドフルネスはストレスホルモン「コルチゾール」の分泌を抑える効果もあり、身体的・精神的な安定に寄与します。これらの働きによって、うつ病の症状緩和や再発予防に効果があると科学的に裏付けられているのです。
[1]Bremer, B., Wu, Q., Mora Álvarez, M. G., Hölzel, B. K., Wilhelm, M., Hell, E., Tavacioglu, E. E., Torske, A., & Koch, K. (2022). Mindfulness meditation increases default mode, salience, and central executive network connectivity. Scientific Reports, 12, Article number: 13762.
マインドフルネスが医療現場で使われる理由

かつては一部の人がおこなうリラクゼーションの一種と見られていたマインドフルネスですが、今では医療やメンタルヘルスの現場でも、治療や再発予防の一環として取り入れられるケースが増えています。
この章では、その科学的根拠と実際の導入事例を紹介し、なぜマインドフルネスが医療に活用されているのかを紐解いていきます。
治療効果を裏付ける臨床試験
マインドフルネスの医療活用の背景には、数多くの臨床研究による裏付けがあります。中でも代表的なのが、マインドフルネス認知療法(MBCT)と呼ばれるアプローチです。これは、うつ病の再発を防ぐために、マインドフルネス瞑想と認知行動療法を組み合わせた治療法で、欧米を中心に高く評価されています。
たとえば、世界的な医学誌『The Lancet(ランセット)』に掲載された2015年の研究では、MBCTが抗うつ薬と同等の再発予防効果を持つことが報告されています[1]。実験では、うつ病を繰り返している成人に対し、薬物療法を続けるグループとMBCTを実施するグループを比較した結果、どちらも再発率に有意な差はなく、MBCTも安全で有効な治療法として認められました。
このほかにも、MBCTがストレスへの反応性を下げ、情緒の安定や自己認識力の向上を促すことが複数の研究で確認されており、うつ病に対する「補完的な心理療法」としての地位を確立しつつあります。
[1]Kuyken, W., Hayes, R., Barrett, B., Byng, R., Dalgleish, T., Kessler, D.,… & Byford, S. (2015). Effectiveness and cost-effectiveness of mindfulness-based cognitive therapy compared with maintenance antidepressant treatment in the prevention of depressive relapse or recurrence (PREVENT): a randomised controlled trial. The Lancet, 386(9988), 63–73.
実際に導入が進む医療・福祉の現場
研究だけでなく、実際の医療機関でもマインドフルネスの導入が進んでいます。特に先進的なのが、イギリスの国民保健サービス(NHS)で、MBCTがうつ病再発予防の標準的な治療法として公式にガイドラインに盛り込まれています。
NHSでは、うつ病の既往歴がある患者に対して、薬物療法だけでなくMBCTプログラムへの参加も積極的に推奨されています。
日本国内でも、厚生労働省がマインドフルネスの活用に注目しており、精神疾患対策の施策の中で一定の役割を果たしつつあります。たとえば、一部の自治体や精神科クリニックでは、うつ病や不安障害の治療プログラムとして、マインドフルネス瞑想を取り入れた集団療法やセルフケア講座がおこなわれています。
このように、マインドフルネスは単なるリラクゼーションを超え、科学的に検証され、実際の医療現場でも活用される心のトレーニング法として定着しつつあります。
マインドフルネスを安全に取り入れるための留意点

マインドフルネスは、基本的には誰でも取り組める心のトレーニングです。しかし、うつ病という疾患においては、症状の重さや個人の状態によっては注意が必要なケースもあります。ここでは、どのような人に適しているのか、また、実施を控えるべき場合や事前に医師に相談した方がよいケースについて解説します。
うつ病の状態によっては注意が必要?
マインドフルネスは、うつ病の治療や再発予防に効果があるとされる一方で、誰にでもすぐに適用できるわけではありません。とくにうつ病の急性期(症状が強く出ている時期)では、慎重な判断が必要です。
例えば、臨床心理学の知見では、抑うつや無気力を伴う認知症患者に対する非薬物的介入の実践において、注意や動機づけの低下によって、マインドフルネスのような「今ここ」に意識を向けるアプローチが十分に機能しにくい可能性が示唆されています[1]。
一方で、症状が安定し始めている回復期や、再発予防を目的とするタイミングでは、マインドフルネスの導入が有効に働くケースが多く見られます。このように、実施の可否は「今の自分の状態」を冷静に見極めることが重要です。
[1]大庭 輝.「認知症の抑うつと無気力に対する非薬物的介入研究のレビュー」.厚生労働科学研究費補助金(認知症政策研究事業)分担研究報告書,2022年度,pp.1–35.大阪大学大学院人間科学研究科.
うつ病の人がマインドフルネスで悪化する可能性があるとき
マインドフルネスは心の落ち着きを取り戻す手法として広く知られていますが、一部の人にとっては逆に苦痛を伴う体験になることもあります。これは単なる「合う/合わない」だけでなく、心の状態や背景にある心理的な特性が関係していると考えられています。
たとえば、過去にトラウマ的な経験をしている人は、瞑想中にその記憶や感情がフラッシュバックし、不安や恐怖が強まることがあります。
また、瞑想実践中に自分の感情や身体感覚に意識を向けることで、「不安を感じている自分」や「集中できない自分」を強く意識してしまい、かえって不安や焦りが高まるといった反応は、有害事象(Adverse Events)として複数の研究で報告されています。
特に、抑うつや不安、混乱、解離的な体験といった心理的な副反応は、マインドフルネスなどの瞑想ベース介入に伴う副作用として臨床現場でも認識されつつあり、今後はこうしたリスクへの対応も求められています[1]。
このような副反応を防ぐためにも、最初はガイド付きで取り組んだり、信頼できる専門家のサポートのもとで進めることが勧められます。
[1]Farias, M., Maraldi, E., Wallenkampf, K. C., & Lucchetti, G. (2020). Adverse events in meditation practices and meditation-based therapies: a systematic review. Acta Psychiatrica Scandinavica, 142(5), 374–393.
実施前に医師に相談すべきケース
うつ病の方でも、症状が比較的安定している場合はマインドフルネスを無理なく始められることが多いとされています。
ただし、症状が重い時期や、他の精神疾患を抱えている場合には注意が必要です。
以下のようなケースに該当する場合は、自己判断で始める前に、医師や臨床心理士に相談することをおすすめします:
- 急性期のうつ病で治療中、または重度の抑うつ症状がある
- 統合失調症や双極性障害など、他の精神疾患の診断がある
- PTSDや解離性障害など、強いトラウマ体験が影響している
- 瞑想中に過去にパニックやフラッシュバックを経験したことがある
- 強い不安や不眠により、静かな時間が逆に苦痛になったことがある
このような場合、マインドフルネスが逆に不安を強めたり、症状を悪化させる可能性もあるため、無理のない形で進めることが大切です。
治療としてのマインドフルネスを考える

すでに前述したように、マインドフルネスは薬物療法や認知行動療法と併用されることもあり、実践方法のひとつとして医療現場でも一定の評価を得つつあります。
ここでは、治療との組み合わせ方や、制度面での今後の課題について整理していきます。
薬物療法・認知行動療法との併用の可能性
うつ病の治療においては、薬物療法や認知行動療法(CBT)が主要な選択肢とされていますが、近年ではそこにマインドフルネスを組み合わせるケースも増えています。特にマインドフルネスは、「思考を修正する」CBTとは異なり、思考や感情を客観的に気づく力を育てることを目的としており、補完的な関係が築かれやすいとされています。
さらに、マインドフルネスは自分自身で継続的に実践できる点でも治療効果の維持に貢献するため、医療者からは「再発予防の土台」として期待されることも多くなっています。薬に頼りすぎないセルフケアの一環として、今後ますます重要性が高まっていくと考えられます。
マインドフルネスが「医療」として広がるには?
現在の日本では、マインドフルネスは医療保険の対象には含まれておらず、うつ病治療における正式なガイドラインにも明記されていません。そのため、医療機関ごとに導入状況にばらつきがあり、必要な人に確実に届く仕組みが整っていないのが課題です。
これに対し、イギリスのNHSではマインドフルネス認知療法(MBCT)が再発予防の治療として制度化されており、医師の判断で保険適用が可能となっています。
日本でも、こうした制度整備が進めば、経済的な負担を軽減しながら質の高い心理的支援を受けられる環境が広がります。さらに、信頼できる指導者の育成や、対象者の適切な選定が体系的におこなわれるようになることで、より安全で効果的なマインドフルネスの実践が期待できます。
マインドフルネスはうつ病にどう向き合えるのか?
マインドフルネスは、うつ病の治療における有効な補助療法のひとつとして、近年ますます注目を集めています。過去や未来にとらわれがちな思考を「今ここ」へと戻すこの手法は、再発予防や感情の安定に役立つことが、脳科学や臨床研究の分野でも明らかになりつつあります。
薬物療法や認知行動療法と併用することで、より包括的な治療アプローチが可能となり、特に回復期や再発予防の段階でその効果が期待されています。ただし、重度の症状がある場合や、他の精神疾患との合併が疑われる場合は、専門家と相談しながら慎重に取り入れることが大切です。
今後、マインドフルネスが医療制度の中で正式な治療法として認められることで、より多くの人が安心して実践できる環境が整っていくことが期待されます。