占いなどので、「好きな方を選んでください」と急に言われることがあります。
その際、なんとなく「じゃあ、こっちで」と選ぶことが多いですが、その選択は本当に自分の意志によるものなのでしょうか。それとも、筋肉の反射のように、深く考えずに無意識に選んでしまっているのでしょうか。
脳科学の世界では、自分の意思で行動を決定することを「自由意志」と呼びます。「自分で選んだ」と感じることで、占いの結果にも納得しやすくなるのかもしれません。今回は、この「自由意志」をテーマに考えてみましょう。
前回のコラムはこちらです。
人の意思は簡単に操れるもの?
私たちは日々、自分の意思で選択をしていると思っています。しかし、その選択は本当に「自由意志」によるものなのでしょうか?人間の運動には、自分で意識的に動かす「随意運動」と、心臓の鼓動のように無意識に行われる「不随意運動」があります。現代社会は、随意運動が個人の意思によるものだという前提で成り立っており、法律もその考えに基づいています。
しかし、もし脳の「運動野」を刺激することで、選択が左右されるとしたらどうでしょう?たとえば、誰かがあなたの脳を操作し、あなたが気づかぬうちに特定のカードを選ばせることができた場合、それは本当に「自分の意思で選んだ」と言えるのでしょうか?
近年の研究では、脳の特定領域を刺激することで感情や行動を変化を引き起こす可能性が示されています。つまり、「脳が心を動かしている」ということです。もし心が脳を動かすことができるなら、それは自由意志の証明になります。しかし、脳の働きが先にあり、その結果として「自分で決めた」と感じているだけなら、自由意志は幻想にすぎないのかもしれません。
果たして、私たちは本当に自由に選択しているのでしょうか?それとも、脳の活動に支配されているだけなのでしょうか?自由意志の正体を考えることは、人間の本質を探ることにもつながります。
心が脳を動かすのか、脳が心を動かすのか
自由意志の研究で知られるベンジャミン・リベットは、1960年代にハンス・ヘルムート・コルンフーバーとリューダー・ディークによって初めて報告された「運動準備電位(Bereitschaftspotential)」を利用した実験を行いました。リベットは被験者に「自分の意思で自由なタイミングで指を動かす」よう指示し、専用の時計装置を使って「動かしたい」と感じた瞬間を記録させました。
この結果、被験者が「指を動かしたい」と意識する約0.2秒前に筋肉が動き出していたのです。これは直感的に納得できるものです。しかし、驚くべきことに、被験者が「指を動かしたい」と感じる350ミリ秒前(0.35秒前)には、すでに脳の運動野で「これから指を動かすぞ!」という準備の活動が始まっていたのです。つまり、脳が先に運動の準備を始め、その後に「自分の意思」が生まれ、最終的に指が動くという順番だったのです※。
この実験からわかるのは、自由意志は脳の活動の結果として生じるものであり、決して意識が先にあるわけではないということです。「自分で決めた」と感じる瞬間には、すでに脳が行動を決定しているのです。もし自由意志が実態のない精神現象にすぎないのだとすれば、私たちは本当に「自分の意思」で行動していると言えるのでしょうか?
※出典:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/6640273/, 2025年3月3日参照
意志の存在がなくなったら社会はどうなる?
もし「自由意志が存在しない」と認められたら、私たちの社会はどのように変化するのでしょうか。法律は「個人が自分の意思で行動する」ことを前提に作られています。もし「包丁で人を刺したのは自分の意思ではない」となれば、責任の所在が曖昧になり、復讐法のような原始的なルールが復活するかもしれません。しかし、科学や社会、法整備は時代とともに進化し、自由意志に対する考え方も変わっていくでしょう。
たとえば、かつて同性愛は「自分の意思で選んだもの」とされ、治療の対象と見なされていました。しかし、現在では「個性やパーソナリティの一部」として受け入れられるようになっています。自由意志に関する議論も、同じように倫理的な視点から変化していく可能性があります。ただし、それが「犯罪者を許すべき」という結論にはならないでしょう。社会秩序を維持するためには、何らかの責任の概念が必要だからです。
また、私たちの「意思」は、遺伝や環境によって大きく影響を受けています。育った家庭、友人関係、教育、経験の積み重ねによって、脳の活動パターンが形作られ、それが「自分の選択」のように感じられるのです。たとえば、推しのアイドルを好きになるのも、もしかすると親の影響や過去の経験が影響しているかもしれません。このように、私たちの行動や好みは、意識しないうちに環境によって方向づけられているのです。
では、自由意志がないとすると、私たちは単なる機械的な存在なのでしょうか?決定論という考え方では、もしすべての物理的条件がわかれば、未来は完全に予測できるとされています。ピエール=シモン・ラプラスは「もし宇宙のすべての状態を知ることができる存在がいれば、未来を完全に予測できる」と提唱しました。これは「ラプラスの悪魔」と呼ばれ、自由意志を否定する考え方の代表例です。
しかし、現代の量子物理学では「不確定性原理」が存在し、分子レベルでは未来を完全に予測することは不可能とされています。さらに、脳の活動は常に変化し続けるため、未来の行動も完全には決まっていません。つまり、私たちの選択は完全に決定されたものではなく、環境や偶然の要素によって変化するのです。
数秒先の未来ならある程度予測できるかもしれませんが、5年後、10年後に自分がどうなっているかは誰にもわかりません。遺伝や環境の影響はあるものの、それを超えて変わることも可能です。自由意志が完全に幻想とは言い切れず、私たちは環境の影響を受けながらも、未来を形作っていく存在なのかもしれません。
まとめ
自由意志が本当に存在するのか、それとも脳の活動の結果として生じる幻想なのか――この問いに明確な答えを出すことは、今の科学ではまだ難しいかもしれません。リベットの実験や脳刺激の研究が示すように、私たちが「自分の意志で決めた」と思う前に、すでに脳の活動は始まっています。しかし、それが「すべてが決まっている」という決定論的な世界観を意味するわけではありません。
私たちの行動や選択は、遺伝や環境、経験の積み重ねによって大きく左右されますが、それでも未来は完全に決定されているわけではなく、常に変化し続けています。社会が自由意志を前提に成り立っている以上、責任や倫理の概念は重要であり、それらを無視することは現実的ではありません。
結局のところ、「自由意志があるかどうか」という問いよりも、「私たちはどのように選択し、どう生きるのか」という視点のほうが、より本質的なのかもしれません。環境に影響を受けながらも、私たちは考え、学び、変わることができる存在です。その中で、自分なりの意志を持ち、より良い未来を作っていくことこそが、自由意志の有無を超えた、人間らしさなのではないでしょうか。
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次回のコラムでは、こっくりさんを例に『脳の伝達ミス』についてご紹介します。