FEATURE

冷水浴の健康効果を徹底検証──炎症・ストレス・睡眠への影響とは

氷のように冷たい水を浴びるなんて、想像しただけで思わず身震いしてしまいますよね。ですが今、「冷水浴」が心や体に良い健康法として注目を集めています。氷水を張った浴槽に浸かる「アイスバス」や、シャワーを冷水に切り替える習慣など、世界中で実践される方が増えているのです。 実際、Amazonでは家庭用アイスバスの売上が、わずか1年で1000台未満から9万台以上に急増したというデータもあるそうです。 それでは、なぜ多くの方がわざわざ冷たさに身を委ねているのでしょうか?その背景には、「冷水浴でストレスが軽減される」「免疫力が向上する」「気分がすっきりする」といったさまざまな効果への期待があります。 とはいえ、これらの効果には科学的な裏付けがどの程度あるのでしょうか?今回は、最新の研究に基づいて、冷水浴の効果についてわかりやすくご紹介します。 注目を集める「冷水浴」とは? 「冷水浴(Cold Water Immersion, CWI)」とは、その名のとおり、体を冷たい水に浸す健康法です。一般的には、水温15℃以下(おおよそ10~15℃が目安)で行われ、シャワーでも浴槽でも、胸の高さまでしっかり冷水に触れることがポイントとされています。 冷水浴自体は、実は古くから世界各地で行われてきた習慣ですが、近年ではアスリートのコンディショニングやセルフケアの一環として、改めて注目を集めています。特にスポーツの分野では、激しい運動後にアイスバスを取り入れることで、筋肉の回復を早めたり、痛みを和らげたりする効果が期待され、広く活用されてきました。 ただし一方で、「運動直後の冷却が筋肥大や筋力の向上を妨げる可能性がある」とする研究結果もあり、実際の現場では評価が分かれているのが現状です。 「冷水浴」のメカニズムと話題の理由 では、私たち一般の人にとって、冷水浴にはどのような意味があるのでしょうか。専門家によると、冷水に浸かることで自律神経が一気に活性化し、心拍数や血圧、呼吸数が一時的に上昇するなど、身体に強い生理的な反応が起こるとされています。 つまり、体が「冷たい!」と驚き、それに対処しようとして交感神経が刺激されるのです。このとき、ストレスホルモンであるコルチゾールや、アドレナリンの一種であるノルアドレナリンの分泌も急増します。 まるで短時間の運動を行ったような状態になりますが、こうした一時的なストレス刺激が、むしろ体の適応力を高めるのではないかと考えられています。たとえば、心血管の健康や、脳の認知機能の向上につながる可能性があるという見方もあります。 さらに一般向けのメディアでは、「冷水浴で炎症が抑えられる」「代謝が上がる」「集中力や気分が良くなる」など、多くの効果が紹介されています。 このようにして冷水浴は一大ブームとなっていますが、果たしてその効果には科学的な裏付けがあるのでしょうか?その疑問に答えるべく、研究者たちが最新のデータをもとに検証を行いました。 最新レビューが明かす、冷水浴の身体と心への影響 こうした冷水浴ブームを背景に、2025年1月、学術誌『PLOS ONE』にて最新の系統的レビュー研究が発表されました。 Cain, T., Brinsley, J., Bennett, H., Nelson, M., Maher, C., & Singh, B. (2025). Effects of cold-water immersion on health and wellbeing: A systematic review and meta-analysis. PLOS ONE, 20(1): e0317615. journals.plos.org この研究では、冷水浴が健康な一般成人にどのような影響を与えるのかについて、科学的に検証されています。 オーストラリアの研究チームが実施した本レビューでは、過去の関連論文を網羅的に調査し、その中から厳密な条件を満たしたランダム化比較試験(RCT)11本を選定しました。対象は18歳以上の健康な成人で、トップアスリートや既往歴のある方は除外されています。 介入の方法も多様で、氷水を張った浴槽に浸かるものや、冷水シャワーを浴びる形式などが含まれており、水温は7〜15℃、実施時間は30秒〜2時間と、条件はさまざまでした。 最終的には3,177名分のデータをもとに、冷水浴の前後で身体や心理にどのような変化があったのかが分析されました。 冷たさにびっくり?体が見せる意外な反応 まず注目したいのは、炎症に関する意外な結果です。冷水浴と聞くと、「炎症を抑える」「体の熱を冷ます」といったイメージを持たれる方も多いかもしれません。しかしこの研究では、冷水浴の直後や1時間後に、体内でストレス応答に関連する一時的な生理的変化(炎症性サイトカインなどのマーカーの上昇)が見られました。 これは、体が冷たさを刺激と認識し、それに適応しようとする自然な防御反応と考えられています。これらの変化は一時的なもので、時間が経てば通常の状態に戻ることが確認されており、むしろこうした急激な刺激が体を鍛える「トリガー」となる可能性もあると言われています。 ただし、持病がある方にとっては、この一時的な炎症がリスクになる場合もあるため、冷水浴を始める際には無理をせず、体調に注意しながら行うことが大切です。 ストレスへの作用は時間差で──12時間後に見えた有意差 次に、ストレスへの効果について見てみましょう。冷水浴を日課にしている人の中には、「冷たいシャワーでストレスが吹き飛ぶ」と話す方も多いですが、今回の研究ではもう少し複雑な結果が示されました。 分析によると、冷水浴の直後や1時間後、24時間後、48時間後といったタイミングでは、ストレスレベルに明確な変化は見られませんでした。ところが、12時間後に測定されたデータでは、ストレスが有意に減少していたのです。 たとえば、朝に冷水シャワーを浴びると、その夜には気持ちが落ち着いている──そんな効果が期待できるかもしれません。 なぜ効果が遅れて出るのか、はっきりとはわかっていませんが、研究チームは体の適応反応に注目しています。冷水の刺激で交感神経(緊張モード)が活性化したあと、時間をかけて副交感神経(リラックスモード)が働きはじめ、心が落ち着いていくという流れがあるのではないかと考えられています。 このように冷水浴は、炎症やストレスに時間差で作用するというユニークな特徴を持っており、ストレス対策として取り入れる場合はタイミングを工夫することもポイントになりそうです。 図:冷水浴後のストレスへの効果を示すメタ分析の結果(Forest Plot)グラフの黒い菱形マークが効果量の合計を示しており、縦のゼロ線より左側にあるとストレス低下の効果を意味する。このレビューでは、冷水浴12時間後のポイントで黒いマークが大きく左に偏しており、ストレスが有意に減少したことを表している。一方、0時間後(直後)や1時間後、24時間後、48時間後のマークはゼロ線付近に位置し、これらの時点では有意な変化がなかったことが読み取れる。 病欠日数が29%減少──冷水習慣の長期的な影響とは 「冷水を浴びれば風邪をひかない」といった話を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。では、科学的にはどうなのでしょうか。 今回のレビューによると、冷水浴の直後や1時間後における免疫指標(白血球の数や免疫細胞の働きなど)には、明確な変化は確認されませんでした。つまり、冷たいシャワーで即座に免疫力が高まる、という証拠はまだ不十分のようです。 一方で、長期的な効果には興味深いデータもあります。オランダで行われた大規模な研究では、冷水シャワーを30日間続けたグループで、病気による欠勤日数が29%減少したという結果が出ています。 これは、冷水浴が直接的に風邪の罹患回数を減らすというよりも、症状の重症度を軽減したり、病気からの回復を早めたりするなど、体の不調に対する耐性を高める可能性を示唆しています。この効果には、心理的な要因や、体がストレスに適応する能力が高まることなどが複合的に関わっていると考えられます。 すぐに免疫力が劇的に上がるわけではありませんが、冷水シャワーを日常的に取り入れることで、体調管理に役立つ可能性はあるかもしれません。生活リズムを整える効果も含め、習慣として取り入れてみる価値はありそうです。 冷水でよく眠れる?思わぬリラックス効果 冷水浴は、睡眠の質にも影響を与えるのでしょうか。寝る前にお風呂で温まるとよく眠れると言われますが、逆に冷たい水ではどうなのか気になりますよね。 今回のレビューでは、睡眠に関するデータはまだ限られているものの、肯定的な結果がいくつか報告されています。たとえば、暑い環境でのトレーニング後に冷水浴(15分)を行った若い男性たちのグループでは、自己申告による睡眠の質が有意に改善していたことが確認されました。 研究チームは、冷水によるクールダウン効果が睡眠に良い影響を与えた可能性に言及しています。ただし、この結果は特定の条件(若い男性・運動後)に限られているため、誰にでも当てはまるとは言い切れない点には注意が必要です。 それでも、朝の冷水浴で日中の覚醒度を高めることで、夜の自然な眠りをサポートするなど、生活リズムを整える効果は期待できるかもしれません。 気分・集中力への影響は限定的──現時点の科学的評価 冷水浴をすると「気分が上がる」「頭が冴える」と感じる方もいらっしゃいますが、今回のレビューでは科学的な裏付けはまだ十分ではないことが示されました。 たとえば、20代男性を対象とした小規模な研究では、「活発さ」や「エネルギー感」「疲労感」などを比較しましたが、冷水浴の有無による明確な差は確認されませんでした。不安感や抑うつ感といったメンタルヘルスの改善についても、高品質な証拠は得られていないと報告されています。 一方で、『冷水に入ると気分がスッキリする』という声が多く聞かれるのも事実です。研究者たちは、このような主観的な感覚は、冷水浴が行われる環境やシチュエーション、たとえば海辺での体験や他者との交流など、様々な要因によって増幅される可能性があると指摘しています。 今回のレビューは、そうした外的要因を排除した厳密な条件下での『冷水そのもの』の影響を検証したため、現時点では気分や集中力に対する直接的な科学的根拠は限定的と結論付けられています。しかし、主観的な体験の重要性も認識されており、今後の研究でより多角的な視点からの検証が期待されます。 まとめ:冷水浴は脳と体に「効く」のか? 今回のレビューによって、冷水浴に関する効果の「はっきりしてきた部分」と「まだ根拠が乏しい部分」が見えてきました。 たとえば、炎症は一時的に増加し、ストレスは12時間後に明確に低下することが確認されています。免疫については即効性は見られないものの、継続することで病欠が減る可能性が示唆されました。睡眠や生活の質においても、一部で改善が見られました。 一方で、気分や集中力の即時的な向上については、今のところ信頼性の高いデータが不足しており、過度な期待は避けたほうがよさそうです。 冷水浴の特徴として注目したいのは、効果が時間をかけて現れる点です。たとえば、朝に冷水を浴びることで、夜にかけて気分が落ち着くといった、自律神経を整える習慣として活用できる可能性があります。 現時点では、研究の数や対象に偏りがあり、長期的な影響や安全性については今後の検証が求められます。それでも、冷たい水に入るというシンプルな行為が、体や心に広く作用することが少しずつ明らかになってきました。 まずは無理のない範囲で取り入れながら、自分に合うかどうかを試してみることが大切です。 今回紹介した論文📖Cain, T., Brinsley, J., Bennett, H., Nelson, M., Maher, C., & Singh, B. (2025). Effects of cold-water immersion on health and wellbeing: A systematic review and meta-analysis. PLOS ONE, 20(1): e0317615. journals.plos.org

脳波×AI解析のすべてがわかる!測定方法・最新技術・将来性まで詳しく紹介

人の感情や集中状態を、リアルタイムに「見える化」できたら──。脳内で生じる微弱な電気信号をAIが解析することで、医療やヘルスケア、エンターテインメントまで幅広い分野で活用が進んでいます。すでに診断支援やストレス可視化、VRゲームでの応用も始まり、日常生活への実装も射程圏内です。 本記事では、脳波AI解析の基本から最新事例、導入の実務ポイント、そして未来の可能性までをわかりやすく解説します。 脳波とAIの関係とは?その仕組みと最新技術を解説 人間の脳内では、思考や感情、行動のたびに微弱な電気信号が発生しています。これらの信号は「脳波」として記録され、長年にわたり医療や神経科学の分野で活用されてきました。近年では、人工知能(AI)技術の進化により、こうした脳波の解析にも革新が起きています。 AIを用いることで、従来の手法では読み取れなかった微細なパターンや傾向を抽出できるようになり、医療診断やメンタルケア、さらにはエンターテインメントや教育の分野まで応用が広がっています。本章では、脳波の基本的な知識と、AIによる解析の特長について紹介します。 脳波の種類や各帯域(アルファ波、ベータ波など)の詳しい働きについては、以下の記事で詳しく解説されています: https://mag.viestyle.co.jp/eeg-business/ 脳波は何を表しているのか? 脳波とは、脳内で発生する電気信号を計測したもので、周波数帯によって「デルタ波」「シータ波」「アルファ波」「ベータ波」「ガンマ波」などに分類されます。これらは、睡眠、集中、リラックス、認知活動といった精神状態や行動と密接に関係しています。 たとえば、リラックス時にはアルファ波、集中しているときにはベータ波が優位になるなど、脳の状態を客観的に把握する指標として利用されています。こうした波形の変化を読み解くことで、精神的・認知的な状態を可視化することが可能になります。 AIによる脳波解析では、人間が事前にラベル付けした大量の脳波データ(教師データ)を学習することで、これらの波形の中から特定のパターンや傾向を自動的に抽出し、高精度に分類したり、状態を検出・予測したりする技術が重要です。これにより、従来の統計的手法では難しかった微細な変化も捉えることが可能になります。 なぜAIで脳波解析が進化するのか? これまでの脳波解析は、特定の時間帯の波形を人の目や統計的な手法で分析するのが一般的でした。しかしこの方法では、複雑な脳の活動パターンを正確に捉えるのが難しく、解析にも時間と専門知識が必要でした。 近年は、AI、特にディープラーニング(深層学習)の技術を使うことで、こうした課題が大きく改善されています。AIは大量の脳波データを学習しながら、わずかなパターンの違いや時間の変化、波形に含まれるノイズ(不要な信号)なども自動で判別することができます。 たとえば、AIは「この脳波パターンは集中している状態」「この動きは睡眠の兆候」といった分類や予測が得意です。これにより、医療現場での診断補助や、リアルタイムでメンタル状態を把握するようなシステムにも活用されるようになっています。 人が判断するよりも早く、しかもブレなく客観的な解析ができる――それが、AIが脳波解析において注目されている大きな理由です。 こちらの記事もチェック: https://mag.viestyle.co.jp/mi-eeg-analysis/ 脳波AI解析の仕組みと技術的アプローチ 脳波をAIで解析するには、データをただ集めるだけではなく、測定前の準備から取得後の処理まで、いくつかの工程を踏む必要があります。具体的には、データの取得、前処理、特徴量の抽出、そしてAIによる学習・推論といった一連のステップが重要な役割を果たします。 ここでは、脳波解析において実際に使われている代表的な技術や手法を、工程ごとにわかりやすく解説します。 脳波データの取得方法と環境整備 脳波の測定には、「EEG(Electroencephalogram/脳波計)」と呼ばれる機器が使われます。EEGは、頭皮に取り付けた複数の電極から脳の電気的な活動を検出し、それをリアルタイムで記録する非侵襲的な方法です。従来は医療や研究の場での利用が主でしたが、近年では一般向けの簡易EEGデバイス(例:Emotiv、VIE Zoneなど)も登場し、個人レベルでの利用も広がりつつあります。 精度の高い脳波データを得るには、測定環境の整備も重要なポイントです。たとえば、外部の電磁波ノイズを避けるために静かな部屋を選び、電極を正確に装着し、被験者の体の動きをできるだけ抑えるといった配慮が必要です。こうした工夫によって、解析に適したクリーンなデータを収集することが可能になります。 脳波データの前処理と特徴抽出の方法 EEGで取得した脳波データには、筋肉の動きや瞬き、周囲の電子機器からのノイズなど、さまざまな外的要因による干渉が含まれています。そのままの状態では、正確な解析やAIによる学習に適していません。 そのため、まず「前処理(Preprocessing)」という工程が必要になります。ここでは、特定の周波数帯だけを通すバンドパスフィルタや、まばたき・体動によるアーチファクト(人工的な信号)の除去、さらには不要なノイズの排除などが行われます。 前処理を終えた後は、「特徴量抽出(Feature Extraction)」の段階に進みます。この工程では、周波数帯ごとの電力(スペクトル解析)や、時間の経過による信号の変化(時間領域解析)といった数値的な特徴を取り出します。これらの特徴量は、AIが学習・解析を行うための基礎データとなり、脳波のパターン分類や状態の予測に活用されます。 脳波解析に使われるAIアルゴリズムの種類 脳波のように時間とともに変化する「時系列データ」を扱う場合には、適切なAIアルゴリズムの選定が重要になります。現在、脳波解析でよく使われているAIモデルには、以下のようなものがあります。 CNN(畳み込みニューラルネットワーク)  画像認識に優れるモデルで、脳波の周波数成分や空間的な電極分布をとらえるのに適しています。EEG信号をスペクトログラム(時間×周波数の画像)として変換し、CNNに入力する手法が広く活用されています。 RNN(再帰型ニューラルネットワーク)・LSTM(長短期記憶)  時系列の流れをモデル化できるのが特長で、脳波のように連続して変化するデータの解析に向いています。中でもLSTMは、過去の情報を長期間保持しやすいため、脳波状態の予測や分類タスクによく使われています。 強化学習  環境からのフィードバック(例えば、デバイスが意図通りに動いたかどうか)を基に学習を進める手法で、ユーザーの脳波から得られる信号を操作コマンドとして、最適な動作を導き出すといった応用が可能です。特に、ブレインマシンインターフェース(BMI)領域では、ユーザーが思考によってロボットアームを動かしたり、カーソルを操作したりするようなリアルタイム制御への応用が進んでいます。 これらのモデルは、それぞれ異なる特性を持つため、目的や対象とするタスクに応じて単独で使われたり、組み合わせて使われたりします。どのモデルを使うかの選定は、精度や処理速度、解釈性などとのバランスが求められます。 従来手法との違い:AIによる精度とスピードの向上 これまでの脳波解析では、統計的な手法やフーリエ変換など、決まった分析手順に基づいた定量的な処理が主流でした。これらの方法は、構造が明確で信頼性も高く、医療や研究の現場で広く使われてきました。 しかし、こうした従来手法では、脳波の波形に含まれる複雑な変化や個人差を十分に捉えるのが難しいという課題がありました。特に、曖昧で微細な変動に対する感度には限界があり、解釈にも熟練が必要とされます。 一方、AIを活用した解析では、過去に蓄積された膨大な脳波データを学習することで、従来手法では見逃されがちな特徴も自動的に抽出できるようになります。これにより、より高精度な分類や状態推定が可能となり、異常検知や個別最適化といった応用の幅も広がっています。 さらに、AIの導入によって解析作業の自動化が進み、処理にかかる時間が大幅に短縮されるのも大きな利点です。リアルタイムで脳の状態を評価したり、即座にフィードバックを返すようなシステムの実現にもつながっています。 最新事例紹介:脳波×AI解析の最前線 脳波解析とAI技術の進化により、医療診断やウェアラブル製品、ビジネス向け導入、エンタメ分野まで活動が広がっています。本章では、信頼性の高い事例を取り上げ、応用分野ごとに進展内容を整理します。 医療応用:疾患診断支援への活用 医療の現場では、AIを使った脳波解析が、てんかんの発作や認知症、うつ病といった脳の病気の診断を助ける手段として注目されています。 たとえば、アメリカの大手医療機関「メイヨー・クリニック」では、10年にわたり約1万人以上の患者から集めた膨大な脳波データ(EEG)を、AIに学習させて解析する取り組みを進めています。AIはそのデータをもとに、認知症の兆候とされる特定の脳波パターン(後頭部のアルファ波の乱れや、デルタ波・シータ波の異常など)を自動で見つけ出すことに成功しました。 この技術により、アルツハイマー病とレビー小体型認知症といった、似た症状を持つ病気を見分けることも可能になると期待されています。 従来、脳波の判読には専門的な知識と経験が必要で、医師によって判断に差が出ることもありました。AIを使うことで、より客観的で精度の高い解析ができ、さらにMRIやCTなどの高額な画像検査に頼らずに、早期に異常を発見できる可能性が広がっています。 参考:Li, W., Varatharajah, Y., Dicks, E., Barnard, L., Brinkmann, B. H., Crepeau, D., Worrell, G., Fan, W., Kremers, W., Boeve, B., Botha, H., Gogineni, V., & Jones, D. T. (2024). Data-driven retrieval of population-level EEG features and their role in neurodegenerative diseases. Brain Communications, 6(4),  fcae227. https://pmc.carenet.com/?pmid=39086629 日常で使える脳波計:集中力とリラックスを可視化 近年では、イヤホン型の脳波計を用いて、日常生活の中で手軽に脳波を測定し、自分の集中度やリラックス度をリアルタイムで確認できるツールが登場しています。 代表的な製品が、脳波イヤホン「VIE ZONE」と連携するアプリケーション 「VIE Tunes Pro」 です。VIE ZONEは、音楽を聴きながら脳波の計測が可能なイヤホン型デバイスで、頭部に装着するだけで脳波データを取得できます。 このデータは、VIE Tunes Proアプリを通じてAIが解析し、ユーザーの集中度やリラックス度としてフィードバックされます。仕事、勉強、瞑想、サウナなど、さまざまなシーンで自分の状態を「見える化」できるのが特長です。 また、「ニューロミュージック」と呼ばれる脳科学に基づいた音楽コンテンツも搭載されており、ユーザーは自身の目的に合わせて選択することで、集中力やリラックス状態をサポートすることが可能です。 さらに、より詳細な解析を行いたい専門家や開発者向けには、専用アプリケーション 「VIE Streamer」 が提供されており、フーリエ変換による周波数帯解析や、独自のAIアルゴリズムによる状態分類なども可能です。 参考:VIE Streamer公式サイト エンタメ&VR分野:脳波でゲームをコントロール AIと脳波を組み合わせたエンタメ分野の活用も、近年注目を集めています。なかでも、2025年開催の大阪・関西万博「大阪ヘルスケアパビリオン」では、森永乳業とVIE株式会社が技術協力した「VR腸内クエスト〜手×声×脳波で戦う未来型シューティングゲーム〜」が話題です。 このゲームは、プレイヤー自身の腸内を舞台に、手の動作・声・脳波を使って「悪玉菌」と戦う没入型のVRコンテンツです。来場者のパーソナルヘルスレコード(PHR)に基づいて約1億通りの腸内環境ステージが生成される仕組みで、「ビフィズス菌!」と発声することで「ビフィズス菌爆弾」が発動し、腸内バトルを展開していきます。 この体験には、VIEが開発した有線型イヤホン型脳波計が活用されており、リアルタイムで取得した脳波がゲームに反映される仕組みとなっています。また、脳波の状態に応じてニューロミュージックが演出に組み込まれ、没入感を高めています。 参考:PR TIMES「VIE、森永乳業が大阪・関西万博「大阪ヘルスケアパビリオン」で出展する未来型シューティングゲーム「VR腸内クエスト」 で技術協力」 脳波解析を実用化するための機器選定と開発準備 脳波とAIを組み合わせた解析を業務や研究に導入する際には、目的に応じた適切な機器選定と、AIモデル・開発環境の整備、さらにデータの取り扱いフローを明確に設計することが重要です。この章では、実際に脳波×AI解析を導入するために押さえておくべき基本ポイントを3つに分けて解説します。 脳波計の選び方:精度・用途・装着性のバランス 脳波解析に使用する機器には、医療グレードの多チャンネルEEG装置から、一般向けの簡易型EEGデバイスまで多種多様な製品があります。選定時には以下のような要素を考慮することが大切です。 電極数と位置:解析精度に直結。特定部位の信号が必要な場合は、対応チャンネルが多い装置が有効。 装着性と携帯性:長時間の着用が必要な場合や、移動環境での使用には、軽量・ワイヤレス型が適しています。 目的との整合性:医療用途か、リサーチか、一般消費者向けかで最適な機器は異なります。 たとえば、簡易な状態可視化やエンタメ応用にはVIE ZONEのようなウェアラブル型が便利で、詳細な波形分析には多チャンネルの研究用EEGが適しています。 脳波計について詳しく知りたい方は、こちらの記事も参考にしてください。 https://mag.viestyle.co.jp/brainwave_electrode/ AIモデルと開発環境の整備:柔軟性と処理性能の両立 脳波データは、時間の経過によって常に変化する「時系列データ」であり、微弱な信号が多く含まれるため、解析には専門的なAIモデルと適切な開発環境が必要です。 まず、脳波解析に使われる代表的なAI開発フレームワークには、以下のようなものがあります: TensorFlow / Keras  Googleが開発した機械学習フレームワークで、世界中の教育機関や企業、研究者に広く使われています。特にKerasはシンプルな記述でAIモデルが作れるため、初心者にも扱いやすく、応用範囲も広いのが特長です。 PyTorch  Meta(旧Facebook)が開発したフレームワークで、柔軟なコードが書きやすく、実験的な開発やカスタムモデルの設計に適しています。モデルの動作をリアルタイムで確認しながら試行錯誤できるため、研究者や上級開発者に人気があります。 Edge AI(ONNX Runtimeなど)  小型のデバイスやウェアラブル機器の中でAIモデルを動かす「エッジ処理」に対応した環境です。脳波をその場で解析し、即座にフィードバックを返すようなリアルタイム用途で活用されます。 これらのAIフレームワークは、いずれもPythonというプログラミング言語で動作します。Pythonは文法がわかりやすく、AI開発のスタンダードとされており、学習コストも比較的低めです。 さらに、脳波データの処理には専用のPythonライブラリも併用されます。たとえば: MNE:脳波データの読み込み、可視化、前処理などを行えるオープンソースライブラリ NeuroKit2:心拍や脳波などの生体信号を扱う総合ライブラリで、特徴量の抽出にも便利です こうしたツールを組み合わせることで、AIモデルの開発と脳波解析の精度を両立しつつ、効率よく実装を進めることができます。 データの収集からAI学習まで:実務的な流れ 脳波AI解析を正確に行うためには、AIモデルを動かす前段階として、データの取得・整理・加工といった一連の「データフロー」をしっかり設計することが重要です。以下は、一般的な脳波解析プロジェクトで採用される標準的な流れです。 1. データ取得 最初のステップは、対象者の脳波データを記録することです。脳波計(EEG)を使ってリアルタイムに信号を取得し、その情報に加えて「いつ、どんな状況で記録されたか」といったタイムスタンプや被験者の属性情報(メタデータ)も一緒に保存しておく必要があります。これにより、後の解析や比較がしやすくなります。 2. ラベリング(データの意味づけ) 次に、取得した脳波データに「この時は集中していた」「これはリラックス状態だった」などの状態ラベルをつけます。この作業は、AIに正しい学習をさせるための「教師データ(正解データ)」を作る工程です。人の観察結果や、同時に記録された行動・環境情報をもとに、正確なラベリングを行うことが求められます。 3. 前処理と特徴量抽出 生の脳波データにはノイズ(まばたき、筋肉の動き、電磁干渉など)が多く含まれており、そのままでは使いづらいため、「前処理」が必要になります。具体的には以下のような処理が行われます: バンドパスフィルタ処理(特定の周波数帯だけ通す) アーチファクト除去(不要な信号を取り除く) データの正規化や分割 その後、AIが学習できるように、周波数情報(スペクトル解析)や時間変化の情報(時間領域解析)などを数値として取り出す「特徴量抽出」が行われます。 4. AIモデルによる学習と推論 準備が整ったデータを使って、AIモデルに学習させます。学習済みのモデルは、新しい脳波データを入力すると「これは集中状態」「これはリラックス」といった推論(分類・予測)を自動的に行えるようになります。目的に応じて、分類(状態の切り分け)や回帰(数値予測)、可視化(グラフ表示など)など、さまざまな応用が可能です。 このように、脳波AI解析は、ただデータを集めるだけではなく、ラベリングの精度や特徴量の質、学習データの量とバランスなど、いくつものポイントに注意を払うことで、ようやく信頼性の高い結果を得ることができます。 今後の展望と将来予測:脳波×AIの広がる可能性 脳波とAIの組み合わせは、現在すでに医療やヘルスケア、エンタメ領域での応用が進んでいますが、今後はさらに社会全体を変えるインフラ技術へと発展する可能性を秘めています。特に注目されているのが、脳と機械をつなぐ「ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)」との融合や、医療・教育・ビジネス分野での長期的な活用です。 以下では、今後期待される技術連携や、社会に与える影響について具体的に見ていきます。 脳波とBMIの連携で広がる操作の自由度 ブレイン・マシン・インターフェース(Brain-Machine Interface:BMI)は、脳波などの神経信号を利用して、外部デバイスやコンピューターを直接操作する技術です。近年では、AIの進化により脳波からの信号解読精度が向上し、BMIの実用化が加速しています。 たとえば、重度障害を持つ人が、言葉を使わずにコンピューターを操作したり、義手や車いすを脳で制御する研究が進んでいます。今後は、ウェアラブル型脳波計とAIを組み合わせることで、医療・介護現場やスマートホームにおける非接触操作の標準技術としての導入が期待されています。 ブレイン・マシン・インターフェースについてより詳しく知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。 https://mag.viestyle.co.jp/brain-machine-interface/ 社会への影響:医療コスト削減と人間能力の拡張 脳波×AI技術は、長期的には社会構造そのものに影響を及ぼす可能性があります。特に医療分野では、早期診断やメンタルヘルス支援の効率化により、医療費の削減や慢性疾患の重症化予防に貢献するとされています。 さらに、教育や働き方改革の文脈でも注目されています。たとえば、集中力やストレス状態をリアルタイムに可視化することで、学習環境や職場環境の最適化に役立てられる可能性があります。これは「人間の知的生産性を拡張する技術」として、ニューロテクノロジーの次のステージを示唆しています。 このように、脳波×AI解析は医療や技術の枠を超え、社会全体の在り方を変えていくインパクトを持つと考えられています。 脳波×AIが切り拓く未来と可能性 本記事では、脳波とAIを組み合わせた解析技術の基本から、最新事例、導入方法、将来展望までを解説しました。脳波は「見えない脳の状態」を可視化する手段として、医療・ヘルスケア・エンタメ・産業分野での応用が広がっています。 導入を検討している方は、まず小規模なツールや簡易機器での計測・可視化から始め、実際のデータ運用を体験してみることをおすすめします。

進路に悩んだ日々:研究者・堀口さんの興味を引き出した出会い

今回は、カナダのトロント大学で「頭皮で測定される脳波と皮質内の脳波の違い」について研究されている堀口さんにお話を伺いました。インタビューの前半では、堀口さんの研究に至るまでの背景やこれまでの研究成果などについて詳しくご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 前半記事 ▶脳疾患の原因を追究する:トロント大学・堀口桜子さんが語る「正確な脳波計測技術」 今回のインタビューの後半では、堀口さんのパーソナルストーリーに焦点を当て、大学での生活や現在の趣味、研究活動に関するエピソードなどについて伺いました。 研究者プロフィール 氏名:堀口 桜子(ほりぐち さくらこ)所属:トロント大学 物理学科 生物物理学専攻研究室:CAMH, Temerty Centre for Therapeutic Brain Intervention Neurophysiology Team研究分野:計算論的神経科学、EEG、信号源推定(source localization) 脳疾患の理解を目指して:一冊の本がもたらした脳への興味 まずは改めて簡単に自己紹介をお願いします。 現在、カナダのトロント大学の学部4年生で、物理学科に所属しています。専攻は生物物理学で、物理学の原理や法則を用いて体の中で起こる現象を理解する方法を学んでいます。また、今年からトロント大学のCAMH(Center for Addiction and Mental Health)にて研究学生をしています。取り組んでいる研究のテーマは「脳波データを用いた脳活動の解析」です。具体的には、頭皮で測定したEEG信号と脳皮質での活動との関係を探ることに焦点を当てています。 脳に関心をもつようになったきっかけについて教えてください。 中学生のときに読んだマーティン・ピストリウスさんの『Ghost Boy』という一冊が、脳に興味をもつきっかけとなりました。この本では、全身が動かず言葉も話せないのに意識ははっきりしている『閉じ込め症候群』を患った著者が、周囲に自分の思いを伝えられないもどかしさの中で過ごした壮絶な闘病の日々と、そこからの回復の過程が描かれています。 この本を読んだ当時、脳や神経の損傷によって引き起こされるさまざまな症状に対して恐怖を感じると同時に、脳が私たちの身体と心を司る中心であることを強く実感し、その複雑さと精緻さに大きな魅力を感じました。 また、祖父がアルツハイマー病を患い、症状が進行していく様子を身近で見ていたことも脳に関心を抱くきっかけとなりました。脳疾患を患った祖父が、かつて当たり前のようにできていたことが徐々にできなくなるだけでなく、性格が次第に荒れていき、周囲との関係性にも変化が生じる様子を目の当たりにし、脳の病気が本人だけでなく家族や周囲の人々にも深い影響を及ぼすものだということを実感しました。 それから、こうした問題に苦しむ人を少しでも減らすにはどうすればよいのかと考えるようになり、脳や神経に関連する疾患について調べていくうちに、現在の研究にたどり着きました。 大学の授業や研究活動以外に脳科学に関わる機会はありましたか? 高校3年生のときに、脳波を使って脳震盪を診断するというプロジェクトに関わりました。当時は新型コロナウイルスの流行により、対面で脳波を測定することができなかったため、プロジェクトは計画立案の段階で終了してしまいましたが、そこで初めて脳波の存在を目の当たりにしました。 大学入学後は、脳波関連技術を用いたロボットサークルに所属して、ニューロテック分野のコンペティションに参加したり、脳波や他の生体情報から集中度をはかるアプリを開発しようとしていました。 自分の興味を引き出してくれた高校の先生 大学入学以前に進路を決定する上で悩んだことはありますか? 高校以前は、明確にやりたいことが見つからず、そのことに悩んでいました。先ほどお伝えした通り、中学生のときに脳に対する漠然とした興味はもっていたのですが、その時点では進路決定に影響するほどではありませんでした。 そのため、高校1年生時点での文理選択では、自分の選択肢を狭めたくないという思いから理系を選択していました。 どのようにしてその悩みを乗り越え、現在の進路に至ったのですか? 高校時代、先生が私の興味を引き出してくれたことで、「もっと学びたい」と思える分野に出会うことができました。たとえば、私が関心をもっていた分野を専攻している卒業生を紹介してくださったり、先ほどの脳波から脳震盪を診断するプロジェクトの立ち上げをサポートしてくださったりしました。 先生が私の関心を深めるために積極的に協力してくださったおかげで、将来について日常的に、しかも自分ごととして考える時間を多く持つことができました。 さらに、興味のある授業を履修していくなかで、改めて理系の進路で脳科学に関わっていきたいという思いが強まり、現在の進路を選択しました。 高校の先生との関わりを通じて、ご自身の興味の種を芽吹かせることができたのですね。 将来の不安はキックボクシングで吹き飛ばす 現在ハマっている趣味はありますか? もともと読書とドラマ鑑賞が好きで、2年ほど前からはキックボクシングとムエタイにハマっています。 キックボクシングとムエタイはどのような経緯で始めたのですか? キックボクシングは、母が家の近くにキックボクシングジムを見つけて、一緒に行こうと誘ってくれたことがきっかけで始めました。しかし、カナダではキックボクシングジムが見つからなかったため、代わりに同じように足を使った運動ができるムエタイを始めました。 ムエタイやキックボクシングを始めて、ご自身にプラスの影響はありましたか? 体を動かして、目の前のことに集中しなければならない時間を取るようになったことで、将来への不安を感じづらくなりました。 もともと、将来のことを考えて一日中悩み過ぎてしまうことが多かったのですが、昼からムエタイのジムに通うことで、頭をまっさらにして気持ちを切り替えるルーティンを作れるようになりました。 運動を通じて未来への不安を取り払う習慣を身につけられたのですね。それでは最後に、これから同じ領域に挑戦してみたい学生や若い研究者に向けて、メッセージをお願いします。 私の脳への興味が、偶然読んだ一冊の本がきっかけで始まったように、自分の興味のタネにいつ、どこで巡り合うことができるのかはわかりません。現在進路に迷っている人には、ぜひ常にアンテナを立てて、様々な可能性を視野に入れる柔軟性を大切にして欲しいと思います。 私も自分に舞い込むいろいろな機会を逃さないよう、毎日コツコツ努力することをこれからも大切にしていきます。 Braintech Magazineでは、ブレインテック関連の記事を中心にウェルビーイングや若手研究者へのインタビュー記事を投稿しています。 また、インタビューに協力していただける研究者を随時募集しています。応募はこちらから→info@vie.style

脳疾患の原因を追究する:トロント大学・堀口桜子さんが語る「正確な脳波計測技術」

脳の仕組みを解明し、人類の可能性を広げる研究分野として注目を集める「脳科学」。私たちVIEでは、この魅力的なテーマに挑む若手研究者に焦点を当て、彼らの研究内容や情熱に迫るインタビュー企画をスタートしました。 本企画は、さまざまな視点から脳科学の最新研究を紹介することで、読者の皆さまに脳の神秘や研究の楽しさをお届けするとともに、新しい視点で脳について考えるきっかけとなることを目指しています。 今回のインタビューでは、カナダのトロント大学で「頭皮で測定される脳波と皮質内の脳波の違い」について研究されている堀口桜子さんにお話を伺いました。インタビューの後半では、堀口さんのパーソナルストーリーをたっぷりご紹介していますので、ぜひあわせてご覧ください。 研究者プロフィール 氏名:堀口 桜子(ほりぐち さくらこ)所属:トロント大学 物理学科 生物物理学専攻研究室:CAMH, Temerty Centre for Therapeutic Brain Intervention Neurophysiology Team研究分野:計算論的神経科学、EEG、信号源推定(source localization) 測定された脳波から真の脳活動を探る技術 現在取り組まれている研究について教えてください。 私の研究テーマは、脳波データを用いた脳活動の解析です。具体的には、頭皮で測定したEEG信号から脳皮質で発生した信号活動を推定することに焦点を当てています。 EEG信号と脳皮質での活動の差異を推定するために、どのような手法を用いているのですか? 私の研究では、皮質の電気活動をより正確に再現するために、ソースローカライゼーション(source localization)という技術を使用しています。この技術では、脳内の電気活動が頭皮上でどのようなEEG信号を生じさせるかを数理モデルで表現し、実際に計測されたEEGとの誤差を最小にするように逆算することで、統計的に脳のどの部位がそのEEGを発生させたかを推定しています。 この方法を用いることで、脳波の信号がどの部位から発生しているかを特定することや、脳内で起こる様々な異常な活動を捉えることができると考えています。 EEG信号と脳皮質での活動には、どのような違いがあるのでしょうか? 脳波(EEG)は、脳の表面(脳皮質)で生じた電気活動が頭皮まで伝わってくる信号です。しかし、この伝わる過程で、ボリュームコンダクション(volume conduction)という現象によって、信号が弱まってしまったり、周囲に広がり、他の信号と混ざり合ってしまいます。そのため、実際に信号が発生した部位とは異なる位置で信号が記録されてしまうことがあります。つまり、頭皮で測定されるEEG信号は、脳の皮質で起こっている活動場所やパターンを正確に反映していない可能性があるのです。 このテーマを選んだきっかけや理由を教えてください。 兼ねてから脳のはたらきに対して興味をもっていたことと、研究成果が多様な脳疾患の分析に応用可能であることに魅力を感じたことから、このテーマを選びました。 加えて、脳波解析の技術に対する知見を深めることで、私の研究室が所属する研究センターの他のプロジェクトと連携できるのではないかと考えたこともこのテーマを選んだ理由の一つです。 この研究を通じて、研究室で行われている統合失調症やうつ病、依存症などの脳にかかわる疾患の診断や治療法の開発に携わることができる技術の開発に貢献することを目標にしています。 研究者ならば一度は感じる不安、それを乗り越えるためには 実験では被験者がどのような状態のときの脳波を測定するのですか? 実験に携わった数はまだあまり多くありませんが、主に健常者を対象に、タスクを行ったときの脳波とタスクを行うことを想像したときの脳波の測定を行っています。 たとえば、指を曲げたときに発生する脳波と指を曲げることを考えたときに発生する脳波を計測して、同じ脳波が見られるかといった実験を行っていました。 研究プロセスを進める上で、困難に感じたことはありますか? 現在の研究プロセスで直面している課題の一つは、自分が抱く疑問に対して明確な答えがまだないことに対する不安です。 大学の課題の物理の問題を解いているときとは異なり、脳の研究では調べてもすぐに全ての疑問が解決しないことが多く、「自分が進んでいる方向性は正しいのだろうか?」「これは何かに繋がるのだろうか?」といった不安が常にありました。 その不安とはどのように向き合ったのですか? 研究室の修士の先輩に相談したところ、この不安は研究者ならば誰もが一度は感じる悩みであるということを教えていただいたことで、研究には新しいことを常に学べる楽しさと、それに伴う不確実性がつきものだと受け入れることができました。 また、この不安を払拭するためには研究分野に関連する参考文献をたくさん読んで、知識を深めなければならないということも教わりました。 取り組んでいるテーマが新しい分野であったり、他の人が目を向けていないトピックである場合、直接自分の研究に関連する参考文献が見つからないこともあります。しかし、そのような場合でも、少しでも関連がある文献を探し、幅広い知識を蓄えることで不安は少しずつ解消できるそうです。 これからは、たくさんの論文を読み、さまざまな方々の話を聞き、異なる分野に触れることで、多くの知識を吸収し、研究を深めていきたいと思っています。 様々な人に支えられた経験を活かして これからどのように研究活動に取り組みたいと考えていますか? 自分の研究が他のプロジェクトにどのような影響を与えるかを考えつつ、様々な人と意見交換をしながら研究を進めたいと考えています。 私一人の知識だけでは、脳や物理に関する視点からしか研究を進めることができませんが、他分野を専門とする人の意見を取り入れることで、これまでにない新しいアプローチを見つけられると考えています。だからこそ、他の人との関わりを大切にし、自分の枠を超えていきたいと思っています。 また自分のプロジェクト以外の活動として、現在、大学で女子学生の理系進学を支援するメンターの役割を担っています。 私が研究の道に進むことができたのは、周りの人のサポートがあったからこそだと感じているので、今度は自分がこれから研究の道に進もうとする学生の背中を押したいと考えています。 そして願わくば、脳に関心をもってくれる人が増えて欲しいと思っています。 今後の活動に対する意気込みを教えてください。 現在研究に関しては、まだ明確な成果が出せていません。しかし、研究室に配属されてから最先端の研究に間近で触れることができ、研究に真摯に向き合う教授や多くの修士・博士学生と知り合うことができたことは、自分にとって非常にありがたく、実りのある経験となりました。 また、次々と新しいアイディアが議論され、プロジェクトが立ち上げられる現場にメンバーとして参加できたことは、脳に対する魅力を再認識するきっかけとなりました。 この一年間研究活動を通して得た経験をもとに、今後も脳に関わる道を進んでいきたいと強く感じています。 インタビューの後半では、堀口さんの研究者を目指すまでの経緯や学生に向けたメッセージについて伺いました。特に、現在進路決定に悩んでいる学生さんは必見の内容となっています。ぜひ併せてご覧ください。 後半記事 ▶進路に悩んだ日々:研究者・堀口さんの興味を引き出した出会い

坐禅と瞑想の違いとは?禅の文化と瞑想のつながり・実践法を解説

慌ただしい毎日の中で、心がざわついたり、気持ちが落ち着かないと感じることは珍しくありません。そんな現代において、静けさと向き合う時間として注目されているのが「禅瞑想」です。 古くから仏教の修行法として親しまれてきた禅の思想と、近年科学的にも注目される瞑想が結びつくことで、心と体のバランスを整える新しい実践法として広がりを見せています。 本記事では、禅瞑想の基本から実践法、文化的背景までをやさしく解説。初めての方でも安心して取り組めるよう、丁寧に紹介していきます。 禅と瞑想の違いとは?似ているようで異なるポイントを解説 「禅」と「瞑想」は、どちらも心を落ち着ける方法として注目されていますが、実は起源や実践の目的、姿勢などに違いがあります。一方で、共通する部分も多くあるのも特徴です。ここではまず、それぞれの定義を明確にしたうえで、共通点と相違点を整理していきます。 禅とは何か 禅とは、中国で生まれた「禅宗」という仏教の教えに由来します。日本には鎌倉時代に伝わり、曹洞宗や臨済宗といった宗派として発展しました。 禅では、静かに座る「坐禅」が最も基本的な修行とされます。坐禅では、呼吸や姿勢に意識を向けながら、心を落ち着かせ、湧き上がってくる思考や感情に囚われず、それらに流されない「無念無想」の状態を目指します。 瞑想とは何か 瞑想とは、意識的に心を静め、内面に集中する精神的なトレーニングの総称です。宗教的な背景を問わず、世界各地の伝統に存在しており、近年では医療やビジネス分野でもストレス軽減や集中力向上を目的として活用されています。 姿勢や方法は様々で、静かに座るだけでなく、歩いたり呼吸を数えたりと多様なスタイルがあります。 瞑想についてより詳しく知りたい方は、以下の記事も参考にしてください。 https://mag.viestyle.co.jp/meditation/ 禅と瞑想の共通点:意識の集中と心の静けさ 禅と瞑想には、「今この瞬間」に意識を向けるという共通点があります。どちらも、頭の中の考えごとをいったん手放し、感情に振り回されない穏やかな心の状態を目指します。 さらに、呼吸や姿勢に注意を向けることで、自分自身の内面と向き合うことができる点も共通しています。近年では、ストレスの軽減や脳機能の向上といった効果が科学的にも認められています。 禅と瞑想の違い:宗教的背景と実践スタイル 禅と瞑想の大きな違いは、宗教的な背景と実践の目的にあります。禅は、元々は仏教、なかでも禅宗に根ざした宗教的な修行法です。一方、瞑想は宗教に限らず、さまざまな分野で取り入れられている心のトレーニング法といえます。 現代においては、禅の要素を取り入れた瞑想が、宗教的な背景にとらわれずに実践されることも増えており、その意味で禅と瞑想は互いに重なり合う部分も持ち合わせています。 また、実践方法にも違いがあります。禅では「坐禅」と呼ばれる、決まった姿勢と所作が重要視されますが、瞑想は座るだけでなく、歩いたり横になったりと、自由なスタイルで行うことができます。さらに、禅が「悟りの境地」に至ることを最終的な目的とするのに対し、瞑想はリラクゼーションや集中力の向上、ストレス解消など、目的が多様です。 次の章では、禅がどのように仏教や日本文化の中で育まれてきたのか、その歴史と背景を見ていきましょう。 禅瞑想と日本文化のつながり 禅瞑想は、仏教の中でも「禅宗」に深く根ざした実践です。その影響は、日本の精神文化や芸術にも色濃く残っています。この章では、禅がどのように日本に伝わり、瞑想とともに文化の中で受け継がれてきたのかを見ていきます。 禅宗の歴史と坐禅の意味 禅宗は、6世紀ごろに中国で達磨大師(だるまたいし)によって始まったとされる仏教の一派です。特徴は、経典や理論に頼るのではなく、坐禅を通じた直接的な体験によって悟りを目指す点にあります。この実践的な教えは中国で発展し、鎌倉時代に日本へ伝えられました。日本では、臨済宗や曹洞宗といった宗派が広まり、禅の教えは武士階級のあいだで精神的な支えとして重んじられるようになります。 禅宗の修行の中心となるのが「坐禅(ざぜん)」です。これは、決まった姿勢で静かに座り、呼吸と意識をととのえながら、浮かんでくる雑念を手放していくというものです。何かを考えたり感じ取ろうとするのではなく、ただ静かに坐り続けることで、思考や感情に支配されない「無念無想」の状態を目指します。そうした姿勢の中に、禅の精神が息づいているのです。 武士道や芸道に受け継がれる「静」の精神 鎌倉時代から室町時代にかけて、禅の精神は武士の生き方に大きな影響を与えました。厳しい現実の中で心を静かに保ち、自分を律するという考え方は、やがて「武士道」の根幹にもつながっていきます。 また、禅の思想は茶道や華道、書道といった日本の芸道にも深く根づいていきました。これらの芸道に共通するのは、余計なものを削ぎ落とした「簡素な美」や、集中力と心の静けさを重んじる姿勢です。動作の一つひとつに心を込め、無心で向き合うという点で、禅と芸道は本質的に重なっています。 さらに、「わび・さび」と呼ばれる、日本独自の美意識――静けさや不完全さの中に美を見いだす感性も、禅の価値観と通じるものがあります。静かで控えめな美しさを尊ぶこの感覚は、禅が日本文化に深く根を下ろした証といえるでしょう。 現代に生きる“無心”の価値 禅の精神において大切にされているのが、「無心(むしん)」という考え方です。これは、あれこれと思い悩んだり感情に振り回されたりせず、今この瞬間に意識を集中し、物事をあるがままに受け止める姿勢を意味します。 こうした「無心」の境地は、茶道や書道のような芸道の中でも重視されてきましたが、現代社会においてもその価値は変わりません。忙しさや情報にあふれる日常の中で、心を静めて自分自身と向き合う時間は、多くの人にとって必要とされているのです。 禅瞑想は、こうした心の在り方を養うための手段として、過去と現代をつなぎながら、今も多くの人に実践されています。 禅瞑想の基本ステップをわかりやすく解説 「禅瞑想を始めてみたいけれど、どうすればいいのかわからない」という初心者の方も多いかもしれません。禅の瞑想は、道具をそろえる必要がなく、静かな場所と少しの時間があればすぐに始められるシンプルな実践です。 ここでは、坐禅の姿勢・呼吸・意識の整え方、さらには動きながらの瞑想方法まで、基本的なステップを順を追って紹介します。 姿勢をととのえる:坐禅と半跏趺坐(はんかふざ)の基本 禅瞑想では、安定した姿勢を保つことが重要です。代表的なのが「坐禅」の姿勢で、あぐらの一種である「半跏趺坐(はんかふざ)」が基本となります。片方の足をもう一方のももの上に乗せ、背筋をまっすぐに伸ばします。 手は「法界定印(ほっかいじょういん)」という形に組みます。左の手のひらを上にして右の手のひらの上に重ね、両方の親指の先をそっと合わせ、おへその前あたりに軽く置きます。顎を引き、視線は1~1.5メートル先の床に落とすのが一般的です。椅子に座って行う「椅子坐禅」でも問題ありません。無理のない姿勢を選びましょう。 呼吸をととのえる:数息観(すそくかん)と自然呼吸 姿勢が整ったら、呼吸に意識を向けます。禅瞑想でよく用いられるのが「数息観(すそくかん)」という方法です。息を吐くたびに「一、二…」と数を数え、十まで数えたらまた一に戻る、というサイクルを繰り返します。 呼吸は鼻から自然に行い、吸う息よりも吐く息をゆっくりと意識するのがポイントです。慣れてきたら数を数えず、自然な呼吸の流れそのものに注意を向ける「随息観(ずいそくかん)」に移行しても良いでしょう。 意識のととのえ方:雑念とのつきあい方 瞑想中は、ふとした瞬間に雑念や感情が浮かんでくることがあります。しかし、それを無理に排除しようとする必要はありません。「今、こんな考えが浮かんできたな」と気づき、それに執着せず、そっと意識を呼吸に戻します。 大切なのは、「考えてはいけない」と抑え込むのではなく、「気づいて、戻る」を繰り返すことです。これこそが、禅瞑想における「無心」へと近づくための基本的な姿勢です。 動く禅瞑想:歩行禅や日常動作への応用 禅の瞑想は、静かに座るだけにとどまりません。「歩行禅(ほこうぜん)」と呼ばれる、ゆっくりと歩きながら行う瞑想もあります。足裏の感覚や一歩一歩の動作に意識を向け、心の動きを観察します。 また、日常の家事や動作の中でも、動きを丁寧に行い、意識を今この瞬間に向けることで、瞑想の質を生活に取り入れることができます。歯を磨く、食器を洗う、階段を上る――こうした日々の動作が、そのまま禅瞑想の時間になり得るのです。 参考:VIE株式会社「京都 建仁寺夜間拝観「ZEN NIGHT WALK KYOTO」来場者数1万人を突破」 忙しい現代人向け!続けやすい禅瞑想の実践アイデア 実は、禅の瞑想は短時間でも効果が期待でき、忙しい日常の中にも取り入れやすい方法です。 ここでは、初心者でも無理なく始められて、習慣化しやすい禅瞑想の実践アイデアを紹介します。生活のすき間時間を活用することで、無理なく継続できる工夫が満載です。 1日5分から始める「プチ坐禅」習慣 坐禅と聞くと長時間座るイメージがありますが、最初は1日5分からで十分です。朝起きた直後や夜寝る前など、時間帯を決めて短く実践することで、生活の中に自然と禅瞑想を取り入れることができます。 姿勢は半跏趺坐が基本ですが、無理なく座れるなら椅子に座っても問題ありません。静かな場所を選び、背筋を伸ばし、呼吸に意識を向けることがポイントです。時間が短くても、「続けること」こそが大切です。 アプリや動画を活用してガイド付きで実践 近年では、瞑想や坐禅のガイドを提供するスマートフォンアプリやYouTube動画が充実しています。たとえば「InTrip」「Relook」などの日本語対応アプリでは、初心者向けに短時間の音声ガイドが用意されています。 また、YouTubeでは、禅寺の僧侶が解説する坐禅動画やオンライン坐禅指導も視聴可能です。耳で聞きながら実践できるので、自宅にいながら本格的な禅瞑想を体験できます。 オンライン坐禅会で気軽に参加体験 外出せずに本格的な禅瞑想を体験したい方には、オンライン坐禅会の参加がおすすめです。たとえば永平寺や妙心寺の関連団体では、Zoomなどを使った坐禅体験を定期的に開催しています。 なかでも「月曜瞑想」として知られる取り組みは、毎週決まった時間に短い坐禅を行うスタイルで、参加のハードルが低く人気です。ひとりでは続かないという方も、共に坐る仲間がいることで継続しやすくなります。 禅瞑想のよくある悩みと継続のコツ 禅瞑想を始めたばかりの頃は、「集中できない」「時間がない」「なんとなく苦しい」といった悩みが出てくることがあります。これは誰にでも起こる自然な反応です。 ここでは、そうした悩みへの具体的な対処法と、禅瞑想を無理なく続けるためのコツをご紹介します。 集中できないときは「戻る」練習と割り切る 雑念が湧いて集中できないときは、自分を責めず、「気づいて戻る」ことを繰り返しましょう。禅瞑想は、完璧な集中を目指すものではなく、意識がそれたことに気づき、呼吸へ戻ること自体が大切な練習です。 瞑想が苦しいと感じたら、無理せず休む 坐っていて苦しく感じるときは、姿勢や時間の調整が必要かもしれません。無理に我慢するのではなく、短時間で切り上げる、椅子を使うなど柔軟に対応しましょう。つらさを避ける工夫も、長く続けるためには重要です。 習慣化のコツは「タイマー」と「朝のルーチン」 毎日同じ時間に実践する「朝のルーチン」として取り入れると、継続しやすくなります。タイマーで5分だけと決めることで、心理的ハードルも下がります。短くても続けることが、禅瞑想の効果を実感する第一歩です。 VIE株式会社が提供する音楽アプリ「VIE Tunes」では、瞑想の効果を高める「ニューロミュージック」を、タイマー機能とあわせて聴くことができます。こうしたアプリを活用することで、無理なく禅瞑想を続けるサポートになります。 禅瞑想で心身のバランスを整えよう 禅瞑想は、心を静めるとともに、集中力やストレス軽減にも効果的です。まずは短時間から無理なく始めて、日常に“静けさ”を取り入れてみましょう。

ADHDの子どもに効く?シリアスゲームによるデジタル治療(DTx)の最新研究

子どもがゲームばかりしていると、つい心配になってしまいますよね。しかし、もしそのゲーム自体が「治療」として機能するとしたらどうでしょうか? 最近では、デジタル治療(DTx)と呼ばれる、ソフトウェアを使った新しい医療のかたちが注目を集めています。たとえば2020年、アメリカで世界初の処方用ゲーム治療として『EndeavorRx』というADHD児童向けのビデオゲームがFDA(食品医薬品局)によって承認されました。 さらに2023年にはISO(国際標準化機構)がデジタル治療を「エビデンスに基づくソフトウェアによる介入」と正式に定義するなど、DTxは医療業界で急速に存在感を増しています。 注目が集まる「ゲーム型アプローチ」 そうした流れの中で、注目を集めているのがADHD(注意欠如・多動症)という発達障害への応用です。ADHDは主に子どもの頃に現れやすく、注意力の散漫さや落ち着きのなさ(多動・衝動性)といった症状が、日常生活に影響を及ぼします。 薬による治療が一般的なADHD支援ですが、副作用や長期間の使用に不安を感じる保護者も少なくありません。そこで今、薬に頼らない新しいアプローチとして注目されているのが、「シリアスゲーム」と呼ばれるタイプのゲームです。これは遊びを目的とするのではなく、治療や訓練といった明確な目的をもって設計されたゲームを指します。 実際、音楽や運動の要素をゲームに組み合わせることで、ADHD症状を改善する試みも成果を上げています。ゲームは子どもにとって身近で魅力的なため、楽しみながら治療的効果を得られる一石二鳥のアプローチになるかもしれません。 35本の研究を分析:ADHD児童にゲームがもたらす影響とは こうした流れを受けて、2025年5月には医学ジャーナル『JMIR Serious Games』に、ADHDの子どもに対するシリアスゲームの効果を総合的に検証した新たな系統的レビュー研究が発表されました。 このレビューでは、2010年から2024年初頭までに発表された論文の中から、厳格な選定基準に基づいて35件を抽出し、合計1,408人の参加者データをもとに分析を行っています。 対象は主に6~18歳のADHD傾向の子ども達で、報告されている限りでは参加者の約3/4が男児(男女比660:228)でした。レビュー対象の論文は医学・心理学からコンピュータサイエンス、教育工学、デザイン分野まで多岐にわたり、使われたゲームも多彩です。 たとえば、35件の研究のうち約4割(37%)では、体の動きを使って操作するタイプのゲームが採用されていました。これは、Microsoft社が開発したKinectセンサーのような、身体の動きをカメラで読み取る装置を活用したもので、画面の前でジャンプしたり手を動かしたりすることでゲームが進行します。さらに、VR(仮想現実)技術を取り入れたゲームも複数存在し、子どもがより没入しながらトレーニングに取り組めるよう工夫されていました。 ゲームのタイプとしては、1人で取り組む「シングルプレイヤー型」が全体の約9割(89%)と最も多く見られましたが、中には協力プレイや対戦要素を取り入れたゲームもあり、社会性やコミュニケーション力の向上を目指した設計も確認されました。 シリアスゲームが目指す「伸ばしたい力」とは? 本レビュー論文では、各研究が子どもたちのどのような力を伸ばすことを目的にゲームを使っていたか、そして実際にどのような効果が得られたかを分析しています。また、ゲームに対する子どもたちの反応や楽しさ、受け入れられ方についても注目されました。 その結果、最も多かったのは注意力の向上を目指した研究で、全体の80%を占めていました。続いて、多動性・衝動性の抑制(29%)、考える力や記憶力といった実行機能(43%)、体の動きに関わる運動技能(20%)、友達との関わり方などの社会的スキル(17%)を対象とした研究が見られました。 「楽しい」だけじゃない、ゲームがもたらした具体的な効果 ADHDの子どもにとって、どんな力がゲームによって実際に変化したのか。ここでは、レビューで特に注目された主な効果と子どもたちの反応を項目ごとに見ていきます。 注意力 注意力は、ADHDの症状の中でも特に重要とされ、対象となった35件の研究のうち8割が注意力の向上を目的としており、最も多く取り上げられていた項目でした。 ゲームを使ったトレーニングの後には、注意の持続時間や集中力が向上したとする報告が多数見られました。効果の測定には、子どもの行動特性を評価するConners3(コナーズ評価尺度)や、認知的な注意力をチェックするBIA(Behavioral Inattention Assessment)といった心理検査、課題実行テストなどが用いられました。また、教師や保護者による観察も評価に加えられ、ゲームによる介入は注意力の改善に有効であると結論づけられています。 多動性・衝動性 多動性や衝動性に注目した研究は全体の約3割とやや少なめでしたが、ゲームを通じて衝動をコントロールする力を鍛える工夫が数多く見られました。 たとえば、「すぐにボタンを押したくなるような刺激が出ても、それを我慢できたら得点がもらえる」といった「あえて待つ」ことを促すルールを取り入れたゲームでは、実際に子どもたちの落ち着きのなさが軽減されたという報告があります。 こうした逆転のルールによって、衝動を抑える力=抑制力を育てることができ、多くの研究で改善が確認されました。なお、一部の研究では有意な変化が見られなかったケースもあり、効果のばらつきについては今後の検証が求められています。 社会的スキル 対人関係のスキル(社会性)をテーマにした研究は全体の17%と少なめでしたが、協力プレイや会話を取り入れたゲームによって、子どもたちの社交性に良い変化が見られたという報告が複数ありました。 たとえば、友達と一緒に協力してミッションを進めるゲームや、画面上のキャラクターと視線を合わせる練習(アイコンタクト)ができるゲームなどが使われました。こうした体験を通じて、コミュニケーションの取り方や他人との関わり方が改善したという結果が多くの研究で示されています。 運動技能 運動能力への効果を調べた研究は全体の20%にとどまっており、その結果については慎重な解釈が求められます。 たとえば、Kinectのようなセンサーを使って体全体を動かすタイプのゲームでは、手と目をうまく連動させる力(ハンドアイコーディネーション)の向上が確認されました。 しかし、走る・跳ぶといった全身の運動能力そのものに対するはっきりした効果は、多くの研究で示されていませんでした。 研究によって評価方法やゲーム内容が大きく異なることもあり、運動スキルへの影響については、今後さらに丁寧な検証が必要とされています。 実行機能 実行機能とは、たとえば「計画を立てて行動する力」「記憶を一時的に保持して使う力(ワーキングメモリ)」「状況に応じて柔軟に考え方を変える力(認知の柔軟性)」など、思考や行動をコントロールするための力のことを指します。 この分野に焦点を当てた研究は全体の43%にのぼり、ADHDの子どもにとって重要な課題のひとつとされています。 多くのゲームでは、ミニゲームを繰り返しプレイすることで、ワーキングメモリの強化や問題解決力の向上を目指していました。 たとえば、答え方をその都度変えなければならない認知の柔軟性を求められるパズルや、すばやく反応しながらも「あえて反応しない」選択を求めるGo/No-Go課題などがゲーム化され、実際に子どもたちの認知面での成績向上が報告されています。 ゲームへの反応・楽しさ 今回のレビューでは、子どもたちがシリアスゲームをどのように受け止めているかにも注目されました。その結果、89%の研究でゲームへの反応は肯定的だったと報告されています。 インタビューやアンケートでは、「またやりたい!」「楽しかった!」といった声が多く、子どもたちが楽しみながらリハビリに取り組んでいる様子がうかがえました。 一方で、ゲームに慣れてくると「簡単すぎる」と感じて興味を失ってしまうという指摘もあります。実際、難易度を子どもの上達に合わせて調整する仕組みを取り入れた研究は全体の45%にのぼり、飽きさせない工夫が成果につながっていることが分かりました。 治療のハードルを下げる、やさしいテクノロジー 今回のレビューで分析された35本の研究は、シリアスゲームがADHDの子どもたちに与える治療的な可能性をしっかりと裏付ける内容となっています。中でも、注意力の改善においては特に一貫した効果が見られ、これは従来のリハビリ手法に対して、有効な補完策あるいは薬に代わる新しい選択肢になり得ることが示されています。 そして何より、ゲームならではの「楽しいから続けたい」という気持ちが、子どもたちに自然なかたちで治療を継続させる力になっている点は大きな特長です。薬を嫌がる子でも、「ゲームならやってみたい」と思えるかもしれません。これは、日々悩みを抱える保護者にとっても、希望の持てるアプローチと言えるのではないでしょうか。 遊びと治療の融合という一見ギャップのある組み合わせですが、今回のレビューは読者に、そんな意外性の中にある大きな可能性を私たちに示してくれました。 子どもたちが笑顔で楽しみながら、自分の特性と向き合っていく。 シリアスゲームは、そんな新しいADHDケアのかたちを切り拓く存在として、今後ますます注目されていきそうです。 今回紹介した論文📖 Lin, J., & Chang, W. R. (2025). Effectiveness of serious games as digital therapeutics for enhancing the abilities of children with attention-deficit/hyperactivity disorder (ADHD): Systematic literature review. JMIR Serious Games, 13, e60937.

1 2 3 23

Ready to work together?

CONTACT

ニューロテクノロジーで新たな可能性を
一緒に探求しませんか?

ウェアラブル脳波計測デバイスや、
ニューロミュージックに関心をお持ちの方、
そして共同研究や事業提携にご興味のある
企業様、研究機関様からの
お問い合わせをお待ちしております。

Ready to work together?

CONTACT

ニューロテクノロジーで新たな可能性を
一緒に探求しませんか?

ウェアラブル脳波計測デバイスや、
ニューロミュージックに関心をお持ちの方、
そして共同研究や事業提携にご興味のある
企業様、研究機関様からの
お問い合わせをお待ちしております。